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8.間章-ミア・ホイスラーの場合①-


 ミア・ホイスラーは苛立っていた。


(あの女のせいよ! 何もかもあの女のせい!)


 ミアは地方の男爵家の一人娘として生まれた。領地はかつては栄えた港町だったが、魔物の毒に汚染されてからすっかり寂れてしまい、男爵家も財産を食いつぶしながらどうにか保っているようなありさまだった。ミアの結婚相手もなかなか見つからなかった。


 でも、未来の夫が見つからないのは家のせいではない。自分が悪いのだ。自分が、お母様にせっかく可愛く生んでもらったのに、出来の悪い女だったから。ちっとも気が利かなくて、物覚えも悪くて、刺繍も下手で詩才もない。顔以外は何の取り柄もない子供だったから。


 それでも、王都へ出たら、その容姿を気に入って妻に望んでくれる男性がいるかもしれない。家庭教師の先生がそう勧めてくれた。


 だけど、王都の社交界に足を踏み入れてみたら、すぐに圧倒されてしまった。こんな華やかな場所で自分の未来の夫が見つかるとは思えなかった。気遅れしてしまって、精一杯自分を飾り立ててみても、場違いだと周りに嘲笑われているような気がしてならなかった。


 王都へは観光へ来ただけだと言い聞かせて、自分を慰めてもみた。早く家に帰りたいとも思った。けれど一人で帰ればまた両親に叱られ、嘆かれるだろう。裕福で地位のある殿方と縁付きになるために、両親は王都行きの費用を出してくれたのだ。それなのに、なんて無能で恩知らずな娘なのか。そうお父様に怒られ、お母様に嘆かれるにちがいない。


 そんなことを考えては、夜も眠れずに過ごしていた頃だった。

 アルフレートに出会ったのは。


 


 ミアはそのとき、夜会の開かれている大ホールの片隅で、酒臭い赤ら顔の中年男性にいい寄られて怯え切っていた。身なりは良い男性だったが、三十は年上に見えたし、恰幅もよかった。近寄られるだけで怖いのに、助けを求めて周囲を見ても、誰もミアの窮地に気づいてもいないようだった。


 とても美しい青年が声をかけてくれたのは、そんなときだ。


「歓談中にすまないね。こちらのご令嬢と少し話があるんだ。彼女を借りても構わないかな?」


 赤ら顔の男は、罵り文句を口にしようとして、相手の顔を見た途端に酔いまで冷めた様子だった。しきりに頭を下げるその男に、アルフレートは見向きもせずにミアに手を差し伸べてくれた。


 その日から、アルフレートはミアのすべてになったのだ。


 


 彼に婚約者がいることは知っていた。魔術師たちの王とも呼ばれる大公家との縁談だ。地方の男爵家の令嬢ごときが敵うはずもない。自分が愛人にしかなれないことはわかっていた。それでもよかった。アルフレートの妻となる女性にはひどく嫉妬を覚えたが、彼女から王妃の座を奪いたいとは思わなかった。そんな野心はなく、むしろ、王妃になるようにいわれたなら尻込みしていただろう。自分が王太子殿下に釣り合うような人間ではないことは、自分自身が一番よくわかっていた。


 ミアはただ、アルフレートの愛があればよかった。


 王都のどこか小さな一軒家で、彼の訪れを待ちながら暮らす。いずれ子供を授かったら、なかなか会えない父親の分までうんとかわいがろう。本当は、夫と呼べる人と幸せになりたかったけれど、愛した人が王太子殿下だったのだ。仕方がない。


 実家の男爵家は親戚の誰かが継ぐだろう。両親だって無理に帰ってこないとはいわないはずだ。だって相手は王太子殿下なのだから。アルフレートに望まれたのなら仕方ないと、誠心誠意お仕えしなさいと、そういってくれるはずだ。




 ……そんな風に将来を考えていたから、アルフレートから王宮に部屋を用意したといわれたときはひどく驚いた。


 一度は断ろうとしたけれど、アルフレートにため息混じりに「君のためを思ってしたことだったのだけどね……、残念だよ」といわれてしまえば、たちまち申し訳なさでいっぱいになった。一生懸命に謝って、その部屋にどうか住ませてほしいと頼み込むと、ようやくアルフレートはいつものように優しい顔をしてくれた。


 それから、ミアの王宮での暮らしが始まった。


 アルフレートの婚約者であるヴァルキリア・ギルガードに、ミアはできるなら会いたくなかった。あの大公家のご令嬢だ。養女で、大公とは血が繋がっていないらしいと聞いたけれど、ほかの貴族家ならともかく、あの魔術師一族なのだ。血よりも才覚を重視しているのだろう。



 ミアもかつて、まだ幼い少年の魔術師に助けられたことがあった。

 実家の領地が魔物に襲われたときだ。寂れた港町なんてどこからも助けは来なかった。高台にある避難所で、領民もミアも息を殺して神に祈るしかなかった。絶望的な状況だと幼心にもわかっていた。


 だけど、誰かが叫んだ。


「魔術師だ! 大公家の魔術師が来てくれた!」


 その魔術師の一隊は『近くを通りかかったら、襲撃されているのが見えたから』という、たったそれだけの理由で助けに来てくれたのだという。

 避難所にいた人々がわっと窓へ寄っていく。ミアも流されるように窓辺へ寄った。そして見た。


 海から現れて、船も民家も圧し潰しながら進んでいた魔物の巨体へ向かって、氷の矢が降り注ぐ。決してこれ以上進ませまいとするかのように。背後にいる領民たちを守るように、無数の氷の矢が魔物を大地へと縫い付ける。


 小柄な黒髪の魔術師が身に纏う、蒼天のような青のロープが鮮やかにひるがえる。


 その魔術師の一隊は、暴れ狂う魔物を前に縦横無尽に動き回っていた。まるで全員が一つの意志を持っているかのようだった。誰が指揮を執っているのかは、遠目にもわかった。


 先頭に立っている、一番小柄な黒髪の少年だ。


 あの少年は、当時のミアと同い年くらいの子供に見えたのに、大人たちを部下として従えていた。てっきり大公家のご令息なのだろうと思っていたけれど、王都の社交界に足を踏み入れてから、大公家の年頃のご令息は二人ともとても美しい金髪の青年なのだと聞いた。


 あの黒髪の少年が誰だったのかはわからない。今となっては、遠目に見えた横顔もぼんやりとしか思い出せない。だけどきっと、とても強い魔術師だったのだろう。領主の娘のくせに怯えることしかできなかった自分とは違う。格好良くて、妬ましくて、羨ましい、優秀な子供。あんな子供だったら、きっと怖いことなんて何もないのだ。周囲の目を気にして怯えることもないのだろう。誰からも愛されて、幸せになれるのだ。


 そうひがむように思う一方で、命の恩人に対してそんな風に考えてしまう自分がいやだった。


 魔物と戦うこともできなかったくせに、素直に感謝することもできない、醜い自分がいやでたまらなかった。勝手にあの黒髪の少年をうらやんで、自分と比べてしまう、そんな自分の愚かさがいやだった。


 なにもやっても駄目なくせに、妬むことだけは一人前で。そんな性格だから、お父様もお母様もお前を可愛く思えないのよ。


 そう自分を罵る声がした。自分の胸の内側から。





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