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6.目覚め


 進むことも逃げることも不可能に思える状況などいくらでもあった。異形の魔物たち相手の戦いは大抵が劣勢だった。歯を食いしばって氷剣を振るった。部下たちに指示を飛ばした。


 嘆いていたことなどない。そんな余裕がなかったからだ。目の前の戦場から、自分が一瞬でも意識をそらせば部下たちは死ぬ。その背後にいる守るべき人々も死ぬ。あらゆる判断を一瞬で下し、それがたとえ間違いであっても呑みこんでなお戦うしかない。


 ───でも、ここは王都だから。王宮には王宮のしきたりがあるから。


 そう訴えかける理性に、けれど本当に? と心が呟く。


(ここはわたしの戦場ではないの?)


 大公閣下は自分が王太子の婚約者となることを認めた。

 それはすなわちこの地での戦いの全権を与えられたということだ。


 この身は水の筆頭魔術師。大公家の軍において、自分の上官は大公閣下その人しかいない。筆頭魔術師とは全員が閣下の直属の臣下であり、大公家の四天の一である。


 王宮には王宮のしきたりがある。夫婦とは助け合うものだ。夫となる人のことを理解しようとしなくては。……そう思っていたし、それも決して間違いではないだろう。だから譲歩し続けていたし、穏便に解決したいと願って、冷遇に対しても強く抗議することはなかった。正式に結婚したら、殿下も元に戻ってくれるかもしれない。そんな願望混じりの考えもあった。


(でも、ここはわたしの戦場だ)


 どれほど不利な状況にあったとしてもだ。自分が無能であることを恥じる? ここにいない大公閣下や重鎮の方々の顔色を窺って、己の行動を決める? ちがう。そんな余裕はない。


 頭を下げて問題が解決するならばそれもいい。だが、しないのならばほかの手段を探すべきだ。水の魔術が通じないなら火の魔術師を呼べ。剣が通じないなら弓を持て。陣形を工夫しろ。相手に優位を取らせるな。一つの手段にこだわるな。あらゆる武器を使え。


(わたしの後ろには、守るべき命があるのだから)


 ならば、氷剣を突き立ててでも前へ進め。行き詰まりだと思ったなら己の手で道を切り拓け。

 自らが戦場を制せ。

 それこそが水の筆頭魔術師、氷剣のヴァルキリアだ。


 ミアとの距離が縮まり、やがて彼女たちは道の端に避ける。


 そこで足をとめた。

 そしてにっこりとミアに微笑みかける。


「こんにちは。いい天気ですね」


 ミアも彼女に従う侍女たちも、俯いてはいるが、ぎょっとしているのがわかる。今までミアに声をかけたことはもちろん、自分から関わろうとしたこともなかったからだろう。遭遇するだけで自分のほうが傷を負うような相手だったから、できる限り避けていたのだ。


 けれど、避けたところで相手から寄ってくるのだから、逃げ回るのは無駄に消耗するだけだ。ここは、相手から寄ってくるという点を、好機と捉えてやっていきたい。


「よかったら一緒に散策しませんか? わたしも一人で退屈していたところです。ぜひ話し相手になってくださいませ」


「い、いえ……、わたくしは、そんな、恐れ多い……」


「わたしのほうこそ教養溢れるミア嬢とご一緒できて光栄ですわ。さあ、参りましょう」


「いえ、わたくしは……、あの、もう、帰りますので……」


「そうおっしゃらずに! どちらから見て行かれますか? わたしはこの庭園には結構詳しいんですよ。ミア嬢に道案内ができると思います」


 ミア嬢が青ざめたまま固まっている。

 ヴァルは少し面白くなってきた。


「ミア嬢とはぜひ仲良くなりたいと思っていますの。将来の王妃と寵妃になるのですから、友好的な関係を築きたいものです。それに、一度腹を割って話し合いたいと思っていたのですよ」


「わっ、わたくしは、話すことなんて、なにもないわ……!」


「まあ、残念です。気が変わったら、いつでも仰ってくださいね。ああ、そうだ、わたしのことはぜひヴァルと呼んでください。親しい人からはそう呼ばれていますから」


 ミアが耐えきれずといった様子で、まなじりを釣りあげて叫んだ。


「なんなの、あなた! 頭がおかしいんじゃないの!?」


「わたしもミアと呼んでもいいですか?」


「……っ、帰るわ! 気分が悪いの!」


 ミアは声を荒げると、侍女たちとともに勢いよく去って行く。


 ヴァルはその後ろ姿を見送って「残念」と呟いた。


 無言で控えていたリエルが、呆れたように尋ねてくる。


「親しくなりたいなんて、嫌味のつもりですか?」


「いいえ? 本気よ」


 リエルは深々とため息をついて「そうだと思いました」といった。





 一人きりの夕食の後は、お決まりのようにアルフレートに呼び出される。


 執務室の中にいるのも、いつも通りの面子だ。王太子殿下の側近の補佐官と騎士たち。秘密を漏らすことのない面々。


 自分が室内に入って扉が閉められると、アルフレートは吐き捨てるようにいった。


「君がここまでバカな女だとは思わなかった。失望したよ」


「殿下、わたしはミア嬢と親しくなろうとしただけです。未来の王妃として、必要なことでしょう?」


「君はもう王妃になったつもりでいるのか!? 君のような出来損ないが、王妃の椅子にやすやすと座れると思うか! 少しはミアを見習って、自分を磨く努力をしたらどうなんだ!」


