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26.取引としての結婚①


「結婚式は三か月後にしましょう」


 そう、にこにこというフィンヘルドを止められる者はいなかった。


 もちろん、ヴァルは「それは急すぎませんか」と口を挟んだ。フィンヘルドの側近たちと、数時間前までは“未来の王太子妃”のための結婚の支度を取りまとめていた女官たちも悲鳴を上げた。


「三ヶ月!?」


「三ヶ月って、あの三ヶ月ですか!?」


「ゼロからやり直しなのに、三ヶ月でどうにかなると!?」


「式場すら決まってないのに!?」


「じゃあ花嫁衣装は流用してよろしいですね!? 駄目!? もう一度いってください耳が悪くなってしまったみたいで ─── 、いえ、それはもちろんわかっておりますけど! あんなクズとの式のためにあつらえたドレスでは、ゼインヘルド様との素晴らしい祝いの場にはふさわしくないとわかっておりますけれど三ヶ月!?」


 ……と、阿鼻叫喚のありさまだったが、フィンヘルドは押し切った。


(まぁ、フィン様ができるというなら、できるんだろうけど)


 フィンヘルドは財政面においては大公家のトップだ。商人たちには陰で狸親父などと呼ばれているらしい。あの優しげな容姿は、狸どころか、何も知らない者が見たら画家か楽師かと思うところだろうけれど、実際、実力と財力を兼ね備えた実務責任者であることは、自分もよく知っている。


 そしてフィンヘルドが、急な結婚式という難題へ皆の意識を向けさせることで、王太子の駆け落ちの話を霞ませてしまいたいのだということもわかっていた。



 ※



 フィンヘルドの執務室を出ると、ヴァルは自室にゼインを誘った。


 人目のない場所で二人きりで話をするには、いくらこの城が広くとも、自分たちのどちらかの部屋しかない。そしてゼインの部屋は本人が「呼びつけられるのが面倒だ」などという理由で、執務室などがある中央からは遠くはなれた城の中でも森に近いような端に位置している。フィンヘルドの執務室から行くなら、自分の部屋のほうが断然近かった。


 昔は───まだ魔物との大戦中は、帰城のタイミングが合ったときにはよくお互いの部屋で過ごしたものだ。もっとも話すことといえば、敵の動きや、次の戦へ向けてのことばかりだ。甘い会話なんてものは存在せず、気心の知れた友人としての軽口程度だった。そして戦争が終わり、自分が王太子の婚約者となった後には、二度と二人きりになることはなかった。戦場育ちと嘲笑われようと、そのくらいの常識は自分にもある。


 だけど今はゼインが自分の婚約者だ。二人きりになったところで何の差し障りもない。 ─── 婚約者! ゼインが! 頭を抱えて、そのまま地中深く埋まりたくなる響きだ。




 秋の日が落ちるのは早い。自室のドアを開けると、室内はすでに真っ暗だった。

 ゼインが軽く手を振る。それだけでランプに備え付けられた魔道具は、魔力に呼応して明るい光をまき散らした。


(相変わらず、制御力が高いな……)


 四人の筆頭魔術師たちの中で最も強いのは誰か? という問いかけがある。市井の人々が好む雑談の一つだ。火・水・風・土、四人の筆頭魔術師が戦ったら誰が勝つか? 大抵の人は自分と同じ属性の筆頭魔術師を推す。水の魔術師としてやはり水の筆頭魔術師こそ最強であってほしい、というわけだ。


 気持ちはわかるけれど、実際に四天に尋ねたなら答えは一つだ。


 ゼインヘルド・ギルガード。蒼天すら赤く染める者。業火の魔術師。


 仮に天候や土地という外的要因を加えたところで最強は揺らがない。ゼインの強さは底知れない魔力量と、それを恐ろしく緻密にコントロールする制御力だ。並の魔術師なら脳が壊れるような同時制御すら平然とこなしてみせる。


 自分の部屋のこのランプも、簡単そうに見えて実は灯すのが難しい。自分は今までに何度も力加減を誤って壊しているし、アトリは「こんな厄介なランプを使うくらいなら、普通に蝋燭を買ったほうがまだ使い勝手がいいわよ」と拒否したくらいだ。持続性と安全性でいうなら、蝋燭より断然上なのだけど、魔術師からあまり人気はない。あの若き天才である魔道具師グレイトスの作品の中では、初期の失敗作だといわれている。

 しかし、自分は何度壊そうとこのランプを使っていた。可愛い弟の作品である。使わない理由はない。


 ゼインにソファを勧めて、二人分のお茶を淹れる。

 ティーカップをローテーブルにおいて、ゼインの相向かいに腰を下ろして、それから深く頭を下げた。


「ごめん、ゼイン」

「……お前に謝られるいわれはないが」


 あなたが、わたしを妻にするくらいなら死んだ方がマシだと思っていたことを知っている……とは、いえなかった。いうべきだったのかもしれない。何もかもを打ち明けてしまうべきだったのかもしれない。けれど、口にする勇気が出なかった。


