安部朔夜編『運命の出会いと桔梗の恋』
本編『転生陰陽師は男装少女!?~月影の少女と神々の呪い~』もよろしくお願いいたします!
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彼女がまだ幼く、ただの「朔夜」だった頃。
世の中を大災厄が襲った。
妖魔襲撃に端を発する大飢饉と疫病の流行──。
ある者は厄神の祟りだと言い、ある者は太陽神アマテラスを蔑ろにした天罰だと言った。
かつて、人々は神々を篤く信仰していた。
太陽神アマテラスを主神として恐れ敬い、日々感謝の祈りをささげる。
それが当たり前だった。
しかし、ここ最近はすっかり信仰心も薄れ、若者たちは願いごとをするときばかり手を合わせるようになった。
「困った時の神頼み」
そう言って都合よく使われる神様はたまったものではない。
こんな風だから、ついに我らは見限られたのだ。
そう言って、信心深い年寄りたちは嘆くばかりだった。
そんな中、朔夜と両親は、国の首都である金烏京から山ひとつ越えた小さな村で、畑を耕して生計を立てていた。
両親は二人ともとても善良で信心深く、庭にこしらえた小さな祠に太陽神アマテラスを祀って、毎日祈りを捧げていた。
「毎日感謝を忘れず、謙虚に正しく生きていれば、きっと神様が守ってくださるよ」
「朔夜は良い子ですもの。神様も愛してくださるわ」
両親はいつもそう言って頭を撫で、優しく抱きしめてくれた。
精悍で働き者で、正義感の強い父。
少し小言がうるさいけれど、美人で優しく、料理上手な母。
朔夜はそんな両親が大好きだった。
「アマテラス様、今日も何事もなく暮らせたことに、感謝いたします」
「どうか、明日も私たちをお守りください」
しかし、その祈りも空しく──。
二人は相次いで流行り病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。
「……うそつき。いい子にしてたのに、神様、守ってくれなかった……」
村人が両親を弔ってくれるのを茫然と眺めながら、朔夜は大泣きに泣いた。
やがて泣き疲れ、プツリと糸が切れたように意識を失うまで。
目が覚めると、部屋の隅で村の大人たちがヒソヒソ話し込んでいた。
「なあ、どうするよ?」
「どうって言っても、うちじゃ引き取れねえぞ」
「うちだって、そんな余裕はないわよ……」
貧しい小さな村に、孤児になった朔夜の面倒を見る余裕はない。
今は誰だって、自分と家族を守るだけで精一杯なのだ。
それを恨んでも仕方がない。
物心ついたときからどこか達観したところのあった少女は、たったひとり、誰にも言わずに村を出た。
あてどもなく近くの村々を訪ねては、憐れみを覚えた村人から少しの食べ物を分けてもらい、食いつなぐ日々。
時にはひどい言葉を投げつけられ、暴力を振るわれて追い返されることさえあった。
その時、朔夜はまだ七つをやっと数えたばかりだった。
飢え以外にも危険はそこかしこに転がっていた。
流行り病、野犬、野党、そして妖魔──。
小さな子どもがひとりで生きていくには、あまりにも過酷な状況だった。
しかし、奇跡的にも朔夜はそのどれとも遭遇することなく、気付けば金烏京へ辿り着いていた。
それこそが、太陽神アマテラスの慈悲だったのかもしれないが。
***
高い塀に囲まれた大きな街。
初めて見る光景に、朔夜は目を輝かせた。
「すごい……えっと、ここが、“きんうきょう”?」
隣に住んでいた老婆が、若い頃は国の首都である金烏京で働いていたのだと、自慢げに話していたことを思い出す。
ここなら、働けるところがあるかもしれない。
