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5.王太子からの叱責


 まだ婚約が正式に決まってはいなかった頃、顔合わせの段階だった頃は、アルフレートはとても紳士的で優しい青年に見えた。陽の光を集めたような金の髪に若葉色の瞳の美しい王太子殿下。まさに絵にかいたような王子様で、こんな人もいるのかと素直に驚いた。


 政略結婚だから、どんな相手だろうと仕方ないと覚悟していたものの、人柄の良さそうな人物だったことにはホッとしていた。アルフレートもまた「お互いに少しずつ相手のことを知っていけたらと思っている」と微笑んでくれて、上手くやっていけそうだと思ったのだ。


 それが、正式に婚約が決まった途端にミアという愛人を作った。この時点ではまだ殿下に同情していたのだけど、こちらが王宮に上がった途端にミアも王宮に上げたところで、えっ!? となった。

 自分に与えられた部屋が王宮の端なのは陛下の意向であって、殿下は逆らえなかったんだろうと思っていたけれど、もしかして違ったの……? と察し始めた。弟なら呆れるところだろう。実際にアトリには散々吠えられた。


 だけど、自分が王宮に上がるまではいい人だったのだ、殿下は。その印象が強かったから、なかなかこの変貌ぶりに理解がついていかなかった。


 なにか事情があるのではないかと考えて、ほったらかしにされているのをいいことに王宮内の政治情勢を探っていた。その結果としてわかったことは、王太子殿下はとても評判がいいということだった。


 人目を引く華やかな美貌に、優雅で紳士的な振る舞い。まだ王太子の立場でありながら多くの公務をこなし、いくつもの業績を上げているのだという。人望も厚く、彼が王位につくのが待ち遠しいと囁かれるほどだ。現在、この国の政治的な実権を握っているのは宰相だけれど、王宮内での人気でいうならばアルフレートが随一だった。


 政略結婚を控える立場でありながらミアという愛人を持った件に関してさえ、王宮内で働く者たちの大半はアルフレートに同情的だった。


 おかげでヴァルはますます混乱した。


 やっぱりアルフレート殿下は善良で有能な人物なのだろうか? 王宮内で彼を悪くいう人はほとんどいない。皆、アルフレートを素晴らしい王太子殿下だと思っている。


(でも、善良で有能な人物が、この情勢下で愛人を王宮に上げる……?)


 わからない。わかりたいとは思うのだ。夫となる人なのだから、この先の長い人生を共にする相手なのだから、アルフレートの考えを理解して、支え合っていきたいと思う。


 しかしアルフレートは侮蔑の眼をこちらに向けていった。


「君は大公家の名を振りかざせば何をしてもいいと思っているのか? だとしたら、その考えは改めたほうがいい。ここは王都だ。守るべき法と秩序がある」


「殿下……。秩序を重んじるなら、まず、彼女を王宮に住ませるべきではないかと」


「ミアが王宮にいるのは君のせいだろう!」


 あまりに予想外な言葉で怒鳴りつけられて、思わず頭が真っ白になった。

 自分のせい? 自分のせいでこの状況になっていると?


「え……、あの、それは、どういう意味でしょうか……?」


「君が王妃としてはあまりにも出来損ないだからミアにいてもらっているんだ。大公家の令嬢だといいながら君は詩一つまともに読めないじゃないか。君のせいで私がどれだけ恥をかかされたと思っている?」


「それは……、確かに詩が得意とはいえませんが、今のところまだ殿下に恥をかかせるような場面はなかったかと」


「詩才のない妻というだけで恥ずかしいんだよ、私は! それなのに君は言い訳ばかりだ。無能な上に怠惰では救いようがないな!」


「……申し訳ありません」


 ……そこまでいわれるほどのことだろうか?

 でも殿下のいう通り、この感情こそが言い訳なのかもしれない。

 ……だけど愛人のことは話が別じゃないのか。

 それさえも自分が悪いのだろうか。


 頭の中がぐるぐると回る。うまく言葉が出てこない。


 それでも、いうべきことはいわなくてはと、必死の思いで口を開く。


「ですが……、殿下。わたしに至らないところがあるにしても、結婚前のこの時期に、彼女を王宮に住ませるというのは、不要な争いを招きかねません。どうか……」


「君が我慢すればいいだけのことだろう。王妃になろうというのに、そのくらいの自制もできないのか? まったく、大公家は君をずいぶんと甘やかしてきたんだな。はぁ、こんな自分のことしか考えられない女が私の未来の妻だとはな。頭痛がするよ」


 アルフレートが大げさに頭を振ってみせると、室内の補佐官や騎士たちからも追従の声が上がる。

 我儘だ。感謝が足りない。不満ばかり口にする。欲深くて王妃にふさわしくない女。そんな声がいくつも飛んでくる。


 ヴァルは奥歯を噛みしめた。


 この政略結婚に立候補したのは自分だ。王太子の婚約者になることを自分で望んだのだ。だからきちんとやらなくては。自分が戦いの火種になるわけにはいかない。うまくやらなくては。


「殿下……、わたしは彼女との関係を咎めているわけではありません。ただ、立場をわきまえたふるまいをお願いしたいだけです。自分一人の首で済むことならまだしも、そうではないでしょう。お互い、背後には守るべき大勢の人々がいるはずです」


