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27.取引としての結婚②


 そう覚悟を決める自分の前で、赤い瞳は、はっきりと呆れた色合いになった。


「俺が色恋に興味があるように見えるか?」


「それは、まあ、うーん……。でも、ほら、しばらく会わない内に変わっている可能性もあるかなって」


「恋だの愛だの面倒な話は、よそでやってくれ」


 あぁ、うん、こういう人だった。

 こういう人だったなと、少し遠い眼になった。


 この整った容姿に、大公閣下の直孫であり、火の筆頭魔術師だ。女性にモテないはずがない。中央都市を歩いているときには、憧れの眼差しを向ける女の子から手慣れた様子の色っぽいお姉さんにまで、幅広くお誘いをかけられていたものだ。


 けれどゼインは、恋愛など面倒なだけだと公言するような男だった。実際、自分の知る限りでも、その手の好意を持ってアプローチしてくる女性相手には、この上なく冷ややかに対応していた。


 女性嫌いというわけではない。ゼインは仕事上の付き合いなら普通に接するし、男女で態度を変えることもない。必要な場面であれば愛想笑いを浮かべることもできる。やろうと思えば大抵のことはそつなくこなせるのだ、ゼインヘルド・ギルガードという人は。


 ただものすごく面倒くさがりで、怠け者で、戦闘と睡眠以外に興味がないだけだ。


 そういうゼインだから、自分と結婚するくらいなら死んだ方がマシだといっていたのも、嫌われているわけではないのだとわかっている。こんな取引のための結婚に付き合ってくれるほど、幼馴染としての情はあるのだろう。


 でも、だからこそ恋愛感情を向けられることに困っている。良き友人ではあるが女としては見れない。その手の愛情を期待されても応えられない。


 ……そういうことだろう。

 納得してしんどくなっていると、ゼインがいった。


「俺よりも……、お前はどうなんだ」

「なにが?」

「王太子」


 ああと、ヴァルは腕組みした。


「今回の件は絶対に何か裏があると思う。あのアルフレート殿下が自分から王宮を去るなんて考えられないわ。庶民の暮らしができる人じゃないもの。だけど、使者は本物だった。それなら殿下が王宮にいないのは事実なんだろうけど……」


 自発的な失踪ではなく、誰かに誘拐されてしまい、王家はそれを駆け落ちと偽っている……というセンもなくはないが、可能性としては薄いだろう。誘拐なら警備の者が罰せられても王家が責任を問われることはない。大公家に対して賠償責任を負うこともないのだ。偽る必要があるとは思えない。


 だとしたら、やはり自分から姿を消したのか?


 けれど、あのアルフレートが自ら王宮を去り、姿を隠すという状況が想像できなかった。王宮での支持は高く、信頼が厚かった王太子だ。こういっては言葉が悪いけれど『人気取り』が上手かった。あの美貌と気品あるふるまい、爽やかな笑顔に巧みな弁舌。表向きは完璧な王太子殿下だった。信奉者もいただろうし、望めば人知れず王宮を抜け出すこと自体は不可能ではなかっただろう。


 ───けれど、何のために?


 ミアとの愛のためなんてとても信じられない。


「考えられるとすれば……、ギリアス宰相との対立が悪化して、殿下派の貴族の元に身を寄せているとか? でも、王宮を出る必要がある? ギリアス宰相は殿下の暗殺までは考えないと思うけれど……。わからないな、王宮は今どうなっているんだろう」


 自分が王宮を出てから、大公家に到着するまでの旅程も含めてすでに二週間以上が経過している。その間に何かが起こったのだろうか。


 状況が読めない。そう考えこみながらゼインを見ると、彼は呆れた顔をしていた。


「そういう話を聞いたわけじゃないが……、お前にとって傷になっていないことはわかった」


「傷? ……まさか、わたしが殿下の駆け落ちにショックを受けているって?」


「まさかときたか……。『アルフレート殿下はこの世のものとは思えないほど美しくてお優しくてまさに絵にかいたような王子様だったわ』などと語っていたのは誰だったかな」


「ふふふ、わたしですね……」


 ヴァルは顔色を悪くして眼をそらした。


(だって、あれは『あなたのことはもう吹っ切っているから安心してね!』というアピールだったから……!)