壁の向こうにたくさんの人の気配を感じる。
朔夜は逸る気持ちを押さえてゆっくりと深呼吸すると、小さな体を精一杯伸ばし、胸を張って都の入り口である大門へ近づいて行った。
しかし、門を潜る前に、屈強な門番たちが立ちはだかった。
ヒョロヒョロに見えながら、裾から伸びる手足がたくましい若い男と、つきたての餅のように腹が垂れた恰幅のいい中年の男。
朔夜は内心で「ヒョロ」と「モチ」というあだ名をつけた。
モチがいかめしい顔つきで咳ばらいをする。
「コホン。あー、お嬢ちゃん、通行証は持っているかな?」
「……つうこうしょう?なにそれ?」
「ここを通るのに必要な物なんだが……。その様子じゃ持ってないな」
モチは眉尻を下げながら頭を掻いた。
すると今度は、ヒョロが優しい顔で腰をかがめた。
「お嬢ちゃん、どこから来たんだい? おとうちゃんとおかあちゃんはどこ?」
「……いない。死んじゃった……」
「そうか、孤児か。可哀想に……。最近、本当に多いな。都に誰か知り合いが居るのかい?」
「……ううん」
「そうか……それは困ったなあ。入れてやりたいのは山々だが……」
困り顔のヒョロの横で、モチが気の毒そうにため息をつく。
「だが、都の治安を守るためだ。身元を保証する者が居ないなら、入れるわけにはいかん」
「……わたし、入れないの?」
つぶらな瞳で不安げに見上げてくる幼子を見ると胸が痛んだが、規則は規則。
門番たちは身を切る思いで告げた。
「悪いな、嬢ちゃん。通行証を持っているか、面倒を見てくれる人が迎えに来るかでないと、入れてやれないんだよ」
「このところ、どこもかしこも治安が悪くてねえ。この金烏京は帝様とその御一族様や貴族様がいらっしゃるところだから、身元が分からない者を中に入れるわけにはいかないんだ」
「……そうなんだ」
せっかくここまで来て、入れないとは。
朔夜は途方に暮れた。
しかし、駄々をこねても仕方がない。
朔夜は門番に別れを告げ、とぼとぼと元来た道を戻り始めた。
が、やはり簡単に諦めがつくものではない。
このままでは、あと数日もすれば行き倒れてしまう。
「中には入れなくても、せめて近くに……」
人通りの多いところに居れば、誰かしらに拾ってもらえるかもしれない。
(とりあえず、野宿できるところだけでも探さなきゃ)
朔夜は、都をぐるっと四角く取り囲む塀に沿って、西回りに歩き始めた。
日が傾き、ひやりとした空気が辺りに漂い始める。
急がないと、野犬や野党──最悪の場合、妖魔が襲ってくるかもしれない。
恐怖に身を震わせながら、足早に進む。
どこかに身を寄せられそうな場所は無いか。
大きな木でも、崩れた小屋でも何でもいい。
雨露さえしのげれば。
「あ!」
キョロキョロと辺りを見回していると、西側の塀の半ばを過ぎた辺りで、弊の下が人ひとり潜り抜けられるくらい崩れている場所を見つけた。
「……今日だけ、ちょっとだけだから」
辺りに誰も居ないのを確認すると、朔夜は小さな体を更に縮め、するりと穴を潜り抜けた。
***
「……うわ、気持ちの悪いところに出ちゃった」
忍び込んだ先は、よりにもよって人気のない墓地だった。
しかし、誰にも見つからなそうなのは不幸中の幸いかもしれない。
辺りを見渡すと、本堂らしき大きな建物が目に留まった。
そこまで行けば、一晩くらい身を寄せられる場所もあるだろう。
(お、おばけに会いませんように……)
朔夜は全身に鳥肌を立てながら、恐る恐る歩き始めた。
──ガサッ
少し歩いたところで、傍の茂みが揺れた。
「……っ」
思わず小さな悲鳴を上げ、朔夜は足を止めた。
息を殺して様子を窺う。
──ガサッ……ガサガサッ!