 必死に言いつのる。この訴えが、今度こそアルフレートの心を動かしてくれることを祈りながら。


 けれどアルフレートは大きく顔を歪めて、吐き捨てるようにいった。


「脅す気か。さすがは大公家の女だな。自分の思い通りにならないとわかったら、汚い手を平然と使ってくる。君は卑怯で汚らわしい女だ。ミアのような素直で可愛らしい女性とは大違いだよ」


「殿下……!」


「やめてくれ。これ以上、君の言い訳は聞きたくない。今、君がするべきことが何かわかるか? 心を入れ替えて、私に真摯に謝罪することだ。君が床に手をついて謝って初めて、この王宮の者たちは君を受け入れる気持ちになることだろう」


 謝れといわれる。殿下だけでなく、室内にいる補佐官や騎士たちからも、同様の声が上がる。


 謝れ、はいつくばって謝れと。


 胃液がせりあがってくるような気がした。口の中に酸っぱいものが広がる。謝ってしまえば解決するのだろうか。何もかもが?


 一瞬、眩暈のようにそう考えた。


 けれど結局は、無言で退出することを選ぶ。アルフレートの舌打ちも、扉を閉めきる前に始まった盛大な罵倒の数々にも、ただ表情を殺してその場を立ち去った。



 ※



 その夜は眠りが浅く、翌日の朝日を浴びても気分は到底晴れなかった。

 重い気分で、朝食を終える。ため息をつきながら詩の教本に向かったものの、昨夜のことが頭から離れなかった。


(殿下の言うことはどんどん酷くなっている……。でも、それもわたしに至らない点が多いからなのかな……)


 令嬢として不出来だといわれたら、反論の言葉はない。その通りだとは自分でも思う。


 だけど、だからといってあそこまでいうことはないだろう、でも、それもわたしが駄目だから……とぐるぐると考え込んでしまうと、そっと机の上に紅茶を置かれた。


 教本から顔を上げると、リエルが困ったように微笑んでいた。


「少し休憩されたらいかがですか?」

「ありがとう……。ねえ、リエル」


 ペンを置いて、上品な婦人そのものである侍女を見上げる。

 彼女は昔は侍女ではなく教師をしていた。大公閣下が作りあげた学園都市で、魔術師を育成するための幼学校の先生だった。


「リエル先生」


「懐かしい呼び方をしますね」


「行き詰ったときはどうしたらいいんでしょうか、先生。最初はすごくいい人だと思ったのに、最近はとても当たりがきつく感じられて、もう会うことを考えるだけでも憂鬱になってしまうんです。そんなことをいっていられる相手じゃないとわかっているのに」


 かつての先生は、思案顔で沈黙した後にいった。


「第一印象で人の本性はわかりません。善人そのものに見える詐欺師はいくらでもいます」


「詐欺師」


 誰の話をしているか察しているだろうに、すごいことをいう。


「行き詰ったと感じたなら、それはあなたが惑いの森にいるということです。五感を研ぎ澄ませなさい。心はときに、たやすく嘘をつきますが、魔力元素(エーテル)はただそこにあるもの。あなたは魔術師です。森の出口まで、エーテルがあなたを導くでしょう」


「はい、先生」


「それに、老婆心ながらいわせていただきますと───、今のヴァル様は気を遣いすぎているように感じます。もっと好きにしていいんですよ」


「そうですか? 十分好きにしているつもりですけど」


「大公家の体面を守りながら、王家の顔も立てて、と気遣っていらっしゃるでしょう。ようやく得た平和を失いたくないというお気持ちはわかります。───ですが、あなたは水の筆頭魔術師。その地位の重みを、王家が知らぬといおうとも、魔術師たちは皆わかっています」


 リエルは胸に手を当てて、恭しく礼を取った。


「あなたは我らの誇りです、ヴァルキリア様。あなたが踏みにじられることで得られる平和など、我らは誰も望んではおりません」





 午後になると、ヴァルは再び、庭園の散策に出かけていた。



 さすがに今日は会わないだろうと思った……わけではない。その逆だ。ミアは今日もやってくるだろうし、だからこそ自分が今までの習慣を変えるわけにはいかないと思った。愛人に恐れをなして逃げ出したと嘲笑われるようでは、大公家の方々に申し訳が立たない。


 しかし、予想はしていても、実際にミアの姿を認めると、胃の辺りがずんと重くなるのがわかった。どうせまた、今夜もアルフレートに呼び出されて叱責されるのだろう。彼女と遭遇してしまった時点でそうなることはわかっている。


 一歩一歩と、前へ進むたびにミアとの距離が縮まってしまう。吐き気がこみ上げてきた。昨日と同じことの繰り返しだ。


 五感を研ぎ澄ませろと先生はいったけれど、ここは魔術師の戦場ではない。王宮だ。だから、自分にできることはない。アルフレートのいう通り、自分は令嬢としては出来損ないだから。


 そのとき、ふと思った。


(だけど、もしもここが戦場だったら───)


 自分はどうしていただろう?

 道を譲っても駄目だし譲らなくても駄目だ。ミアを避けても駄目だし会っても駄目だ。そんな行き詰まりであることを嘆いていただろうか?


(……いいえ)





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