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18.万年昼寝男


 思わず額を押さえて呻いた。


「あのサボり魔……! どうせ家で寝ているだけでしょう!?」




 ヴァルはゼインのことが好きである。死んだ方がマシとまでいわれても、まだ恋心を捨て切れない程度には根強く好きである。


 しかし、それはそれとして、ゼインのことを『この人ろくでもないな』と思ったことは数えきれないほどある。何なら、あまりのろくでもなさに、ゼインを好きだと認めたくない気持ちもあったし、ついに否応なしに自覚することになったときには『どうしてこんな人を好きになってしまったんだろう』と嘆いたものだ。


 これは決して身分差などからくる『手の届かない人を好きになってしまった……』といった嘆きではない。

 こんな性格の悪い万年昼寝男をどうしようもなく好きになってしまって、気づかない振りもできないほどに恋心が育ってしまったことへの嘆きである。

 ゼインより強い魔術師は大公閣下以外にはいないが、ゼインより性格がよくて真面目な人間はいくらでもいるというのに。


 そのくらい、ゼインは昔からやる気がなかった。

 サボり魔で、隙あらば寝る男だった。


 会議中に堂々と胸の前で腕組みをして寝ている人間なんて、自分はゼイン以外に知らない。というか、ゼイン以外には許されないだろう。あの人は戦場での功績があまりにも大きいから周りも目をつぶっているだけだ。いや、もはや諦められているだけといったほうが正しい気もする。自分が何度会議用の卓の下で、あの堂々と寝る男の足を蹴り飛ばしたことか。


 ゼインがやる気を出すのは戦場だけだ。楽しそうに嗤うのも、紅の瞳をあかあかと輝かせるのも、命をかけて戦っているときだけ。


 ……あとはまあ、訓練でこちらをボコボコに叩きのめして楽しそうに見下ろしてるときだろうか。あまりにも性格が悪すぎます。


 そんな人なので、公式の場を欠席しているといわれても、それ自体には何の不思議もなかった。サボって寝ているだけだろう。問題は無理やりにでも出席させる人材が不足していることだと思われる。


(そうね、前はわたしが叩き起こして、会議でも式典でも引きずっていってたものね……)


 思い出して口元が引きつった。あれに関しては好きだからなんて理由ではなく、筆頭魔術師としての責任感だった。軍人たるもの規律は遵守しなくては、部下に示しがつかないではないか。




 ヴァルはため息をついていった。


「欠席扱いにして許すから出てこないんでしょう。ゼインは放っておいたら一年中冬眠中の熊みたいに寝て過ごすんだから、有無を言わさず首元めがけて氷剣を振り下ろすくらいでちょうどいいの。殺気がないと起きないんだから、あの万年昼寝男は!」


 弟の眼鏡の奥の瞳が露骨に呆れた色を浮かべた。


「姉さん、閣下の孫で火の筆頭魔術師でもある人間に向かって剣を振り下ろせるのは姉さんくらいだからな?」


「フィン様だってできるでしょう。そもそもフィン様があの人を甘やかすから……! ゼインの家まで風の道を引いてあげるなんて甘すぎるわよ。どうせ今もあっちの家に引きこもって寝ているんでしょう?」




 ゼインの実家は大公家の城だけど、それとは別に自分の一軒家も持っている。そのこと自体は悪いことではない。グレイだってこの学園都市に家を持っている。


 ただしゼインの場合は、立地が異常に悪かった。

 ものすごく辺鄙な山奥にあるのだ。家というより山小屋と呼んだ方が近い。周囲に立ち並ぶのは木々だけで、もしここで大公家を狙う暗殺者との戦闘が始まっても誰も気づかないだろうと思うくらいには人気がない。どう見ても大公家の直系男子が住む場所ではない。


 本人は「静かでいい。寝るには最適だ」なんてのたまっていたけれど、物には限度がある。さすがにこの立地は父君であるフィン様が反対されるだろうと思っていたら、なんと山小屋へ風の道が引かれた。自分がこの学園都市へ来るときに使ったあれだ。


 風の道は最速の移動と情報伝達を可能にする高度な技術だけれど、その分設置と維持には莫大な費用が掛かる。それまで大公家の城から引かれている風の道は、主要三都市と軍事的防衛拠点のみだった。気軽に創れるような代物ではないのだ。それなのにフィン様は、大公家の城からゼインの山小屋まで直通の風の道を引いた。


 当時のヴァルはおののいた。フィン様が意外と子煩悩なことは知っていたけれど、ちょっと甘やかしすぎではないだろうか。




「あのときは閣下も風の道に反対しなかったし、ゼインの功績を考慮して大目に見ているんだと思っていたけど……、とうとう見切りを付けられたってこと?」


「そう単純な話でもないだろうね。ゼインが欠席続きなのは事実だけど、だからといってルインを跡継ぎにするというのは、五家や軍が納得すると思う?」


「しないでしょうねえ……」


 いっそ一回くらい見切りをつけられた方がサボり癖が減るのでは? という気持ちもあるので、苦々しくいってしまう。

 しかし万年昼寝男だろうと、ゼインは軍からも五家からも圧倒的な支持を得ている。

 グレイも頷いて続けた。


「いくら一年間サボっているといってもね、たかが一年だ。ゼインは火の筆頭魔術師として前線に立ち続けてきた。四天の中では最も危険な戦場に立って、最も多くの人々を守り続けた魔術師だ。まだ若いんだし、休息も必要だろうというのが大半の見解だよ」


