41.聖母のような王妃
王妃の黄金を溶かしたような金の髪は結い上げられていて、その白皙の頬に一筋だけ垂れている。若葉色の瞳は我が子の棺を見つめたまま動かない。その横顔は悲嘆に暮れていた。改めて見ると、髪の色も瞳の色も、それにその整った面差しも、王妃とアルフレート殿下はよく似ていた。
それはまるで一枚の宗教画のように美しく哀切に満ちた姿だった。
王妃の指先はずっと棺を撫でていて、そこから離れることを忘れたようだった。
ヴァルは彼女の姿を一目見て後悔した。アルフレートが国王夫妻とは互いに関心が薄いようだと思っていたことを。王妃はアルフレートの死をさほど悲しまないのではないかと思っていたことを。心から後悔した。あまりにも彼らを見損なった考えだった。
(……家族を喪って辛くないはずがないのに)
そうだ、自分だってそうだった。
王妃殿下の横顔が記憶を刺激する。たやすく幼い日に引き戻される。おかあさんと、泣きながら叫んだあの日に。
ふっと短く息を吐いて過去を振り払う。目の前にあるのは焼け落ちていく故郷ではない。王太子の棺と、悲しみに暮れる母親の姿だ。
(アトリのいう通り、わたしは妃殿下には近づかないほうがいいわよね……)
息子の元婚約者の顔など見たくはないだろう。そうか、アトリはこのことを言っていたのかと納得しつつ、どこに座るかを考える。これから司祭の説教がはじまるのだ。
王家の葬儀が行われている一ヶ月間は毎日、定刻になると司祭が神についての教えを話す。参列者は長椅子に座って話を聞き、最後に司祭とともに光の大神へ祈りを捧げてから、棺の傍に花を捧げる。それが葬儀の一連の手順だ。また、規則正しく並べられた長椅子は、表向きはどこに座ってもよいことになっているけれど、実際は有力者ほど前列に座るものだ。大公家としてあまり後ろに座るわけにはいかない。けれど……、王妃殿下のそばには行かないほうがいいだろう。
体面と心情を秤にかけて迷ったときだ。
王妃殿下が空気で察したかのようにこちらを向いた。
途端に、美しいその面差しが大きく歪む。涙が一筋、妃殿下の───息子を亡くした母親の頬を伝った。
ひどく申し訳ない気持ちになって、見返すこともできずに視線を下げた。
「あなた……、どうして、ここに……」
なんと答えたものか、ためらったときだ。
悲痛な声が続けた。
「わたくしは……、わたくしは、あなたと良い関係を築けるように努力したわ……。あなたの良き義母になろうと……。その報いがこれだというの……?」
───なんの話だ?
眉間に怪訝な皺が寄る。
良い関係? 良き義母? これまで妃殿下と言葉を交わしたのは儀礼上必要な場面のみで、それも片手の指で数えられる程度だった。良い関係も何も、私的な会話をした記憶すらない。
彼女の意図が掴めず見返すと、妃殿下ははらはらと涙をこぼしながらいった。
「知っていたわ、あなたが自分の母親を見殺しにして逃げた人だということは……、母親の命を魔物に差し出して生き延びた人だと知っていたのよ……。それでも信じていたかったのに……」
殴られたような衝撃があった。
言葉が出なかった。まるで突然切りつけられたかのようだった。胸の内側に手を突き入れられて、血の流れ続ける傷口を握り潰されたようだった。
瞬きにも満たないわずかな時間で、一瞬のうちに過去が舞い戻る。視界が赤く染まる。炎の色。燃え落ちる故郷。逃げた自分。おかあさんが後から追いかけられるはずがないと知っていたのに───。
「母親だけじゃないわ……、あなたに目をかけてくれた恩人も、あなたは見殺しにしてきたのだと……、わたくしは知っていたわ……」
あぁ。
クリーグラ隊長。遺体を弔うことすらできなかった。おぞましい魔物の群れの前に隊長は一人残った。自分たちを逃がすために時間を稼いだ。死なせた。見殺しにした。あの場所に戻ることができたときにはもう骨の一欠けらすら見つからなかった。
