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48.間章-アトリ・ディンの場合③-


 なんの本にしようかさんざん迷った末に、創世神話について書かれた子供向けの本を選んだ。どこの教会にも置いてある一冊で、読みきかせにも使われる。これならヴァルキリアにも馴染みがあるだろうと思ったのだ。


 けれど、予想に反して彼女は物珍しそうに、その海色の瞳でまじまじと本の表紙を見ていた。完全に初めて見る物を前にした態度だ。少しばかり嫌な予感がして、思わず尋ねていた。


「お前、まさか、安らぎの礼拝に参加したことがないの?」


 安らぎの礼拝とは週に一度教会で開かれる集まりのことだ。神に祈りを捧げると同時に、友人や親戚たちとの交流の場でもある。自分も王都にいた頃は祖父に連れられて度々足を運んでいた。祖父の友人たちはさすがに礼儀正しく紳士的で、魔術師の血を引く孫娘にも愛想よく接してくれた。内心でどう思っていたかはわからないけれど。


 ヴァルは小さく首をかしげていった。


「一回だけ……、いや二回くらいはあったかな? お母さんはもっと行きたかったみたいだけど、なにせ忙しかったからね。グレイもまだ小さかったからむずかしかったんだと思うよ」


 そう、と頷く。

 彼女の過去にどこまで触れていいのかわからないというためらいを覚えると同時に、この本なら分かりやすいだろうという予想が外れたことを知る。


 アトリは胸の前で腕組みをして尋ねた。


「お前、創世神話についてどのくらい知っているのかしら?」


「……えらい神さまがいて悪い竜をたおしたってことは知ってる」


「ほぼ何も知らないということね。わかったわ。まずわたくしが基本的なことを説明してあげるから、心して聞きなさい。いいこと? 大公家の一員となったからには、この程度の知識はあって当然よ! いくらお前が力のある魔術師であろうと常識も知らぬのでは愚か者のそしりをまぬがれないと知りなさい!」


「よくわかんないけど、アトリが教えてくれるってこと? ありがと~」


「お前のその軽さは何なのかしら!?!?!?!」



 ※



 ───かつて、地上には全知全能なる神がおられた。

 万物を創り給うた唯一神、偉大なる光の大神。この世のあらゆるものたちの中でも人間を特別に慈しまれた大神は、一人の清らかな乙女を妻として、十一人の子をもうけた。大神の血を引く彼らこそが、現在の十一の国の祖である。



「はい、アトリせんせい。質問です」


「聞いてあげるわ」


「国って十一もあるの? このアンディルア王国だけじゃないの?」


「はあ? そんなの当たり前……、お前の周りの大人たちは、そういう話をしなかったのかしら? 諸外国との交易や対立についての話は?」


「周りの大人……、うちの隣に住んでたおじさんは、酔っぱらうとよく泣きながら壁を叩いてたねえ。奥さんを亡くしたらしくてね」


「待ちなさい、それって不法侵入じゃないの! お前、怪我はしなかったの!?」


「けが? ……あ~、うちはこんなお城じゃなかったからね。アパートってわかる? この図書室より小さい部屋がいくつもあって、大家さんがいて、お金を払って住んでるの」


「わ、わかるわよ! 見たことはないけど……、庶民の集合住宅よね? 聞いたことはあるわよ。……つまり、その酔っ払いは、お前の屋敷の敷地内に無断で入ってきて外壁を叩いたわけではないのね?」


「ふふっ、アトリのそれ、想像するとちょっと面白い」


「仕方ないでしょう! ふんっ、お前が詳細を正しくいわないから悪いのだわ! わたくしが誤解するのも仕方のないことよ!」


「そうだね、ごめんごめん」


「だから謝るんじゃないわよ!!!!!」


 怒鳴りつけると、ヴァルはあからさまにうるさそうな顔をした。なんて腹の立つ女だ。

 家庭教師のごとくコホンと咳払いをして、話を元に戻す。




 ───光の大神の加護の下、地上には一切の苦しみがなく、喜びと安らぎの満ちた楽園であった。しかしあるとき、おぞましき“悪”が現れる。冥竜オルガヘイム、世界を暗黒へ堕とすことを欲する邪悪の化身である。