「……だ、だれか、いるの!?」
恐怖に上ずった声で叫ぶと、茂みの中から黒い影が躍り出た。
「……ヒッ!」
それは、見たこともないおぞましい生き物だった。
うねうねと蠢く手足のない黒い塊。
そこに複数の赤い目玉だけが浮かび上がり、ギョロリとこちらを凝視していた。
それは、ヌチャッと嫌な音を立てながら地面を這い、ゆっくりと朔夜に近づいて来る。
これが“妖魔”というものなのだろうか。
朔夜の顔が、恐怖と絶望に染まる。
「……こ、来ないで!」
ズルをして忍び込んだのが悪かったのか。
(バチが当たったのかな……)
激しく後悔したが、もう遅い。
「や、やだ……来ないで。来ないでったら!」
逃げようと後ずさったが、腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「……ヒッ……だ、だれか、助け……」
あまりの恐怖で、助けを呼ぶどころか、うまく呼吸することさえもできない。
せっかくここまで生き延びてきたのに、こんなところでひとり寂しく終わりを迎えるなんて。
父と母の優しい笑顔を思い出しながら、朔夜はぎゅっと目を閉じた。
(ああ、もうだめ……おとうちゃん、おかあちゃん!)
──カッ!
死を覚悟したその時、朔夜の体からまばゆい銀光が迸った。
「……グッ、ギャアアアアア!」
その光に焼かれた妖魔が、恐ろしい叫び声を上げながら塵になって霧散していく。
「……え……?」
何が起きているのかわからず、朔夜はただ茫然と妖魔であった塵を眺めていた。
「……助かった、の?」
わけがわからないが、とりあえず窮地は脱したらしい。
朔夜はホッと安堵のため息を漏らした。
しかし、朔夜を包む光は一向に収まる気配を見せなかった。
(これ、どうしたら……?)
オロオロする朔夜を尻目に、光は勝手に大きくなっていく。
(……なにこれ、熱い……頭が、ボーッとする……)
強烈な銀色の光に包まれた朔夜の体が、宙に浮かぶ。
やがて、その光の塊が閃光を放った。
ドンッという大きな音と共に、地鳴りと爆風が辺り一帯を襲う。
臨界点を迎えた朔夜の力が、爆発したのだ。
光を放ちながら宙にゆらゆらと浮かぶ朔夜にもはや意識はなく、暴走した力が都の西側を飲み込んで崩壊させようとしていた。
その時、その異変にいち早く気付いた者たちが居た。
都の西側にある市場──西市で買い物をし、帰宅するところだった彼らは、突如襲った地鳴りと爆風に驚きながらも、警戒を強めた。
「……こ、これは……霊力の、暴走!?」
「……まずいな。清耀、急ぐぞ!」
「……はい、父上!」
安部清晄とその息子、安部清耀。
清晄は稀代の陰陽師であり、息子の清耀も、将来を期待された陰陽師だった。
陰陽師──それは、身に宿した霊力と特別な術を用いて魔を払い、人々の安寧を守る者たち。
二人は都の人々を守るため、力の発生源と思われる西端の墓地を目指し、全速力で走り出した。
***
清晄と清耀が墓地に辿り着いたとき、辺りの墓石は無残に砕かれ、瓦礫と化していた。
「……こ、これは、いったい何が?」
「うろたえるでない、清耀。あちらを見よ」
清晄が顎をしゃくって示した場所を見やると、光に包まれて宙に浮かぶ人影が見えた。
まだ幼い少女のようだ。
「あの子の霊力が暴走したのですね」
「そのようだ。このままにはしておけぬ」
二人は急いで幼子──朔夜のもとに駆け寄った。
「── 結っ」
清晄が手慣れた様子で素早く封印の術を施すと、朔夜を包む光がスッと消えた。
浮力を失い落下する体を、清耀が優しく抱き留める。
「おっと……もう大丈夫だよ」
「……だれ?」
「気が付いたか。わしは安部清晄。陰陽師だ。こちらは息子で弟子の清耀だ」
「……おん、みょうじ……?」
「悪いお化けを退治して、みんなを守る人だよ。どこか、痛いところはないかい?」
清耀の優しい笑顔と、体を包む腕の温かさに、朔夜の瞳から涙が零れ落ちた。
「……ふ、ふえぇ……」
「えっ……!? どうしたんだい!? どこか痛むのかい!?」
突然泣き出した少女にうろたえる息子の隣から、清晄がひょこっとおどけたように顔を覗かせた。
