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4.長い片想いと失恋の相手


 そうぼやくと、アトリはツンと顎を逸らせていった。


「ふん、低く見られる理由は血筋だけではないわよ。お前が貴族の令嬢としてなっていないことも原因の一つだわ。刺繡は無残な出来栄えで、即席で詩の一つも詠むことができないなんて、社交界では出来損ないもいいところよ」


 ウッと思わず胸を抑えた。それをいわれると弱い。

 アルフレートが責め立ててくるのもいつもその点だ。

 王都の社交界においては、教養のある令嬢ならば刺繍や詩作はできて当然のたしなみだという。


 しかしこちらは魔物の軍勢と戦うことを『当然のたしなみ』として生きてきたのだ。刺繍や詩作に関してはまだ幼学校一年生といったレベルだ。もう少し大目に見てほしい。


 それでも、刺繍に関しては少しずつ上達してきている。


 いま最も苦戦しているのは詩だ。王太子の婚約者になるまで知らなかったことだけど、王都の社交界というのは、やたらと詩を引用した会話をするのだ。大昔の詩から近年の作品まで、有名作品は知っていて当たり前であり、それらをさりげなく会話に含ませたり、引用した上で新たな詩を詠んだりするのが”貴族らしさ”なのだという。


 自分にとっては異文化すぎる話だ。アトリから月夜を題材に詩を詠めと課題を出されて『空に浮かぶ黄色の光 卵の黄身のよう』と書き出したら二行目で即座にキレられたのは記憶に新しい。


 いやいや、自分だけが飛びぬけて詩が下手なわけじゃないよね? 魔術師ならみんなこんなものだよね? と言い訳のように心の中で呟いたものの、でも大公閣下ならさらさらと詠みそうだなあとも思ってしまった。御歳六十にして閣下の眼光の鋭さは増すばかりである。

 それに次期当主であるフィン様も「私は手習い程度ですよ」と困った顔でいいながら素晴らしい詩を詠みそうだ。フィン様にはそういう雰囲気がある。


 これがゼインなら……、面倒くさいといいながらも、必要になれば難なくこなして見せるのだろう。目に浮かぶようだ。あの人は昔からだいたい何でもできるのだ。めったにやる気にならないだけで。


 ちなみに、アトリはこの手の芸術方面に関しては大公家一の見識を持つといっていい。彼女は大公閣下の実の娘である母君と、伯爵家出身の父君を持つ、大公家では異例の血筋だ。特に詩の才能に長けており、貴族の社交界では『亜麻色の詩詠み姫』と賛美されている。

 自分が大公領で『戦場の天湖姫』と呼ばれるのとは大違いである。ちなみにこの『天湖姫』は自分の失敗談から来ているため、全然いい二つ名ではない。


 ふーっと息を吐き出し、紅茶をもう一口飲んでいう。


「でも、政略結婚よ? いくらわたしの詩才に不満があっても、その程度のことで王家の命運まで賭ける気持ちになる?」


「わかっていないわね! ここは王都よ。お前が水の筆頭魔術師であることなんて、誰も価値を見出さないわ。たとえ大公領では数多の魔術師たちがお前の前に膝を折るのだとしても、この王都では違うの! 水の魔術において最強と謳われるよりも、美しい詩が詠める娘の方が価値が高いのよ!」


 はあと曖昧な相槌を打つと、アトリはまた腹立たしそうにこちらを睨みつけてきた。


「やはり王太子殿下の婚約者には、わたくしがなるべきだったのだわ。教養と美に溢れたこのわたくしこそが次期王妃にふさわしいのよ! このわたくしを差し置いて婚約者になるなんて! お前にはゼイン様が……っ」


「アトリ様!」


 鋭い叱責の声は侍女のリエルによるものだった。もっとも、彼女が咎めるより早く、アトリ自身が失言を悟って青ざめていたけれど。


 いくら王宮の端っことはいえ、王太子の婚約者の部屋だ。ほかの男性と関わりがあるような発言はまずい。まあ、まずいだろう、一般常識的に。とはいえ、この部屋の会話に聞き耳を立てているような誰かがいたなら、すぐに気づくけれど。