 永き戦いは地上を焦土と化すほどに苛烈であった。邪悪の竜はおぞましき魔物の軍勢を従えて世界を襲った。光の大神は十一人の子らとともに戦い、ついには神剣グラードをもって冥竜オルガヘイムを打ち倒した。しかし、その代償として大神自身も深き眠りにつくこととなった。

 光の大神は地上に生きる人間たちのために加護を与えた。冥竜の残党である魔物たちから人々を護るための結界だ。世界樹を礎としたそれは、淡く光る膜のような加護であり、この膜によって引かれた線を国境として十一の国が築かれることとなった。光の大神は最後に十一人の子らに王として国をよく治めるように告げると、永き眠りにつかれたのであった。




「───これが創世神話のおおよそね。ここから『十一人の子ら』の話に移ると各国で内容が大きく違ってくるのだけど……、なによ、そんな顔をして? わからないことでもあったかしら?」


「その……、結界? 現実にはないよね? だって魔物、いるもんね?」


「あぁ、それは……、どこから話せばいいかしら。まず実際には結界があっても魔物は存在したのだけど、それは今よりずっと弱い魔物ばかりだったのよ。普通の魔術師でも一人で倒せるくらいのね。強い魔物は結界がふせいでくれるから、王家にとって魔物はそれほど恐ろしくなかったの。魔物の数も今よりずっと少なかったらしいわ」


「へえ~」


「そして光の大神が創られた結界は、今もある国のほうが多いわ。十一の国のうち、結界を失ったのはこのアンディルア王国を含めて四国だけよ。我が国は三番目に結界が消えて、それから魔物との戦争がはじまったのよ」


 ヴァルキリアの青の瞳がまん丸く見開かれる。


 アトリは文字練習用の紙を一枚貰い、そこにざっくりとした世界地図を描いた。


「最初に結界を失ったのは南の島国アンゼルゼ。およそ百年前の話よ。このときはまだ『光の大神に背く真似をしたから加護を失ったのだ』と考えられていたらしくて、魔物の襲撃から生き残ったアンゼルゼの人々まで忌み嫌われて大変な思いをしたそうよ。けれど、それから約三十年後に南大陸の北東に位置するスーレンもまた結界を失ったの。それから残りの国々の多くはパニックになったわ」


 アンゼルゼが魔物の闊歩する魔の地となってから、残りの十の国ではより大神への信仰に力を入れ、異端の教徒を許さずに眼を光らせてきた。

 スーレンはとりわけ信仰心厚い国柄として知られていて、結界である光の膜を通り抜けることさえ大神への背信行為として許さず、国境をまたぐことを禁じて、他国との交易を捨てた鎖国状態になっていた。それほどの国でさえ結界を失ったのだ。


「それで、結界が消えるのは大神の怒りに触れたからではなくて、ほかに原因があるのではないかと考えた国もあったそうよ。あるいは、さらなる大神の庇護を求めて教皇を頼った国もあったらしいわ」


「このアンディルアは? うちはどうしたの?」


「……何もしなかったわ」


 きょとんとした青い瞳が、不思議そうにこちらを見る。


 アトリは自分が悪い事をしたわけでもないのに、妙に気まずい心地になりながらも説明を続けた。


「我が国の一部の魔術師───大公閣下の師にあたる方なんかは、世界樹は魔道具の一種で、結界が消えたのは道具が寿命を迎えたからだと訴えたそうなのね。そして、この国の結界をたもつための世界樹も枯れようとしている、今すぐに対策をとるべきだって。でも……、誰も聞く耳を持たなかったんですって。王家は我が国こそが大神の後継者だと、その証拠として本物の神剣グラードを持っていると何百年も主張してきたそうだから、そのせいもあるんでしょうね。この国から加護が消えることはないと魔術師たちを嘲笑って……、そして結界は消えてしまったわ」


 ヴァルキリアは眉間に皺を寄せて考え込んでいる。今聞かされた事実を必死に呑みこもうとしているようだった。


 アトリはなんだかいたたまれない気持ちになった。自分が悪いわけではない。アトリはその当時まだ生まれてもいない。だけど自分の身体に流れる血の半分は貴族の父から受け継いだもので、貴族の娘であることも事実なのだ。



 ※



 ヴァルキリアの母親が魔物に殺されたのだという話を、アトリは昨日侍女から聞いて初めて知った。持っていく本に悩んでアドバイスを求めたときに、たまたま「そういえばヴァルキリアのお母さまはどこに住んでいらっしゃるのかしら? 大公家の城にはいないのよね?」と尋ねたのだ。年かさの侍女はアトリがその事実を知らなかったことに驚きながらも、両親ともに亡くなっていて、路上で暮らしていたところを大公閣下に拾われたのだと話してくれた。