「怪我は無いようだ。おお、よしよし。もう大丈夫だぞ。ほれ」
両頬を左右に引っ張って変な顔をする父を白い目で眺め、清耀がため息をつく。
「……父上、むしろ怖いです」
「なんひゃろ!?わひおこんひんおへんかおあお!?」
「何をおっしゃってるか、まったくわかりません……」
「……っ、ふふっ」
気安い親子のやり取りに、朔夜は恐怖も忘れて思わず笑ってしまった。
「ほれみろ!笑ったぞ」
自慢げに胸を張る父を再び白い目で見て、清耀は腕の中の少女に微笑みかけた。
「……騒がしくてすまないね。ところで、こんな時間に、こんなところでどうしたの?ご両親は?」
「……いない、です。わたし、ひとり……」
再び泣きそうになって声を詰まらせる様子があまりにも憐れで、清晄は痛みをこらえるように眉をしかめた。
「孤児か。このご時世だから、珍しいことではないが……お嬢ちゃん、行く当てはあるのかね?」
「……ない、です」
小さな声で答えて俯く朔夜の頭を、清晄は年季の入ったシワシワの手で優しく撫でた。
「そうか。なら、うちにおいで」
その言葉に、朔夜の顔がパッと輝いた。
「……いいの!?……です、か?」
「そう気を遣わずとも良い。狭くて何もないあばら家だがな。野宿よりはましだろう」
捨てる神あれば拾う神ありとは、このことか。
緊張した体から、力が抜けていく。
歯を見せて笑う中年の陰陽師に微笑んで、朔夜は自分を抱きしめたままの青年を見上げた。
「……父上がそうおっしゃるなら、私も異論はないよ」
それに、この少女の力、放置しておくのは危険だ。
身寄りが無いならなおさら、自分たちで保護した方が良い。
清晄と一瞬目配せをし、清耀は不安げに見上げる少女に柔らかく微笑み返した。
「……ほんと?」
「可愛い女の子を、こんなところで放り出せるわけないだろう?」
片目を瞑りながらサラッと言われて、朔夜は赤面した。
(よく見たら、このお兄ちゃん、めちゃくちゃかっこいい……)
暗がりではあったけれど、清耀が色白で整った顔立ちであることは分かった。
しかも、今、自分は抱き締められている状態なのだ。
清耀の衣服からは、清廉な香りが漂っている。
それを認識した途端、急に恥ずかしくなった。
(……わ、わたし……!)
幼くてもやはり乙女。
朔夜は慌ててその腕を抜け出すと、サッと立ち上がった。
「あ、あの! なにがなんだかわからないけど……ありがとうございました!」
勢い良く頭を下げると、清耀がクスリと笑いを零すのが聞こえた。
その声に、再び頬が熱くなった。
「無事でよかったよ」
「わたし、朔夜って言います」
「朔夜ちゃんか、いい名前だね」
清耀にそう言われて、もともと好きだった名前がもっと好きになった気がした。
「ありがとうございます!……あの」
「ん?」
「すごく、いい匂いだなって……お兄さんの衣」
「ああ、桔梗香だね。魔除けになる香りで、私のお気に入りなんだ」
「ききょうこう……私も好きです!」
「ふふ……では、帰ったら君の服にも焚いてあげよう」
「やった!」
盛り上がる二人をジトっと横目に見て、それまで黙っていた清晄が、口を尖らせる。
「……おいおい、わしのことは無視かな?」
「父上、いい歳して拗ねないでください」
「すみません!無視していたわけじゃ……」
「はははっ!冗談だ。さあ、ここは少し冷える。家へ帰ろう」
それに頷きかけ、朔夜は周りに転がる墓石の残骸を見て固まった。
「これ、私が……?あの、これ、どうしよう……」
「なに、明日の朝、わしらが対処する。心配せんでいい」
「でも!」
「私たちに任せておけば大丈夫だよ」
「幼子が遠慮するな。こういうことは大人に任せておけばよい」
「……はい。ありがとうございます……」
「さあ、わしらの家へ帰るぞ」
清晄に促され、清耀に手を引かれて、朔夜はこの日初めて、安部家の屋敷へ足を踏み入れた。
この時、この出会いが運命を大きく動かすことになることを、誰ひとり知る由もなかった。
それからほどなくして、朔夜は清晄の弟子となり、兄弟子となった清耀とともに陰陽師への道を歩み始める。
ほんのりと咲いた恋心をその胸に秘めたまま──。