「間諜の気配はないからまあセーフじゃない?」


「ヴァル様」


 リエルの鋭い眼差しが今度はこちらを向く。軽く肩をすくめて唇を閉じた。


 ゼイン。ゼインヘルド・ギルガード。

 アトリと同様に大公閣下の孫であり、次期当主フィンヘルドの長子だ。若き日の大公閣下の再来といわれる実力者で、炎の筆頭魔術師。冷ややかな金の髪に、嘲笑うような紅の瞳をした美しい青年。


 自分とは家系図上は伯母と甥の関係になるのだけど(なぜなら自分が大公閣下の養女なので)、それはあくまで図面上の話だ。大公閣下に拾われて以来、ゼインとは幼馴染のような関係だった。

 仲は良かったのだ。それは決して、甘い言葉を囁き合うような関係ではなかったけれど。お互いに心を許して、信頼して、軽口をぽんぽんと叩き合う、友達のそれでしかなかったけれど。

 だけど彼は火の筆頭魔術師。そして自分は水の筆頭魔術師だ。

 筆頭同士で、歳も近くて、お似合いだと周りからもいわれていた。

 ゼインの父親であるフィン様が、自分たちの結婚を期待していることも知っていた。

 フィン様だけではない。おそらく大公閣下でさえ、自分たちの結婚を決定事項のように思っていた。魔物の軍勢との大戦が一応の終結を迎えてから、ゼインと自分の結婚を期待する空気は、あからさまなほどに一族内に漂っていた。

 これからの明るい未来の象徴を皆が求めていたのだろう。その気持ちは自分にもわかる。そして自分とゼインがその役割にぴったりだったということも。


(……そうやって自惚れて思い上がって、ゼインの気持ちを確かめもしなかった)


 勝手に期待していた。彼の気持ちを確かめることもせずに、周りがお似合いだといってくれるからと、それだけでのぼせ上がっていた。ゼインの瞳に浮かぶ優しさが、いつか特別な愛情に変わるのではないかと独りよがりな夢を見ていた。彼から何をいわれたわけでもなく、自分の気持ちを伝えたわけでもなかったのに。




『ヴァルキリアと結婚など冗談でも笑えませんね、父上。彼女を妻にするくらいなら、俺は死んだ方がマシですよ』




 それが現実だ。

 ウッカリ立ち聞きしてしまったその言葉が。


 ……つまりゼインは、自分の長年の片想いと失恋の相手なのだ。


(でも、ゼインが『死んだ方がマシ』と言っていたなんて、アトリには話せないし……)


 知ったら怒り狂うのが目に見えている。アトリは儚げな美少女に見えて激情家なのだ。こんなことでゼインとアトリの従兄妹仲を悪くするわけにはいかない。


 この件を知っているのは父親であるフィンヘルドと大公閣下くらいなものだろう。

 アトリからすれば、こちらがなぜか突然ゼインから王太子へ鞍替えしたように見えるのかもしれない。鞍替えも何も、失恋しているのだけど。


 そう、恋に破れて仕事に生きようと思った。

 政略結婚を仕事扱いするのもどうかと思うけれど、自分としてはそのくらいの気持ちだった。


 だからアルフレート殿下に対しても、仕事のパートナーとして仲良くやっていきたいというのに似た心境だった。これから長い付き合いになるのだから……という思いがあった。

 今ではあまりの話の通じなさに、言語のちがう異国人と話しているような気分になるけれど。


 アトリはきゅっときつく唇を結んで、顔をそむけている。

 室内の硬い空気を払しょくしようと、あえて明るい声を出した。


「わたしが婚約者に選ばれた理由なんて一つでしょう。大公家の年頃の娘で、わたし以上に暗殺されない人間がいないからよ」


 アトリは貴族の令嬢としては申し分ないけれど、魔術師としてはさほど強くない。大公家を疎む者たちによる“不慮の死”が襲い掛かってきたときに、確実に身を守ることはできないだろう。


