11.大公家にて
帰還命令を出したのが次期当主フィンヘルドであろうと、大公家の城に戻ったなら真っ先に挨拶をするべき相手は決まっている。
「水の筆頭魔術師ヴァルキリア・ギルガード、ただいま戻りました」
大公閣下の広い執務室で、敷き詰められた絨毯の上に片膝をついて首を垂れる。ドレスはとうに脱いでいる。今は大公家の水の筆頭魔術師としての正装だ。
ゆったりとした長衣に装飾の施された布地を重ねて纏うのが一般的な魔術師の装いで、自分の場合は水の筆頭魔術師として青色を基調としている。首から胸元にかけてだけは雪鋼を薄く伸ばした鎧をまとい、腰は幅広の帯で締める。帯や袖口には金糸の刺繍が施されていて、これらは魔術を補助するための魔術陣でもある。肩から足元まで伸びるロープも同様に魔術陣が縫い付けられている。
王都の貴族や騎士たちが「流浪の民のような装いだ」とか「あんなひらひらした格好で戦えるものか」だとか蔑むのを耳にしたこともあるけれど、彼らは魔術師という生き物を知らなすぎる。魔術師というのは実用性を重んじるものだし、魔術師の装いというのは基本的に己の魔術を強化するために存在しているのだ。
もちろん、遊び心や洒落心を持つ魔術師もいるけれど、それはやはり若い世代に多い。歴戦の魔術師になればなるほど、すべての装いが戦闘に特化していることも珍しくない。
今、目の前におられる黒衣の大公閣下は恐らくその筆頭だろう。
室内にいるのは、自分以外では大公閣下とその補佐官だけだ。
艶のある黒の執務机と、その向こうに座る”魔術師たちの王”、フェルディナス・ギルガード大公閣下。
彼の背後には、壁一面をくり抜いてはめ込んだといわれる大きなガラス窓がある。そこに立てば、夜空の星明りと、地上にまばらに輝く灯火が見えることだろう。高い天井には魔道具のガラス灯が設置されていて、夜であっても昼のように明るい。
「よい。楽にせよ」
深く重い響きを持つ声に従って、ヴァルは立ち上がる。
御歳六十歳の大公閣下は、底知れない紅の瞳でこちらを見つめている。あの紅はまるで暗闇の中でどろりと輝くマグマのようだといったのは誰だったろうか? あれは警告の色だといったのは。決して安易に近寄ってはならない、大地すら支配する紅い瞳なのだと。
今の自分にはそう例えた人間の気持ちが嫌というほどわかる。背中にだらだらと冷たい汗が流れる。
(閣下のお考えが読めない)
いや、自分ごときが閣下の内心を読むなんて無理だろうが……、それでも戦に踏み切るつもりなのか否かだけは察したい。王家と戦うつもりで自分を呼び戻したのか、それとも。
城内をパッと見た様子では、戦支度をしているようには見えなかったけれど、ここまで急いできたから確証はない。
閣下に戦支度を命じられたら、どう答えるか。
覚悟を決めるように、ぐっと腹の底に力を込める。
しかし、追い詰められた心境の自分とは対照的に、閣下はふと表情を和らげた。
「よく戻った、ヴァルキリア」
「はい」
「夜も遅い。今日は休め」
「はい……。あの、閣下? わたしはなぜ呼び戻されたのでしょうか?」
「知らぬ」
ヴァルは目が点になった。
しかし大公閣下は、こちらの動揺を察しているだろうに、そこには何の言及もせずに淡々といった。
「そなたを戻したのはフィンヘルドだろう。本人に尋ねるがいい」
そういわれてしまえば、確かにその通りではある。とはいえ、この情勢下で突然自分に帰還命令を出しておいて、閣下が内情を知らないとは到底思えないけれど。
納得がいかない心地になりながらも、仕方なく頷いた。
「わかりました。では、御前を失礼させていただきます」
「あぁ、そういえば、フィンヘルドは商談に出かけていたな。一週間は帰らぬだろう」
「はい!?」
「まあ、ゆっくり休んでいけ」
閣下はそれだけをいって、手元の書類へ目を向けてしまう。
これ以上話すつもりはないということだろう。
ヴァルはしぶしぶと退出しながら、胸の内で叫んだ。
(なにがどうなっているのよ、これは!?)