「あなたが恐ろしい人だと知っていたのよ、それでもわたくしは……、人としての良心が、あなたにもきっとあると信じて」
「王妃殿下、それ以上は我が大公家への宣戦布告と受け取るが、よろしいか?」
朗々とした声が礼拝堂に響いた。
隣のゼインが、こちらを庇うように一歩踏み出す。
その普段と変わらない嘲笑混じりの横顔が視界に入って初めて、はっと喘ぐように息を吸い込んだ。呼吸が戻ってくる。
「お忘れのようだが、大公家との盟約を一方的に破棄されたのはそちらだ、王妃殿下。それも王太子の駆け落ちなどという醜聞によってな」
「どうしてそんな酷いことを……。あの子は突然の病に倒れたというのに……、優しいあの子の名誉さえ汚そうというの……?」
眼に涙を浮かべて王妃がいう。
礼拝堂に集まっていた貴族や神官、それに騎士たちの視線がこちらへ集中する。
美しく慈悲深く聖母のようだと称えられる王妃が嘆く姿は、病死が偽りであると知っていてもなお心動かされるものがあるのだろう。こちらへの視線の多くは非難を含んでいた。
ゼインは意に介した様子もなく続けた。
「真偽がわからぬというならギリアス宰相殿に尋ねられよ。大公閣下がどれほどお怒りであったことか、王家の使者ならば理解しているだろう……」
ギリアスの名前に、王妃がわずかな怯みを見せた。
王家の使者───実際のところはギリアスが命じた使者がその場にいたことを言外の内に明かした上で、ゼインは薄く笑った。
「だが、王都の方々は存じぬことであるならお教えしようか……。我ら大公家はあのときこの王都を蹂躙する決意を固めていたのだとな。王家からの度重なる侮辱をこれ以上許すことはできぬ、我らの誇りにかけて報復せん。それが一族の総意だった」
「なんて恐ろしいことを……! 神の御前で叛逆を口にするなんて……、あなたたちが無知であることは知っていたけれど、それが光の大神に弓を引く振る舞いだということさえわからないのね、可哀想な方……」
「ははっ、国王陛下は寛大な御方だ。政を行うのが誰であれ気にされぬさ。我らが雑事を果たすゆえ、御心のままに日々をお過ごしくださいと申し上げれば気に入ってくださるだろう」
国王の馬狂いは誰でも知っている。
王妃の顔が青ざめる。
淡々とした声が続ける。
「だが、ヴァルキリアがそれを押しとどめた。この千年の都を灰に変えるのは忍びないといってな、大公閣下を懸命に説得したものだ……」
ゼインは嘲りも露わな眼差しで、射抜くように王妃殿下を見つめた。
そして礼拝堂内に響き渡る声で告げる。
「そのヴァルキリアを侮辱するのは、我らと戦がしたいという宣言なのだろう……? 王妃殿下、あなたが大公家への宣戦布告を今、自らの名と責任においてなさっていると受け取ろう!」
礼拝堂内が静まり返った。この場にいる誰もが身じろぎもできずに息を殺してこちらの様子を伺っている。
痛いほどの静寂の中で、王妃だけがはらはらと涙を零して両手で顔を覆った。
「どうして……、どうしてそんな風に悪く考えるのかしら……。わたくしはただアルフレートの名誉を守りたいだけなのに……。我が子を喪った母の悲しみがあなたたちにはわからないのね……」
ヴァルはちらりと視線だけを動かしてゼインを見た。ここが引き時だろう。彼が本気で内戦を始める気だとは最初から思っていない。王妃の言葉に自分が反論もできずに棒立ちになっていたから、代わりに戦ってくれただけだ。
だからこの辺りで矛を収めるだろう。そう思っていた自分の前で、彼はつまらなそうにいった。
「では、なんの覚悟もなくヴァルキリアを侮辱したと? 大公閣下の娘であり、当家の一軍を率いる将を……?」
呆れたといわんばかりの様子だ。
顔には出さないままぎょっとする。このうえ王妃を挑発するようなことをいうとは思わなかった。