 言われてみると、ゼインの前でアルフレートの素晴らしさを熱く語った記憶はちゃんとある。なんということでしょう。一生忘れていたかった。


「んんっ、ほら、一緒に暮らさないと見えてこない本性もあるっていうじゃない?」


「……お前が王都へ発つ前に、何かあれば父上に相談しろと俺は念押ししたはずだが、実行には移せたのか?」


「はっはっは、自力で解決しました。褒めてほしい」


「……そのおおよその問題を解決できる程の能力と、抱え込む性格と、無駄に強い責任感が最悪の相性になっているといつになったら自覚できるんだ、お前は?」


「一人でどうにかなる範囲だったのよ。無理ならちゃんとほかの手を考えました」


 ゼインは明らかに信じていない眼でこちらを見た。

 なんて疑り深いのか。戦場で自分が無意味に強がって救援を要請しなかったことなんてなかったはずなのに。

 するとゼインはまるで心を読んだかのように「そういう話をしているんじゃない」とため息混じりに呟いた。

 ヴァルはどこか気まずい気持ちになって、話を逸らすようにいった。


「殿下との関係を心配してくれたことはありがとう。まあ、万が一本当に駆け落ちだったとしてもショックは受けないわ。それならむしろ祝福する。でも、実際には何かが起こっているとしか思えないのよ。だから、どちらかというと心配なのは……」


 ミアのほうだ。アルフレートは王族であり、その身が脅かされることはそうないだろう。けれど、ミアは地方の男爵家の令嬢にすぎない。


 ヴァルはちらりと上目遣いに目の前の男を見た。


「ねえ、ゼイン。何が起こっているのかを調べるために、明日にでも王都へ向かって出発したいなっていったら……」


 紅の瞳が失笑した。お前は馬鹿か? といわんばかりである。


「俺の知らない間に水の筆頭魔術師殿はずいぶんと()()()なられたものだ。この状況下で、お前が王都へ行くことを閣下がお許しになると? 驚いたな、いったいどれほど楽天的に物を見たらそんな考えに至れるんだ? ぜひ教えてもらいたいものだ」


「いってみただけじゃないの……」


 ヴァルは憮然とした。


 成り行きでゼインと結婚することになってしまったけれど、一応自分の立場はまだ王太子の婚約者だろう。ただし、王太子の駆け落ちによって破綻した契約だ。

 王家側も固唾をのんで大公家の出方を窺っているだろうことは想像に難くない。閣下は開戦を取り下げられたが、火種はまだ立派に燃えている。王家側で何が起こっているのかさえ、正確につかめていないのだ。フィン様が鎮火のための後処理をするまでは、自分は大公領から出るべきではないだろう。それはわかっている。


「でも、絶対に何か起こっているし、王都にいるアトリのことも心配だし、それに……」


 言いよどむと、ゼインが軽く眉を上げた。


「それに、なんだ?」


 わずかに迷ったけれど、結局はミアのことを打ち明けた。

 もしかしたらフィン様や大公閣下を相手に己の意見を通そうとする事態になるかもしれないのだ。『忌々しい王太子の愛人』を大公領で保護することなど、自分一人の力では叶わないだろう。こういうときは頼れる幼馴染を巻き込むに限る。必要なときは救援を請えといわれたばかりであるし。


 ゼインは頭が痛いといわんばかりの顔をした。


「何でもかんでも拾ってくるな」


「拾ってないわよ」


「お前のその悪癖は閣下にそっくりだな」


「えっ、そう? 似てる?」


「喜ぶんじゃない。反省しろ」


 そう睨まれても、養父に似ているといわれたら嬉しいのが娘心というものだ。


 ゼインは心底面倒くさそうなため息をついていった。


「ひとまずは様子見だ。王都の状況が不明なまま動くんじゃない。父上が探らせているはずだ。その結果次第で、お前の味方になってやるかは考えてやる」


「助かる~!! ありがとう、ゼイン」


 ゼインは怠そうな顔をして立ち上がり、ドアの所までいってから立ち止まった。


「ヴァル」


 こちらを向くことなく、ドアを見つめたままゼインはいった。


「これは偽装結婚だ。離婚は難しいだろうが……、形だけの夫婦だ。お前は自由に生きろ。お前が誰と恋に落ちようと、俺は応援してやるさ。いずれは皆も納得するだろう」


 一瞬、声が出なかった。

 まるで不意打ちを受けたかのように、喉の奥が詰まる。


「……ええ、わかってる。まあ、なるべく早く離婚できるように頑張るから! 安心してよ」


 ゼインが振り向く。その顔はひどく優しかった。


「ああ、そうだな。期待している、水の君殿」


 ドアが閉まり、ゼインが去って行く。

 彼の足音に耳を澄まし、完全に聞こえなくなったのを確認してから、震える息を吐き出した。


「……っ」






 ───泣くな。






 わかっていたことでしょう。


 わかっていた。これはゼインにとって酷く不本意な結婚だろう。それでもゼインは譲ってくれた。許してくれた。ゼインは戦場を愛する男だ。自分のように平和を求めていたわけじゃない。彼には内戦を忌避する理由はなかった。それでも、自分のために譲ってくれた。助けてくれた。偽りの愛を口にしてくれた。


(これ以上、何を求めるっていうの)


 自分を助けてくれた。それがゼインの優しさだ。

 わかっているのに。




 ───ヴァルキリアを愛しています。




 あれが真実であったらと思ってしまう自分が憎かった。






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