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24.間章-フィンヘルド・ギルガードの場合-


「アトリから手紙が届きました。ヴァルは王宮であまり歓迎されていないようです。一度大公家へ戻らせて、本人から話を聞きますね」


 大公の執務室で、父親に向かって手紙を見せながら、フィンヘルドはそう告げた。

 言葉の白々しさはぬぐえない。大公家の娘が王宮で苦労することなど、わかりきっていた話だ。ヴァル本人が助力を求めてくるならばともかく、アトリからの手紙一つで今波風を立てる必要はない。あれはヴァルに任せた戦場だ。もしヴァル自身が身動きの取れない状況になったとしても、補佐としてリエルを付けている。


 大公は感情の読めない眼でこちらを見る。


 フィンヘルドは動じなかった。元より、これは自分の裁量の範疇だ。大公閣下に伺いを立てているわけではなく、決定事項を報告しているに過ぎない。


 実際、大公はフィンヘルドを咎めはしなかった。

 ただ、嘆息混じりにいった。


「今さらだ、フィンヘルド」


「……私は諦めませんよ」


 それだけを返して執務室を出る。これ以上父親と話しても、平行線をたどるだけだとわかっていた。


 どうにもならないのだ。

 ヤナ博士の研究は未だに光明の一筋もさしてはいない。自分や大公では何の力にもなれない。唯一、事態を動かすことができるのはヴァルだけだ。だが、今はまだ彼女に真実を打ち明けることはできない。それをすれば、ゼインは───。


(ヴァルから助けを求めてくれることを、期待していたんですけどね)


 王宮でひどい仕打ちを受けている、どうか助けてほしい。そんな手紙がヴァルから届くことを期待していた。それだけが唯一ゼインを動かせる材料だからだ。

 けれど、叶う可能性の低い望みであることもわかっていた。


 ヴァルはいつも笑っている。明るく朗らかでいる。生まれ持った気質や性格以上に、そうであろうと努力して微笑んでいる。だからあの娘は───、甘えることが苦手だ。弱音を吐くことも。

 

 それを知っているからリエルを付けた。

 知っていてなお、ヴァルが困り果てて実家に泣きついてくれることを期待してもいた。


(最低だな、私は)


 そう自嘲してみたところで、変わる気もないのだけれど。




 自分の執務室へ戻り、窓際に立って夜空に浮かぶ丸い月を見上げる。

 白光を放つ満月は、美しさよりも禍々しさを感じさせた。


 ……あの夜も、こんな月だった。冥竜との戦いから、父と息子が帰還した夜も。


 フィンヘルドは冥竜オルガヘイムとの戦いに赴かなかった。父である大公に留守の守りを命じられたからだ。あのとき大公は、己が戦死した後のことを考えていたのだろう。それは十分に起こり得ることだった。それほどの敵だった。

 ゼインヘルドは幼くともすでに圧倒的な才覚を発揮していた。あの子は戦いを怖れることがなかった。命懸けの戦場こそに歓びを覚えてしまうような息子だった。

 だからゼインヘルドは連れて行く。

 だが、後継者であるフィンヘルドまで死なせることはできない。己の死後、混乱する大公家を収める者が必要だ。

 父がそう考えていることはわかっていた。その判断の正しさも。だからフィンヘルドは歯を食いしばって頷くしかなった。


 あの夜、フィンヘルドは待っていた。じりじりと焦げ付くような衝動を胸の内に収めながら、皆の無事の帰還を待ちわびていた。


 思い出す。十五年前のあの日から、それは繰り返し、繰り返し、瞼の裏によみがえる。

 あの日、冥竜オルガヘイムに敗北したあの戦場で、すべては変わってしまった。





 ───冥竜の心臓はどこにあるのか?





 それは地獄にあるのだ。








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