 アトリは真っ青になった。昼間の自分の発言を思い出したからだ。父を病で亡くし、母を魔物に殺されて、弟を守りながら必死で生き延びてきたというヴァルキリアにとって、自分の言葉はどれほど腹立たしいものだったろう。許せなくて当たり前だ……。そう思ったところで、彼女がとうにこちらの謝罪を受け入れていたことを思い出す。それから、とても簡単に謝ってきたことも。どうして謝るのかしらあの女は!? と昨日のアトリは思い出し怒りに駆られていた。悪くないのに謝らないでほしい。なんて腹の立つ女だ。



 ※



 魔術師たちの訴えを誰も真剣に聞かなかったから、この国は結界を失ってから大混乱に陥って、ろくな対策も取れないまま魔物との戦いへ突入してしまった。


(もしも当時の王家や、貴族たちが、魔術師の話をまじめに聞いていたら、ヴァルキリアのお母さまだって生きていたかもしれない……)


 可能性の話だ。貴族の娘であるからといってアトリに責任はない。もしヴァルキリアがそのことでアトリを恨んだり責めたりしたら、それは筋違いというものだ。


 そうわかっていても、心のどこかがひるんだ。


 ひるんで、そんな自分を認められなくて、ことさらツンとあごをそらしてみせる。わたくしは何も悪くないわと自分にいい聞かせるように心の中で繰り返す。


 ヴァルキリアはしばらく難しい顔をした後で、ゆるゆると眉間の皺を解いていった。


「じゃあ、もう一度その結界をつくったら、平和になる?」


「えっ……? え、ええ、それは、もし創ることができたら……。でも無理よ。あれは神の御業だもの」


「ん~、ずっと使ってた道具がこわれるっていうのは普通のことで、普通のことなら神さまじゃなくてもできる」


「お前ね……、それはお前が無知だからそう思えるのよ。より多くのことを学べば、いかに不可能であるかに気づくわよ」


「そりゃ、まあ、アトリみたいに物知りじゃないけどさ」


 ヴァルキリアが少し唇を尖らせていう。それはまったくお世辞や含みをもたない言葉だった。だからこそ一瞬嬉しくなってしまって、そんな自分に腹が立った。


「わたくしは一般的な知識をもっているだけよ。べつに物知りじゃないわ」


「あはは、わたしが知らなすぎるだけだって? それはそうかも」


「ちっ、ちがうわよ! そんなことはいってないでしょう!」


「でも本当にアトリはすごいよ。さっきの神話の話、すごくわかりやすかったもん。アトリはあれだね、最高けんびってやつだね」


「それをいうなら才色兼備ではないかしら!?」


「むずかしい話をわかりやすく説明するのは、たくさん知識が必要なことなんだって、アパートの隣のおじさんもお酒を飲みながらいってたよ」


「酔っぱらいと一緒にしないでちょうだい!!」


「勉強家なんだねえ、アトリは。りっぱだね」


 ニコニコと青い瞳を微笑ませてヴァルキリアがいう。てらいなく素直に、皮肉でも嫌味でもない、ただの心からの賛辞だ。


 アトリは泣きたくなった。眼の端が潤んでくるのがわかって、悔しさに席を立った。図書室内の本棚を眺める振りをしながら、こっそりと雫を拭う。


(どうして───……、どうしてお前がいうのよ)


 それは大公閣下にいわれたかった言葉だ。父や母にいってほしかった言葉だ。たくさん勉強して偉いと、立派だと、そんな風に努力を認めてほしかった。お父様やお母様が望む子供にはなれなかったけれど、それでもよく頑張っていると、そう───……。


(お前にいわれたくなんかなかったわ)


 だけど涙が滲むのだ。


 馬鹿みたいに嬉しくて。

 胸の奥がじんと熱くて。






アトリ視点の過去編はあと二話続く予定で、その後現在のヴァル視点に戻る予定です。

アトリ編が予定外に長くなってしまったのですが、ようやく世界観などを出せてよかったです。あとツンデレお嬢様とほがらかヒロインの友情はいいよね…という気持ちがこもっています。

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