「あの人にそんないたわりは必要ないと思うな。絶対サボって寝てるだけよ」


「姉さんが王太子の婚約者になってしまったショックで寝込んでいるという説もある」


「な……っ、ぬっ、濡れ衣……!! あんまりな濡れ衣よ!!」


 グレイが眼鏡をキラッと輝かせていった。


「水の君がどうして王家なんかに!? ゼイン様と結婚して大公家を次々世代を担っていくものだとばかり思っていたのに! お二人がいてくだされば大公家も末永く安泰だと思っていたのに! ───と嘆く層は今でもかなりいる」


「……知ってる。知ってるからやめて……」


 うめき声が出てしまう。


 周りからお似合いだと思われていることは知っていた。正直にいえば自分でもそう思っていた。ゼインと結婚して家庭を築く未来を夢想していたし、あの人もそのつもりでいるんじゃないかと期待していた。完璧に調子に乗っていた。その結末が「結婚するくらいなら死んだ方がマシ」だ。古くもない傷口がぱっくりと開いた音がする。胸を抑えて息絶え絶えになると、グレイが気まずそうに謝った。


「ごめん。……話を戻そうか。ルインを跡取りにという噂は、ゼインの素行がそれほど問題視されているわけじゃないんだ。あの人は功績の方がはるかに大きいからね。ただ───、フィン様が素行を口実にゼインを跡取りから下ろそうとしているんじゃないかと疑われている」


「ああ……」


 ヴァルはげんなりと天井を仰いだ。


「いつものやつね? 下種の勘繰りでしょ」


「まあね。いつもの大公家不仲説も原因の一つではあるよ」


 口さがない外野のさえずりはいつも同じだ。




『フェルディナス・ギルガード大公は最強の火の魔術師。真紅の髪に真紅の瞳。誰もがひれ伏す魔術師たちの王。


 けれど息子のフィンヘルドは土の魔術師。栗色の髪に藤色の瞳。彼は戦いが不得手で金勘定が得意。哀れなほど父親には似なかった。


 ところが、なんということだろう。フィンヘルドの子であるゼインヘルドは火の魔術師だった。それも大公に次ぐ実力の持ち主。金の髪こそちがうものの、炎のごとき真紅の瞳は大公と同じもの。大公閣下の若き日によく似ていると、誰もかれもが誉めそやす。


 可哀想に可哀想に。哀れな哀れなフィンヘルド。


 大公はゼインヘルドこそ真の跡取りだといって可愛がっている。フィンヘルドは金を稼ぐことで父親の歓心を得ようとしたが、弱い魔術師だと蔑まれるばかり。ついには大公とフィンヘルドの間には亀裂が入り、修復不可能な対立へ。


 今やフィンヘルドは我が子であるゼインヘルドを疎んじているという。彼は自分に似たルインヘルドのほうが可愛いのだろう……』




 大公家で育った自分としてはツッコミどころ満載の噂である。


 確かにフィン様は大公閣下とは似ていないけれど、母君である大奥様によく似ている。(ちなみにフィン様は姪に当たるアトリとも似ている)

 戦闘においても決して弱いわけではなく、一流の魔術師である。(これに関しては閣下とゼインが破格すぎるだけだ)


 何よりフィン様が財政面を支え、戦時下においても真っ当な仕事と給金と食料を保てたから今の大公領の繁栄があるのだ。前線の軍と大公領の領民たち、双方を飢えさせなかったのはフィン様の手腕に寄るところが大きい。


 ……大公閣下とフィン様の間に何の確執もないとはいわない。あの二人の間にはいつも微かな緊張感が漂っている。何があったのかはわからないけれど、何かしらはあったのだろうと、自分にもわかる。


 だけどフィン様は敏腕だし、閣下がフィン様よりゼインを可愛がっているなんて事実はない。それにフィン様は風の道を引いてしまうくらいゼインに甘い。何ならルインのほうが同じ土属性の魔術師なのもあって、フィン様に厳しくしごかれている。


 ヴァルはため息を一つついていった。


「外野が騒ぎすぎなのよ。特に五家。閣下への忠誠心が、フィン様への色眼鏡になっているでしょう」


「でも、今回のことは俺も引っかかっている。ゼインの椅子にルインを座らせたら周りが騒ぐことくらい、フィン様にはわかっていたはずだ」


 グレイはそこで表情を曇らせて、声を潜めていった。


「もしかしたら……、フィン様は本当に閣下と対立するつもりなのかもしれない。姉さんを突然帰還させたのも、自分の味方に取り込むためだと思えば説明がつく」


 呆気にとられる自分の前で、グレイは真剣な顔で続けた。


「フィン様は姉さんたち筆頭魔術師を手中に収めることで、軍の支持を得るつもりなのかもしれない」


「待って待って、ちょっと待って、突然なにをいい出すのよグレイ? 五家の過激派よりおかしなことをいってるわよ。フィン様が大公閣下に反乱を起こすって? そんなことあるわけないじゃない」


「仮定の話だよ。もし閣下と対立したら、五家が閣下の側につくのは火を見るより明らかだ。対抗手段として、最低限、筆頭たちを味方につける必要があるだろう。───姉さん、今のうちに聞いておく」


 眼鏡の奥の若葉色の瞳が、深く重い感情を帯びてこちらを見る。


「俺も大公家には恩がある。でも、俺が一番大事なのは姉さんだ。何があっても姉さんの敵に回る気はない。俺は姉さんの側につく。だから教えてくれ。姉さんは───、どちらの味方に付く?」







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