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21.芥砂


 現在、大公領においては、魔物の心臓を故意に融合させることは固く禁じられている。禁術指定されている魔術はほかにもあるけれど、心臓の融合は特に事情が事情なので、大公家の研究者たちも手を出さない。


 まあヤナ博士だけは『研究狂い』と呼ばれるような方なので、この件に関しても密かに研究を進めているとか、いやさすがに大公閣下が許されないから進めていないとか、いやいやヤナ博士ならやりかねないとか、いろいろと噂はあるけれど。


 しかしヤナ博士の最大の研究は心臓の内側にある芥砂の活用だ。


 魔物の心臓は、硬い外皮を破壊すると中から赤色に鈍く輝く砂が出てくる。これを芥砂と呼び、この状態になったら魔物が復活することはない。


 そう、芥砂になったら無害なのだが、魔術師ではない一般の人々から見たら、恐ろしい魔物の一部であることに変わりはなく、かつて魔物退治を請け負った魔術師たちは芥砂を持ち帰るところまでが仕事だった。そして溜まっていく芥砂に困って、魔術師だけが行けるような山奥や洞窟の奥へ捨てに行っていた。魔術師だけが知る共有の芥砂廃棄場もあり、今や長い年月を経て地層の一部となっている。


 大公閣下はヤナ博士の研究を信じて投資した。その一環として、芥砂の多い山や土地をいくつも買い上げた。普通の人々にとっては忌み場だったから、どこも安い買い物だったのだろう。


 そして、閣下の右腕たるヤナ博士は、芥砂を魔術の力───”エネルギー”の貯蔵庫へ作り変えることに成功した。芥砂に一定の処理を加えることによって、魔道具の動力源とすることに成功したのだ。この研究は魔導工学と名付けられ、これによって魔道具の性能は飛躍的に伸びた。


 ヤナ博士が基礎を築いた魔導工学を、さらに広範囲へ発展させようと推し進めたのがフィン様だ。魔術師の戦闘を補助するものだった魔道具に手を加えて、農耕や建築などの分野においても助けとなる道具へと転換させていった。この魔道具展開による生産力の強化は、大戦の最中であっても大公家を支え、莫大な財をもたらした。


 フィン様が自立型魔道具の開発にも熱心だということは知っていたし、芥砂のさらなる改良に力を入れていることも知っていた。


 それでも、目の前の”列車”には言葉を失ってしまう。


 芥砂にもランクがある。強大な魔物から得た芥砂は質がよく、複雑な魔術を貯めることも可能だ。一方で弱い魔物の芥砂は従来の魔道具とさほど変わらない。大きな力を貯めることは難しい。───難しい、はずだった。


 まさか、芥砂の中でも特に質の悪い低級のもので、暴走も融解反応も起こさずに、車輪をレールに沿って動かすという、いくつもの魔術を融合させたのだろう結果を生み出すとは。


 うまく言えないが、松明だと思っていたものが太陽になったような、そんな衝撃だ。

 魔導工学の進歩をすごいと思う一方で、未知への恐れも感じてしまう。




 ヴァルはことことと走る小さな列車に、もう一度視線を落としていった。


「それは……、下手をしたら、世界が変わっちゃうんじゃない?」


 冗談めかした口調のつもりだったけれど、声には動揺が残っていた。


「ああ。フィン様は魔道具を一般化させるおつもりだろう。魔術師ではない人々の生活まで魔道具に依存させる。魔術師を排除することのできない世界を作り、その上で大公家が頂点に立つ。……俺の予想だけどね。おそらくそれがフィン様の野望だ」


 大公閣下は魔術師と非魔術師を明確に分ける。閣下だけでなく、五家の当主たちも同じだ。


 魔術師が今よりもずっと蔑まれ、底辺の存在として扱われていた頃から戦ってきた古参の臣下たちは、魔道具の一般化を認めないだろう。それこそ貴族たちまでが魔道具の恩恵を受けるとなれば、強硬に反対するだろう。王家や貴族に対して長年の雪辱を晴らさんとすることはあっても、同胞として扱うことはあり得ない。自分の政略結婚が認められてもなお、これはあくまで大公家の戦力を充分に整えるまでの時間稼ぎだと認識している方々もいる。大戦の始まりから知り、泥沼の戦場を駆け抜けてきた方々にとっては、王侯貴族は魔術師を踏みにじり続けてきた敵だ。


 けれどフィン様は同化させるつもりなのだろう。


 人は一度覚えてしまった便利さを手放せない。快適な生活に慣れるのは一瞬でも、その逆は酷く苦痛を伴う。自分だって、もしも風の道が今後二度と使えないといわれたら、あまりの不便さに嘆くだろう。

 人々の生活を底上げする魔道具を開発し、広く普及させる。その一方で魔道具に関する知識と権利を大公家が占有する。莫大な財が大公家に流れ込むことだろう。同時に民衆からの支持も得られる。誰も不便な生活には戻りたくないからだ。いずれ王家すら大公家の顔色を窺うことになるだろう。