 けれど自分はちがう。この身は水の筆頭魔術師だ。大公家において“魔術師たちの王”に次ぐ実力の持ち主であると認められた四人のうちの一人だ。


 たとえ暗殺の標的になっても、自分自身だけでなく、傍で仕えてくれている侍女たちも含めて守りぬく自信がある。


 この政略結婚で最も大事なことは、死なないことだ。大公家から嫁に出した娘に万が一のことがあれば、大公閣下は王家を滅ぼすまで歩みをとめない。それはこの縁談をまとめた次期当主フィンヘルドにもわかっていた。だから、最も暗殺されないヴァルを婚約者にした。


 そう言外に告げると、アトリは不満が露わな顔をしながらも黙り込む。


 ヴァルはそっと目を伏せた。


(まあ、半分は本当で、半分は嘘だけど……)


 フィン様が暗殺を警戒しているのは本当で、自分が殺されないことを強みとして婚約者に名乗りを上げたのも本当だ。

 だけどそれだけならおそらく、水の筆頭魔術師が王家に行くことを、大公閣下は認めなかっただろう。


 この縁談の決定打となったのは、多分───ゼインの後押しだ。



 ※



 夕食後、王太子殿下に呼び出されて、ヴァルは王宮の端から中央にある殿下の執務室へやってきていた。

 ちなみに夕食は一人で食べた。アトリは王都に家を持っているだけで王宮で暮らしているわけではないし、アルフレート殿下は毎晩ミアとともに召し上がっているそうだ。さすがに国王夫妻は同席していないらしいが、自分としてはため息しか出ない。


 執務室にいたのは殿下だけではなかった。

 殿下の側近の補佐官たち、それに護衛の騎士たちがいた。彼らがこちらへ向ける視線もまた一様に刺々しい。


 室内へ入っていくと、アルフレートは座ったまま立ち上がることもなく、忌々しそうにこちらを見ていった。


「困るんだよ、君」

「……なんのお話でしょうか?」

「わかっているだろう。君が問題を起こすせいで、私が責められるんだ」


 問題。

 今日一日の出来事について思い返し、その一つしか心当たりがないことを脳内で改めて確認してから尋ねた。


「殿下が仰っていることが、庭園でミア嬢とお会いした件でしたら、偶然すれ違っただけですわ。取り立て何かお話をしたわけでもありませんし、問題になるようなことはなかったと思いますけれど」


「君はいつもそうだな! 決して自分の非を認めようとしない。その心根の醜さが皆に嫌がられているのだとわからないのか!?」


 アルフレートが突然怒鳴りつけてくる。最近ではいつもこうだ。

 彼は人前では常に優雅で貴公子然としているのに、こうして側近たちしかいない執務室の中ではたやすく声を荒げてくる。


「いえ、ですから、すれ違っただけで……」


 感情的になるまいと自制しながらも、必死に事実を説明しようとする。

 けれどアルフレートは余計にまなじりを吊りあげた。


「ミアは泣いていたんだぞ! なんて可哀想に……! 君には他人を思いやる心というものが欠けているんだ!」


「殿下、わたしは彼女に何もしていません。泣いていたとしても、それはきっと別の理由が……」


「そうやって平気で嘘を吐く! なんて図々しくて頭の悪い女なんだ。君の作り話が私に通用すると思っているのか?」


「本当です、殿下。わたしは何もしていません!」


「君の身勝手な態度が周りを苦しめているというのに、それに気づきもしない。他者へのいたわりが持てないようでは、次期王妃として失格だ!」


 アルフレートの言葉の途中で何度も口を開きかけては、結局は閉じた。


 なにをいっても無駄だと感じてしまう。


 ……どうしてこうなってしまったのだろう。一方的に責め立てられるだけで、こちらの言い分に耳を貸そうともしてくれない。何をいっても自分が悪いのだと決めつけられる。


 アルフレートと初めて顔を合わせた頃はこうではなかったのに。





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