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42.強く、完璧に


 視線だけで止めようとする。

 けれどゼインは、こちらに気づいているだろうに、まったく無視して失笑した。


「なるほど、さすがはアルフレート殿下の母君だな。親子そろって己の言動が惨事を引き起こすことも理解しておられぬご様子。血は争えぬとはよくいったものだ」


 そのときだ。

 王妃の傍に控えていた護衛の騎士が、我慢ならないという顔で彼女の前に立った。王妃を庇うようにゼインの視線の前に立ちはだかり、怒りをあらわに怒鳴り声を上げる。


「この無礼者め! 王妃殿下への暴言、これ以上は聞き捨てならん!」


 王妃がハッとしたように「クリストファー、待って……!」と制止する。けれど頭に血が上った若き騎士には聞こえていなかったのか、彼は勢いよく剣を抜いた。

 ───抜いてしまった。

 王妃が蒼白になる。貴族たちが慌てふためくのが見える。自分もまた息を呑む。


 若き騎士だけは何も気づかない様子で口上を述べた。


「我が名はクリストファー・ローフェン! 貴様に決闘を申し込む! 王妃殿下への数々の暴言、その命で贖ってもらうぞ!」


「……はっ、はははっ、はははははっ!」


 ゼインが嗤う。心底愉快そうに哄笑した。


 若き騎士が不快そうにまなじりを釣り上げた。


「貴様、何がおかしい!」


「───剣を抜いたな? 王妃の騎士が、この俺に向かって剣を抜いた。我が名はゼインヘルド・ギルガード。大公家直系であり次々代の大公家当主たる者。王家の騎士がこの命を奪わんとする───、これすなわち王家が大公家へ戦を仕掛けたということ!」


 愉しげな男の朗々とした声が礼拝堂を支配する。


 そう、そういうことになる。なってしまう。王妃の騎士がゼインに対して剣を抜くというのは、王家から戦争を始めたのと同じことだ。


 かつて、宰相ギリアスは冥竜によって打撃を受けた大公家に寄り添う顔をして、大公家が独立国家となるための名目を潰した。騎士団との共闘を流布し、美談を作り、世の人々が納得するだけの『戦の建前』となるものを次々と消していった。これでもなお大公家が戦を仕掛けたなら、世間の非難が必ずこちらへ向くように仕向けた。


 しかし、王家から戦端を切ったのなら、どのような理由も大公家には不要だ。


 ゼインはあからさまに悪辣に笑った。


「いいだろう、受けて立とう。……あぁ、そこの騎士よ、覚えておけ。これより始まる惨たらしい死の原因は、王妃と貴様であったとな……!」


「ちっ、ちがう! 私はそんな、そんなつもりは……!」


 騎士がうろたえ切った顔になる。助けを求めるように周囲を見回す。


 けれど誰も声を発することはできない。戦争の発端となったという汚名など被りたくないからだ。庇われたはずの王妃は咎める瞳で騎士を見ている。すべての非は彼にあるのだといわんばかりに。……彼女がこちらを侮辱してきたことがこの口論の始まりだったということは、王妃の記憶からは消えているらしい。


 ヴァルはかすかな息を吐いて、一歩踏み出した。


 ゼインの隣に立ち、彼と肩を並べた上で、嘆息混じりに告げる。


「そこまでにしていただこう、ゼインヘルド殿」


 紅の瞳が不満そうに細められた。


 それを無視して不遜なまでに胸を張り、堂々と礼拝堂内を見回す。王太子の婚約者だった令嬢としてではなく、大公家の軍の高官としてここに立っているのだと示すように。


 あえてにこやかな笑顔を作って、この場の全員に聞こえるようにいう。


「大公家の将官としていわせていただくが、我らの行く道を決められるのは大公閣下のみだ。閣下がおられぬ場で戦だなんだのと悪趣味なことを仰るのは、いかにゼインヘルド殿といえど戯れがすぎよう。皆、すっかり本気にされているではないか」


「……水の筆頭魔術師殿は、つくづくお堅い。俺は戯れで済ませずとも一向にかまわんのだかな……」


「やれやれ、火の筆頭魔術師殿の冗談好きには困ったものだ」


 大袈裟に首を振ってみせる。あくまで戯言なのだと押し通すために。


「しかし、ゼインヘルド殿。司祭殿が困り果てた顔をしていらっしゃるからな。この辺りでしまいにしていただきたい」


 唐突に名前を出された司祭がぎょっとした顔になる。


 ヴァルは穏やかに微笑んで続けた。


「騒がせしてしまって申し訳ない。葬儀に参列するつもりだったが、アルフレート殿下の安らかな眠りを妨げることになっては意味がない。我らはここで失礼しよう」


 誰かがホッとしたように息を吐くのが聞こえた。

 居並ぶ貴族たちの顔に安堵が見える。それは若き騎士や王妃も例外ではなかった。


 ヴァルは微笑んだまま、その喉に切っ先を突きつけるように続けた。


「王妃殿下、わたしも良い関係を築きたいと思っていますよ。この国に再び戦禍を起こし、大勢の命を奪うことになるのは避けたいと、心から思っています。それがわたしの良心です。王妃殿下にも同じものがあることを期待したいですね」