 敵を滅ぼさんとする閣下と、内側から実権を握ろうとするフィン様。


 それは確かに───、いくら大公家が頂点に立つという目的が同じでも、対立は避けられないだろう。




「───もし、そうだとしても」




 一度目を瞑り、それからグレイを見据えていう。


「十年、二十年で現実になる夢じゃない。フィン様だって、少なくとも今は現状の平和を維持したいと考えておられるはず」


 列車も試作機が作られている段階だ。魔道具が人々の生活に浸透するまでは、まだ長い時間が必要だろう。


「あの方は短絡的な方じゃない。それに閣下への忠誠心が欠けている方でもない。フィンヘルド様が大公閣下に背くことはあり得ないわ」


「……姉さんのいいたいことはわかるよ。でも、俺は姉さんが心配なんだ。もしものときには、俺よりもずっと巻き込まれやすい立場だから。肝心のゼインも役に立たないみたいだしね。だから───、忠告しておく」


 グレイはわざわざこちらの傍まで来ると、ごく抑えた声で囁いた。


「フィン様が冥竜の心臓を手に入れようとしているという噂がある」



 ※



 行きはあれほど楽しかった風の道を、どんよりとした気分で飛んでいく。


 冥竜の心臓。それは心臓の融合と同じほどに、大公家の中では禁忌になっている存在だ。


 今からおよそ十五年前、冥竜オルガヘイムは突如として復活の咆哮を上げた。

 光の大神がその身と引き換えに倒したといわれる伝説の邪竜だ。魔物と呼ぶことが適切なのかもわからない、神話の中の怪物だ。この千年間、冥竜が復活したことは一度もなかった。


 しかし怪物はある日突然このアンディルア王国の上空に現れて、その咆哮一つで都市を焼き払った。


 騎士の剣も盾も蝋より脆く溶かされた。光の大神が冥竜を打ち倒すときに用いたという神剣が、王家には代々受け継がれていたが、戦場に出てくることはなかった。王家が神剣を騎士団へ授けることもなかった。所詮はレプリカだったのだろう。

 抗うことができるのは大公家しかいなかった。大公閣下は万全の支度を整えて一軍を率い、冥竜オルガヘイムと戦った。けれどそれはあまりに絶望的な戦いだったという。


 大公閣下や当時の筆頭魔術師たちが力を尽くしてもなお抑えきれず、大公家の軍に多大な犠牲を出した。荒れ狂い、猛威を振るう冥竜との戦いにおいて、最後まで立っていたのは大公閣下一人だったといわれている。


 そして、閣下でさえ、冥竜の心臓を破壊できなかったのだと。


 心臓の外皮の硬さは魔物の強さに比例する。閣下をもってすら破ることのできなかったそれは、放っておけばまた冥竜として再生してしまっただろう。だから閣下は心臓を持ち帰り、ヤナ博士の協力を得て、厳重に封じ込めることにした。冥竜の心臓は今も、大公家の城の地下に保管されているのだという。


 自分も実物を見たことはない。地下への入り口には常に見張り番が立っているし、興味本位で覗こうとも思わなかった。


 一度だけ、自分の()()()()()()()()が発覚したときには、この力なら冥竜の心臓も壊せるのではないかと提案したこともあった。けれど、ゼインが珍しく苦虫を嚙み潰したような顔になって「……ヴァル、その話は二度とするなよ。俺以外の誰が相手であってもだ」といったので大人しく引き下がった。

 ゼインは冥竜と戦った当事者だ。彼が無理だというのならそうなのだろう。


 心臓から得られる芥砂は、強い魔物のものであればあるほど質がよく、上級のものとして認定される。冥竜の心臓であれば、それこそ最高級だろう。魔道具へ活用できたなら、大公家にとってどれほど強力な武器になるかわからない。開発途中の“列車”にも大いに貢献してくれるだろう。


(でも、閣下でさえ封じるしかなかった心臓に、フィン様が手を出すとは思えないわよ)


 そもそも手に入れたところで壊せるのか? という話だ。


 実物を見たことがないので、どういう封印をしているのかとか、今はどういう状態なのかとかはわからないけれど。

 ただ、冥竜との戦いで大勢の魔術師が犠牲になったことは知っている。


 先代の水の筆頭魔術師も、そのときの怪我が元で歩けなくなり、軍を引退したのだ。まあ歩けないだけで、はちゃめちゃに元気なおば様だけど。


 ため息とともに風の道を通って大公家に到着する。


 こうなってくると、情報を得られそうな相手はあと一人だけ、ゼインだ。当事者の一人である次男のルインヘルドですら何が起こっているかわからないというなら、ゼインに聞くしかない。あの人はサボりまくっているわりに情報を持っている。


 いくら会うのが気まずくても、背に腹は代えられない。

 ただ、自分の気持ち以外にも大きな問題があった。


(王太子の婚約者であるわたしがゼインを訪ねていったら……、その挙句に内密な話があるからと二人きりになったら……)


 大公領の皆だけは大喜びしそうだ。破談ですか! と嬉々として聞いてきた顔が思い浮かぶ。落ち着いてほしい。破談ではない。







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