「わたしがどんな人間であろうとも、これは大公家と王家の縁組です。反古にはできないでしょう?」


「君はいつもそうだな。二言目には大公家、大公家と。そうやって実家の力で脅しをかけるしか能のない女だからこそ、王宮の誰もが君を疎んじているんだよ」


 ヴァルはそこで明るく笑った。


「まあ、殿下。脅しをかけるなんてとんでもない。脅すというのは───」


 指先で魔術印を描き、慣れた言葉を口にする。


「───紡げ、其は凍てつく茨なれば、凍てつく枷なれば」


 その瞬間、室内の温度が物理的に下がった。


 アルフレートはもとより、補佐官たちも騎士たちも、突如として氷に覆われた床と、そこから生える氷の茨に身動きを封じられる。


 氷の茨は首にまで絡みつき、その太い棘は、切っ先のように柔らかな皮膚へ向いている。


 王太子も側近たちも、何が起こったのか理解できないという顔をしていた。吐く息だけが一様に白い。誰もが戸惑いと怯えの中で助けを求めるように互いを見る。


 ヴァルは笑みをすっと消して、冷ややかに告げた。


「脅すというのは、こういうことをいうのです。ご理解いただくために、わかりやすく、具体例を出してみましたわ」


 アトリのいうことは一部正しい。舐められっぱなしはよくない。まったくもってよろしくない。ここは戦場だというのに、相手の優位になるように動いて何になるのか。アルフレートがいかにこちらが令嬢として出来損ないだという点を攻撃して来ようとも、それに付き合う義理はない。


 最初から、完璧な令嬢として王家に嫁ぐわけではないのだ。

 国を二つに割る戦争を避けるために、自分はここへ来た。


 そして今、譲歩と話し合いの時間は終わった。


 問題が何も解決しなかった以上は、ほかの手段を探す必要がある。


 氷に拘束された男たちの戸惑いが、じわじわと怒りに変わっていく。


「貴様───っ、……くっ……」


 無理やり剣を抜こうとした騎士が、眼球めがけて伸びてきた氷の棘に身をすくませる。


「あなたの眼から脳髄まで貫くこともできますよ。あなただけでなく、この部屋にいる全員の方がそうです」


 ヴァルは淡々といった。


「小娘にそんな真似はできないだろうと思っているなら、それは大きな間違いです。わたしは大公家の魔術師、あなた方よりもよほど多くの血を見てきました」


「こっ、こんな真似をして、ただで済むと思うな……!」


 アルフレートは声を震わせながら顔を真っ赤にしていった。


「これは暴力だ! 君が私に暴力を振るったと、父上には報告するからな! 大公家との縁談も終わりだ、両家の関係は壊れるんだ、君のせいで!」


「まあ、恐ろしい。そんな恐ろしいことを仰られては、魔力が暴走してしまいそうですわ」


 ヴァルは薄く笑ってみせた。


「ご存じでしょうか、殿下? わたしは大公家では『戦場の天湖姫』とも呼ばれているんですけど、これはとても不名誉な二つ名なんですよ。なにせ、空に湖を作ったはいいものの、繊細なコントロールができずに、敵ごと辺り一帯を水に沈めたという逸話から来ていましてね」


 こちらの意図するところがわかったのだろう。アルフレートが怯えたように視線を上へ向ける。補佐官たちもつられたように見上げて、そして「ひっ」と怯えた声を漏らした。


 氷に覆われた天井からは、太いつららが、まるで槍の先のように伸びている。補佐官の一人が。がくがくと膝を震わせ、崩れ落ちそうになる。しかし、その途端に自分を囲う茨に皮膚を切られ悲鳴を上げた。


「今、わたしの魔力が暴走したら、この王宮全てを氷で閉ざしてしまうかもしれません。そんな恐ろしい事態は避けたいところですわ」


 まあ、これは少し話を盛っている。補助の魔道具もなしに、真冬ならともかく今の季節に王宮を氷で閉ざすというのは、いくら自分でも難しい。だが、それは親切に明かしてあげる必要のないことだ。

 アルフレートは華やかな美貌を醜くゆがめて叫んだ。


「なにが目的だ!? ミアと別れろというのか……!?」


「いいえ? これはただの自己紹介ですわ。夫婦になるのですから、殿下にはわたしのことをもっとよく知っていただきたいと思いましたの」





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