 ※



 帰りの馬車に乗り、早々に小窓のカーテンを閉める。

 薄暗くなる代わりに人目を気にする必要もなくなる。密室となった馬車の中で、思い切り頭を抱えた。


「あー、こんなはずじゃなかったのにー!」


「ヴァル、うるさい……」


「外には漏れてないからいいでしょ! というか早速寝ようとするな! 起きなさいよ、なんでこの状況で堂々と昼寝の態勢に入るのよ!?」


 隣に座る男の肩を掴んでがくがくと揺さぶる。


 あくびを噛み殺しながらゼインがいった。


「お前こそ……、何を悩んでいる……?」


 紅の瞳が面倒くさそうにこちらを見た。


「水の君が必死に戯言だと言い張ったおかげで……、内戦にはなるまいよ……。あの場のやり取りで大公家が不利になることもない……」


 思いきり反逆の意志を示しておいてそれをいうかといいたいところだけど、ゼインのいうことは間違っていない。あれは戯言だったのだ。そう済ませた。王妃の言葉も、騎士の抜刀も、ゼインの態度も。すべてただの戯言だ。そう済まさなくては王家側にとっても都合が悪い。


 わかっているけれど頭を抱えずにはいられない。


 事件の情報を集めるという計画の初手から躓いてしまった。


 しばらく呻いてから、よろよろと顔を上げた。


 内戦一歩手前のような惨状だったけれど、ゼインを責める気はない。そもそも……、悪いのは自分だ。これは自分の失態だ。


「ごめん、ゼイン」


「……なにがだ?」


「わたしが最初に王妃殿下に言い返せていたら、こんなことにはならなかった。───あんな、昔のことをいわれたくらいで棒立ちになっちゃって、何をやってるんだか」


 笑顔を浮かべる。ぎこちなくならないように必死で気をつけながら笑う。


「もうどれだけ時間が経ってるんだって話よね。いつまでも引きずって、我ながら情けないわ」


 上辺だけ言葉をなぞっているようだと、心の片隅で思いながらも、喉の奥からこみ上げてくる何かを必死で飲み干す。腹の底に、心の底に、押し込めて沈める。この弱さが二度と浮かび上がってこないようにと祈りながら。


「ヴァル」


 静かな声だった。

 日頃の嘲りも怠惰も拭い去ったような静謐さがあった。


 紅の瞳がこちらを見つめる。眼をそらしたかったけれどできなかった。隙を見せたくなかった。弱さを見せたくなかった。笑顔を作り続けて、こんなのは何でもないことなのだと示したかった。大丈夫なのだと、何も心配はいらないと、今まで弟に部下に、守るべき人々に笑ってきたように振る舞いたかった。


 偽りの笑顔だろうと続けていたらいつかきっと本物になる。


 本物の、完璧な、傷一つない笑顔に。


 紅の瞳は静かで、責める色も咎める色もなかった。


 だけどその静かさが恐ろしい。自分はよく知っている。ゼインは激昂しないのだと。この人はその挑発的な言動からは想像できないだろう冷静さで戦場に立つのだ。


 逃げることもできない狭い空間で、低い声が告げる。


「家族の死とは乗り越えるものなのか、ヴァル?」


「……それは……、どう、だろうね……」


 声がかすれた。


「俺はお前に母親の事を引きずるなと思ったことはない。俺にはお前のその割り切れない苦しみはわからんが……、それはお前にとって手放せない痛みなのだろう?」


「……だからって弱点になるようじゃ駄目でしょう。もう昔の話なんだから。あのくらいで簡単に動揺して、情けない……!」


「なにが情けない? 愛する者の死に傷つくことが情けないか? その傷口がいつまでも痛むことが情けないか? お前は他人にもそれをいうのか? ───いわないのなら、己自身にいうのもやめろ」


 完璧でありたかった。強く揺るぎなく、皆を安心させることができるように完璧に笑っていたかった。


 ───けれどゼインという人は、いつだって自分の望む完璧さにひびを入れるのだ。


 飲み干したはずの何かが戻ってくる。熱い塊が喉の奥にこみ上げて、眼のふちが勝手に潤みだす。太ももの上に置いた手を強く握り込んでも、耐えきれずに呼吸が乱れる。


 情けない。こんなのは情けないことだ。いつまでも引きずって。……だけど。


 それでもいいと、この人がいうから。


 ゼインが小さく息を吐いたのがわかった。彼の腕が動く。半ば強引に引き寄せられ、挙句に後頭部を掴まれて、ゼインの胸元に顔を押し付けられる。文句をいってやろうと思ったけれど、それより早く耐えきれなかった雫が目尻から落ちた。彼の黒の喪服に吸い込まれていく。


「泣け。俺しか見ていない」


「……っ、なんで、ゼインは、いつもそうやって……っ、ひ、ひとが、必死で平気な振りをしてるのに……っ、台無しに、して……!」


「お前の平気な振りが見てられないからだ。……下手すぎてな」


「へたじゃない……っ!」


「それに俺の命はお前の肩に乗っていない。当然だろう? 俺がその気になればお前程度の弱小魔術師、片手で捻れるさ。お前が俺のことまで『守るべき相手』として見るのは傲慢が過ぎるな」


「……っ、あ、あなたのその言い草のほうが、ごっ、ごうまん、だと、思う……!」


「いっておくが、ヴァル。王妃の言葉を聞いたのがクリーグラだったら、あの男は激怒していたぞ。ついでに『見殺しにした』という言葉を真に受けるお前のことも叱り飛ばしていただろうよ。……俺はお前の母親がどんな人物だったかは知らないが、クリーグラのことなら知っている。あの男は、お前に重荷を背負わせることを悔いはしても、お前を責めることなど決してありはしなかったさ」


「───っ」


 限界だった。


 ゼインの胸に顔を押し付けて、声を殺して泣いた。





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