3.内戦回避のための政略結婚
「願望だけでも大問題だわ! なんてみっともないことを考えるのかしら! お前がそんな弱腰だから、あの女が調子に乗るのよ。王太子殿下だって、国王陛下だってそうよ。お前は曲がりなりにも我が大公家から選ばれた次期王妃だというのに、こんな狭くて暗くて貧乏たらしい部屋をあてがわれるなんて、大公家が軽んじられている証拠よ……!」
アトリがハンカチを噛みしめて叫ぶ。
この同い年の美少女が激しいのはいつものことだ。とはいえ自分も、今日はさすがに疲れた心地だったので、投げやりにいった。
「苦情の申し入れはしているよ。……というかこの部屋、そんなにひどい? 日当たりは悪いけど、調度品は結構高そうじゃない?」
「苦情では足りないからこうなっているのでしょう!? いい加減、大公領に使いを出しなさいな! お前ごときの手にはあまりますと、大公閣下にみっともなく泣きついて助力を請えばいいわ。そうしたら───」
「国が二つに割れて、戦争になるでしょうね」
淡々といえば、アトリは怯んだ顔で押し黙った。
※
自分の養父であり、アトリの祖父であるフェルディナス・ギルガード大公閣下には、いくつもの異名がある。
“魔術師たちの王”
“暴竜を制した者”
“炎の英雄”
一番有名なのは“魔術師たちの王”だろう。
今からおよそ五十年前の話だ。千年の長きにわたって国を守ってきた対魔物の結界が、ついに力尽きて消滅した。魔術師たちは結界が限界に近いことについて、再三王家に報告し、対処を求めていたが、平和に慣れ切っていた人々は何の手立てもしないまま、そのときを迎えてしまった。
そして魔物の軍勢による蹂躙が始まった。
王家は有効な対抗手段を持たなかった。王家と中央貴族にできたことは大門の扉を閉めることだけだった。悲鳴を上げ続ける各地方からの救援要請を無視して、王都の守りだけを固めた。
逃げ惑う人々を守り助け、異形の魔物たちと相対したのは、王家や貴族たちが『汚れ仕事』と蔑んできた魔術師たちだった。
その中でも圧倒的な才覚を発揮したのが現大公閣下であり、当時は貧しい男爵家の三男だったフェルディナス・ギルガードだ。
彼は最強の炎の魔術師だったが、己一人で魔物の軍勢に対抗できるとは考えなかった。フェルディナスは冷静であると同時に革新的だった。
当時の魔術師というのは社会的な地位が低く、人里離れた場所で暮らし、師から弟子へほそぼそと受け継がれていく技術だった。しかしフェルディナスは相棒のヤナ博士とともに知識と技術の体系化を図り、魔道具の開発によって財源を確保し、魔術師たちを集めて組織を編成した。
人が集まればそこは村となり街となる。フェルディナスは軍功を上げるたびに褒賞として領地を拡大し、領内における自治裁量を強化した。魔術師たちの軍勢を率いて魔物の群れと戦う一方で、領地の整備にも力を入れ、魔術師を育成するための学園も設立した。
やがて彼は、その功績によって、大公位と領内の自治権を勝ち取った。
フェルディナスとその一族であるギルガード家の躍進に、危機感を覚えた貴族たちは多かっただろう。それでも誰も表立って批判することはできなかった。
長年、異形の魔物相手の汚らわしい仕事として見下されてきた魔術師たちは、その大多数がフェルディナスの姿に希望を見出し、彼の側につくことを望んだからだ。
───フェルディナス・ギルガードは魔術師たちの王。彼を敵に回せばすべての魔術師たちも敵になる。
……実際に、大公家の内側にいる自分から見れば、魔術師たちもそこまで一枚岩ではないと思うけれど、外からの認識としてはそうなのだ。
やがて大公家は長い年月をかけて、国の四方に再び結界を張ることに成功した。これで、魔術師たちがその場にいなくとも、脅威度の高い魔物が国内に侵入してくるのを防ぐことが可能になった。それが二年前の話だ。
結界があれば、ある日突然上空に大型の魔鳥が現れて、その両翼で建物を次々に打ち壊して街を崩壊させていく……などという事態が起こることはない。
幻影の魔物が街中に現れて、その夜から誰もが夢の中をさまよい続ける……などということもない。
陸路を潰され、海路も潰され、町全体が孤立して怯え続けるということもない。
ひとまずの平和が訪れたのだ。
さて、そうなると次に起こることはなにか? 魔物と人間の戦いに一応の決着がついたなら、次は?
当然、人と人との争いだ。
大公家が勢力を増した分、向けられる妬み嫉みも増えた。王都の社交界では大公家は未だに魔術師ごとき、ただの成り上がりのくせにと蔑まれているし、豊かで広大な領地を持つ大公家を王家は良く思っていない。
また一方で、大公家及び魔術師側からの王家への恨みつらみも根深いものがある。この点については自分も気持ちはよくわかる。
魔物相手に必死に戦ったのも、死にかけたのも、仲間を喪ったのも、王家ではない。自分たちだ。この国と民を守るために血を流したのは、大公家と魔術師たちだ。安全な場所でふんぞり返っていた連中に、大きな顔をされたくない。
───なにが貴族だ。なにが王家だ。なにが尊き血だ。国家存亡の危機にあって何一つ役に立たなかった血筋に、何の価値があろうか!
