36.苛烈な女と無謀な女の友情の話
「ドゥークってあの妖精の? あれは昔話じゃなくておとぎ話でしょ」
―――昔、昔、あるところに、ドゥークという名前の悪戯好きの妖精がいました。
そんな出だしから始まるおとぎ話は、魔術師の中で細々と受け継がれてきた……らしい。らしいというのは、現在ではほとんどの魔術師が知らない童話だからだ。
ドゥークはヤナ博士の研究のために芥砂の地層が掘り起こされたときに、各地で発見された石板などに描かれた物語だ。最古の物は恐らく千年の昔に作られた石板ではないかと考えられており、長い年月の中で途絶えた伝承の一つだと思われる。
なぜおとぎ話をわざわざ石板に残したのか? という点については、おそらく文字学習に用いられたのだろうと推測されている。
妖精ドゥークのおとぎ話は国内各地の芥砂の地層から発見されている。
石板に描かれた物語にも地方によって様々なバリエーションがあるが、ドゥークがとても悪戯好きで、水晶の中に住んでいるという点は共通している。昔から水晶を魔道具に加工してきた魔術師たちにとっては、水晶の中に住む妖精というのは夢のある話だったのだろう。
アトリは得意げな顔をしていった。
「おとぎ話にだって何かしらのモデルがあるものよ。そこには魔術師の歴史が含まれているわ。わたくしは今、フィン叔父様にお願いしてドゥークの物語を集めているところなのよ。───これこそがあの両親のもとに生まれ、大公閣下の孫娘でもあるわたくしの役目だと思うから」
意味を捉えられずに首をかしげると、アトリは扇をこちらへ向けて尋ねてきた。
「ヴァル、どうしてこの国の貴族たちが詩を重んじるかわかるかしら? そこに彼らの伝統と文化があるからよ」
藤色の瞳を輝かせて、親友が語る。
「大公領には力があるでしょう。軍事力があって、財力があって、魔導工学がある。それでも貴族たちは魔術師を軽んじるわ。魔術師には伝統も文化もない、野蛮な民だと嘲笑う。───わたくしはいつか、我ら魔術師の知の集積をもってして彼らの横っ面をひっぱたいて差し上げるわ。わたくしたち魔術師にも歴史があり文化があるのだと、わたくしの人生を賭けて証明してみせる。それこそがわたくしの夢よ。───……こほん。いえ、少し喋りすぎたわね」
ヴァルは思わず目を見開いていた。
長い付き合いであっても、今までアトリから夢の話を聞いたことはなかった。彼女がディン家を継ぐのは決定事項のようなもので、アトリ自身も以前から両親に代わって社交界に出ていた。だからだろうか。さらにその先まで踏み込んで考えてみたことはなかった。アトリがディン家の当主として何をしたいのか。そんな話を聞くのは初めてだった。
(……今までどこかで、アトリにとって大公閣下の孫であることは辛くもあるのだと思っていた……)
親友が血筋を誇りに思っていることは知っている。
そして同時に、その立場に苦しんでいることも知っていた。
大公閣下の孫となれば誰もがゼインヘルドや、少なくともルインヘルド並みの実力のある魔術師であることを期待するから。アトリに大公家の一員、閣下の孫としての強烈な自負があるだけに、魔術師向きではないという現実はいつだって彼女を痛めつけているように見えた。
けれど……、ちがったのだ。いや、すべてが違うわけではないのだろう。痛みは変わらずにあるのだろう。それでもアトリは自分の望む未来を見つけたのだ。掴みたい夢を、たどり着きたい場所を見つけたのだ。
「すごく……、いいと思う」
ヴァルは噛みしめるようにいった。
「すごくいい。それって最高だわ、アトリ」
「そうでしょう、そうでしょう。ホホホ、わたくしを崇め奉りなさいな!」
「ふふふ、今のうちに拝んでおこうか? アトリは世界で一番美しくて格好良い女だわって」
「ふん、お前の世辞など聞きたくないわ」
「本気だってば。本当に格好良いと思っているの」
アトリは頬をうっすらと赤く染めて、こちらを睨みつけた。
「黙りなさい。お前ときたらすぐにそう軽薄な賛辞を口にするのだから、まったく忌々しい。お前は昔からそうよ。わたくしが己の不幸を嘆き悲嘆にくれている最中でも、お前は能天気な顔でずかずかと押し入ってきてはわたくしの名を呼んで……。わたくしが嘆いていられなくなったのはすべてお前のせいだわ! お前のせいでわたくしは真剣に己の道を考えなくてはならなくなったのよ!」
「はあ……。よくわからないけど濡れ衣じゃない?」
「覚えておきなさいな、ヴァルキリア。わたくしはお前に褒められたくらいで喜ぶような軽い女ではなくてよ!」
「照れてるならそう素直にいえばいいのに」