 だから、頭を下げたまま続けた。


「わかっているでしょう。わたしは閣下の御心を動かすために、あなたとの結婚を取引材料にした。わたしはあなたの人生を犠牲にしたのよ」


「ヴァル、思い上がるな。俺はいつだって、俺の望むことしかしない」


 ゼインは嘲笑うようにそういった。それはまったくいつも通りの彼だった。


 おずおずと顔を上げると、ゼインは軽い口調で続けた。


「だから今までも面倒な会議には出なかっただろう?」


「いやそこは出なさいよ」


 思わず突っ込んでしまう。


「足を運ぶことさえ億劫で寝ていたというのに、お前が出ろとうるさくて台無しだったがな。何度寝込みを襲われたことか……」


「わたしが叩き起こして引っ張っていったことだけは感謝してほしい」


「婚約はともかく……、結婚式など面倒だな……。そうだ、お前一人で式を挙げたらどうだ?」


「あっはっは、本当の意味で襲ってあげましょうか?」


「はっ、本当の意味で? 花嫁らしく寝台で襲ってくれるのか?」


「この野郎」


「おやおや、実に軍人らしい口調になっているぞ、水の君殿?」


「まあなんてふざけた台詞をほざかれる御方かしらね!!」


 ヤケ気味にいうと、ゼインが楽しげに笑った。


 その様子に、自分も少し身体から力が抜ける。


 確かに、ゼインのいう通りだ。彼は戦場では恐ろしく頼りになるけれど、それ以外ではワガママだし面倒くさがりだ。フィンヘルドの呼び出しすら無視することのある男だ。フィン様がかすかな怒りのこもった声で「ゼインはまだ来ないようですね」と呟くので、自分がゼインの部屋のドアを蹴破って、寝汚い男の首根っこを掴んで、フィン様の前まで引きずっていったこともあった。


 ヴァルは意識的に気持ちを切り替えていった。


「ひとまずは結婚するしかないだろうけど……、なるべく早く離婚できるようにするから」


「無理だろう」


「あっさりいわないでよ」


「事実だ。受け止めろ。父上や閣下がこのチャンスを逃すはずがない。あの二人は俺たちの離婚など断じて許さないだろうよ。……馬鹿だな、お前は」


 紅の瞳が歪む。まるで痛みに耐えているかのように。


「内戦を起こしたら、こちらにも犠牲が出るとでも訴えればよかったものを、こんな……。これはお前にとって最も損な取引だぞ」


 その声には怒りがあった。まるでヴァルこそが不本意な婚約を強いられた本人であり、ゼインはそのことに腹を立てているかのようだった。


 一瞬戸惑って、彼を見返してしまう。


 最も損な取引? こちらにとって? ここは『お前はいいかもしれないが俺は不本意だ』といってもいい場面だろうに?


(だって、わたしがゼインのことを好きだって、気づいてるはずだよね……?)


 気づいているからこそこのままではヴァルと結婚させられてしまうと思って、フィンヘルドに抗議したのではなかったのだろうか。え、まさかちがったの? ただ単に周囲の結婚を期待する視線が鬱陶しかっただけ? 


(まさか、わたしがゼインを好きだって気づいてない!? そんなことってある!?)


 いやいや、それこそまさかだ。ゼインは最悪の面倒くさがりだけど、鈍感な人間ではない。自分の露骨だった好意を察していないとは思えない。


 だけど、それならどうして、自分のほうが気遣われている側なのだ。どう考えてもここはゼインのほうが気の毒がられる場面だろう。


(あっ、まさか、『失恋しているのに契約結婚なんて可哀想に……』ということ!? そんな斜め上の心遣い!?)


 あり得るだろうか。普通ならないと思うけど、ゼインならあり得るかもしれない。いらなすぎる気遣いである。まずは死んだ方がマシな女と結婚する羽目になった自分を憐れんでほしい。


 そうつらつらと心の中で思ったものの、さすがに口に出すにははばかられた。


「犠牲が出るという話はフィン様がすでにしていたのよ。でも、駄目だった。だから……」


 だから、あんな茶番劇をした。この人の優しさに付け込んだ。


 波立ちそうになる心を抑え込んで、じっとゼインを見つめて尋ねる。


「ゼイン、これは大事なことだから、正直に答えてほしいんだけど……、恋人はいる? 恋人じゃなくても、好きな人はいる?」


 もし、いるといわれたら、その人に土下座して謝らなくてはいけない。





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― 新着の感想 ―
政治パート、手に汗握って読ませていただいていました! 会話を書くのがお上手な作家さんは緊張感のあるシーンが上手い……! そして、いつものラブコメすれ違いコントの匂いが漂い始めたため嬉しくて感想をしたた…
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