それは自分だって心思う。
思うのだけれど、だけど、しかし。
(内戦は避けたい。絶対に避けたい。これはもう冷静な判断も何もない私情だけど、ようやくみんな家に帰れたんだから。これでまた戦争になるなんてごめんだわ。また戦場へ行けなんて命令は出したくないのよ!)
ヴァルは幼くして戦場へ出た魔術師だ。
大公閣下に拾われた後、魔術の才能を見込まれて、若くして部隊を率いる立場になった。部下はみんな年上だったけれど、自分を信じて戦ってくれた。自分もまた彼らが大切で、守りたかった。
……それでも、どうあがいても守り切れないこともあった。
ようやく我が家に帰ることのできた人々に、もう一度命を危険に晒せとはいえない。いいたくない。
もっとも、魔術師は蔑まれてきた歴史が長いからこそ誇りを重んじるものだ。誇りを踏みにじられたなら、彼ら自身は躊躇なく戦いへおもむくだろう。
そうわかっていても自分には誇りよりも命が重い。
大公家の重鎮方は好戦的だったが、幸いなことに、大公閣下の長子である次期当主フィンヘルド・ギルガードはヴァルと同じ穏健派だった。
ヴァルにとっては父親ほどの年の義兄である。この政略結婚の話を成立させたのも彼だ。
───なにも戦う必要はありませんでしょう。我ら魔術師の子が、いずれ王冠を被ればいいのです。
大公閣下と重鎮方にそう説いて回り、同時に王家にも圧力をかけた。
実際に戦になれば大公家が勝つだろう。けれどやすやすとは行かない。王家の求心力が落ちていようとも、大公家の躍進を妬む者たちは揃って王家の側につくだろう。大公家は辛勝となり、再び国土は荒れ果て、虎視眈々と機を窺っている隣国に攻め込まれることだろう。
そんな亡国の未来へ足を踏み入れないだけの理性が、王家にも───というよりも、王家を支える宰相にあった。
そうやって、自分とアルフレート王太子殿下の婚約は成り立ったのだ。
だからこそ、露骨な冷遇も、ミアを王宮に住まわせていることも、未だに理解できない。なんで? と、素で呆気にとられた心地になってしまう。
アトリがわめく通りに、自分が大公閣下に泣きついたりしたら、響き渡るのは雷鳴、燃え盛るは煉獄の炎といったところだ。大公閣下自らが先陣を切って戦場を駆けられることだろう。
想像しただけで頭が痛いし胃もしくしく痛い。
ローテーブルを挟んで向かいに座ったアトリに、紅茶を飲みながらぼやいた。
「ミア嬢はともかく、王太子殿下が何を考えているのかさっぱりわからないのよね……」
なにをどう話しても現状の危うさを理解してもらえない。
最近では話すたびに自分が削られるような気がして、顔を合わせることさえ憂鬱だ。
もっともアルフレートが激しく叱責してくるのは、いつも決まって彼の執務室でのことだ。
ほかの場所───つまりアルフレートの側近以外の誰かがいる場面で、第三者の眼がある場所で、彼が高圧的な態度を取ることはない。ミアを想っている素振りは見せるけれど、そのくらいだ。
一応、彼としても両家の関係に考慮しているということなのだろう。
だから自分も、アルフレートの豹変については誰にも話していなかった。これ以上、不穏の火種を増やしたくはない。
自然とため息が零れる。
アトリが忌々しそうにいった。
「お前が侮られているからよ」
「だから、大公家の娘を侮る理由がわからないんだって……。わたしが養子だから? でも、殿下は大公家の血筋を尊んでいるわけでもないのに」
「それでも閣下は貴族の出よ。貧乏貴族だったと仰られているし、閣下ご自身は生家に何の思い入れもない方だけれど、王家からすれば一応は貴族の一員でしょう。それに比べてお前ときたら氏素性のわからない下賤な女よ」
「ハイハイどうせ下賤ですよ」
「───ッ、誰が受け入れてよいといったの! 侮りを受けたなら相手の命をもって償わせなさい! お前は我が大公家の一員であり筆頭魔術師なのよ!」
「うわっ、突然キレるのやめてくれない、アトリ……? びっくりしたわ」
「お前という女は本当に……ッ、昔から本当に腹立たしいこと……!!」
「つまりわたしが閣下の養女だから駄目ってこと? それなら婚約前に言ってほしかったわ。血筋なんて改善しようがないんだから」
婚約が成立する前にいってくれたら、次期当主のフィン様は自分以外の令嬢を婚約者にしたことだろう。婚約前ならやりようはあったはずだ。