「お黙りなさい! そもそもこんな話をするつもりではなかったわ。お前が余計なことを言うせいよ」
「八つ当たりじゃん」
「言葉遣い!」
「八つ当たりではありませんの?」
「だまらっしゃい」
「なにをいっても駄目ではありませんの」
「いいから本題に戻るわよ。そう、お前とゼイン様の話よ。わたくしが思うに、ヴァル。ゼイン様は無意識のうちにはお前を愛しているわ。けれど自覚されていないの。なぜならそう、お前があまりにも女性として意識できない女だからよ……!」
「あんまりではありませんの?」
大きく嘆くようにいうアトリに、ついぼやき声が出る。
しかしアトリはこちらをじろじろと上から下まで眺めていった。
「恋する乙女の服装ではないわ」
「魔術師としての服装ですのよ!?」
「偽装とはいえ婚約をしたばかりで、相手はお前の片恋のゼイン様。この王都に来るまでの旅程でも二人きりの時間はあったでしょう。それなのに、魔術師としての服装ですって? 軍時代から変わらないその色香も愛らしさもない装いで、お前を女として見ろというほうが無理があるでしょう。それともお前はその服装にこだわりがあるというのかしら?」
「いや、だって、魔術陣が刻んであるし、便利だし、動きやすいし、慣れてるし……」
「つまり惰性ということね! そんなことだろうと思ったわ。お前ときたら昔から自分の職務にすべてを注ぎ込むような女で、わたくしが与えなくては美しい髪飾りの一つも身に付けないのだから。なんて世話が焼けるのかしら」
一応、大公家の侍女たちの名誉のためにいっておくと、装飾品の類はきちんと用意されている。魔道具としてではなく、大公家の令嬢としてのものだ。ただ単に、自分が『緊急時には邪魔になるから』といって付けないでいるだけだ。アトリが用意した物だけは例外なのは、身につけないとぶち切れられて部屋に乗り込まれて、無理やりにでも纏わされるからだ。
「そもそもお前、ゼイン様に意識してもらうための努力はしたの?」
「死んだ方がマシとまで言われたら引き下がるしかないと思いますの」
「けれどゼイン様にも情はあるのでしょう。お前のために偽装婚約するほど大事に思っているのだから、お前から押していきなさい」
「簡単にいわないでよ。ただでさえ迷惑をかけてる状況なんだから、この上困らせるような真似はできないわよ」
「いっておくけれど、ヴァルキリア。わたくしはお前よりも恋愛事に詳しいわ」
「詩や小説で読んだだけでしょうが」
「お前はまだゼイン様が好きなのでしょう。なら諦めるには早くってよ。あの方を見惚れさせられるように努力なさいな。お前がどうしてもというなら、このわたくしが力になってあげてもよくってよ。わたくしはセンスと美貌を兼ね備えた大公閣下の孫娘、ゼイン様とも従兄妹ですもの。お前よりはあの方の好みを把握しているわ」
アトリがそう胸を張る。
ヴァルは少しばかり押し黙って、それからモヤっとした気分のまま口を開いた。
「……前から一度聞いてみたかったんだけど」
「なにかしら?」
ヴァルは眼をすがめて、正面の美しい幼馴染を見つめた。性格は苛烈でも、男性なら十人中十人が恋に落ちそうな儚い佳人である。
「アトリは……、ゼインのことどう思ってるの?」
「……なんですって?」
「従兄妹なら結婚できるじゃない。ゼインは性格はアレだけど実力はあるし格好良いし、アトリに対しては態度も丁寧だし、二人が並んで立っていたら美男美女でお似合いだなってわたしでも思うし……。もしアトリがわたしに遠慮してるなら、その必要はないと一度いっておかなきゃとは思っていて……」
アトリは呆気にとられた顔をして、まじまじとこちらを見返した。
「ヴァル、お前、まさか───、わたくしに嫉妬しているの?」
「いや、そういうのじゃなくて……」
歯切れ悪く否定して、それから否定しきれずにうつむいた。
「ごめん、嘘、そういうのもある……」
わずかな沈黙が落ちる。
そしてアトリは弾かれたように笑い出した。
「オーホッホッホ! 気分がいいわ! 今夜はなんて素晴らしい夜なのかしら! お前がこのわたくしに嫉妬しているだなんて! 筆頭魔術師のお前が、このわたくしに嫉妬を! これほど愉快なことがあったかしら! オーホッホッホッ!」
「し、信じられない……っ、普通笑う!? こういう時に高笑いする!? なんかこういい感じの友情の言葉とかいってくれるものじゃないの!?」
「安心なさい。わたくしはゼイン様には微塵も興味がないわ」
「……本当に? もしわたしを気遣ってくれているなら」
「昔から思っていたのだけど、ヴァル」
「うん?」
「お前は殿方の趣味が悪いわ」
アトリがきっぱりと断言した。