※
ひとまず、王都から共に戻ってきた者たちには休むように伝えて、ヴァルもまた自室へ入った。
アトリは王都に残っている。一緒に帰ろうと誘ったけれど、あっさり断られた。「内戦にはならないでしょうし、なったとしてもお祖父様がうまくやるわ」といわれたら、自分もそれ以上はいえなかった。
この場合、お祖父様とは大公閣下のことではなく、アトリの父方の祖父であるディン家当主のことだ。生粋の貴族でありながら大公家と縁付きになり、魔術師たちと貴族たちの仲介役として立ち回ることに長けた古狸。確かに、あのご老体がいればアトリの身は安全だろう。
城内に戦の前の殺気立った様子はないし、話を聞いて回ろうにも夜更けだ。おとなしくベッドで休むことにした。
自分の留守中も丁寧に掃除してくれているのだろう。ふかふかのベッドは柔らかく全身を包み込んでくれて、瞬く間に眠りに落ちた。
翌日は、朝日の明るさで眼が覚めた。
あくびをかみ殺しながらベッドを降りてカーテンを開ける。太陽の高さに思わず苦笑いしてしまった。
これは完全に寝坊した。今から食堂に行っても誰もいないだろう。フィン様が留守だとしても、閣下と一緒に朝食を取りたかったのに。この城で暮らしていた頃なら侍女の誰かが起こしに来てくれたはずなので、これはもう閣下が「寝かせておけ」と仰ったとしか思えない。
お心遣いありがとうございます、閣下。でも一緒に朝ご飯が食べたかったです、閣下。
自室のクローゼットを漁り、魔術師としての軽装に着替えてから部屋を出る。昨夜のような正装ではない。あれは魔術の補助という面では強力だけど、その分値の張る装いなのだ。日常生活であんな高価な服は着ていられない。今日は長衣に前留めのショール、それに幅広の帯と首飾りだけという気楽な装いだ。
食堂で食事を貰うために歩いていくと、途中で会う人会う人に声をかけられる。
「ヴァル様! 本当にお帰りになられたんですね。侍女長から伺ってはおりましたけど、元気なお顔を見られて嬉しゅうございます。……ところでお嬢様? その庶民のような装いは何事ですか? お嬢様?」
「これは、水の君! いつから大公家にお戻りに!? 昨夜から? あぁ、そうでしたか。これは五家にもすぐに知らせを回さなくては。我らの水の君がお戻りになられたこと、心より嬉しく存じます。盛大な祝宴を設けましょう。……え? やはり火の君とご結婚されるのでは? ちがう?」
「ひゅー! ついに破談になったんですか、筆頭! 意外と長続きしましたねえ! 俺は二週間で筆頭が帰ってくる方に賭けてたんスよ! まあ賭け金はパーになっちまいましたけど、筆頭がお戻りになられたことは心よりお喜び申し上げます。ささっ、飲み会のスケジュールを組みましょ!」
……等々の声をかけられて、廊下を歩きながら首をかしげる。
ついでに最後の元部下だけは足元を凍らせてやった。まあ「あ~久しぶりの筆頭の魔術、サイコーっすね!」などとほざいていたので反省はしていなそうだったけれど。
(これはやっぱり、すわ戦か!? って雰囲気じゃないよね?)
内戦の噂があるなら、自分の姿を見かけても「破談になったんですか!」なんて嬉しそうな声は上げないだろう。そもそもなんで嬉しそうなんだ。元上司の破談を喜ぶな。
少々憮然としながらも、周りの気配に神経を尖らせて、慎重に歩いていく。
大公家の城は自分にとっては実家であり安全な場所だけれど、今となっては非常に危険地帯でもあるのだ。
なぜなら、大公閣下の孫であるゼインにとっても当然わが家だから。
(うっかり遭遇したらどうしよう)
もはや魔物との遭遇よりはるかに怖い。
いや、どうするもなにも普通の顔で接するしかないのだけど。ゼインはこちらが立ち聞きしてしまったことなんて知らないわけだし。自分と結婚するくらいなら死んだ方がマシとまでいわれてしまったけれど、だからといってゼインに嫌われているということでもないのだと思う。
彼に幼い頃から面倒を見てもらっていた自覚はある。夢遊病者のようになってふらふらしていたところを止めてもらったり、魔術の訓練をつけてもらったり。それは成長しても変わらなかった。ゼインは口が悪いし性格もたいがいだけど、彼がずっと自分を助けてくれたことを知っている。
そう、家族としては大事にされているのだ。
だから多分これは……。
(女としては見れない、ってことなんでしょうね……、ははっ……)
恋愛対象ではなかったのだろう。触れたいとか、キスしたいとか、そういう気持ちを抱く相手ではなかった。大事には思っているけれど、完璧に家族としての情であって、妻にするなんて死んでもごめんだという、そういうことなのだろう。
ゼインは悪くない。こればかりは仕方のないことだ。
自分が勝手に好きになってのぼせ上ってしまっていただけだ。……つらいけど。
気まずい再会を避けるべく、早々にフィンヘルドに会いに行くことを決める。
商談で出かけているという話だけれど、こちらから追いかけていけばいい。大公領なら馬より早い移動手段がある。
けれど、朝食を取りながら侍女長に尋ねたところ、
「フィンヘルド様は今後の大規模工房のための重要な商談の最中なのですよ。お嬢様といえども邪魔をしてはいけません。なに、たかが一週間です。久しぶりに実家に帰られたのですから、ゆっくりなさってください」
「……わたしは大急ぎで王宮を出てきたのよ? この情勢下でわたしがなかなか戻らなかったら、王宮の人たちが心配するに決まっているじゃないの」
「たんと気を揉ませてやればいいのです。どうせ王宮で歓待なんてされなかったんでしょう? お嬢様が気を遣ってやる必要はありませんよ」
そういうわけにもいかないだろう。
ため息を吐く。用件を済ませてすぐに王都に戻りたいところだけれど、この様子ではどうも侍女長は足止めを命じられているらしい。
次期当主のフィンヘルドは大公領の財政を担う存在だ。現在の大公領の豊かさは彼の手腕によるところが大きい。次期当主という責任ある立場に生まれなければ、商売人として名を残していたことだろう。立身出世の人物として名を轟かせて、大金持ちの大商人になっていただろう。そういう人物だ。魔物との大戦中でも飢えずにすんだのは、フィンヘルド・ギルガードがいたからだと誰もが認めている。
重要な商談だから来るなといわれたら、仕事の邪魔はできない。
(だけど、わたしが明確な理由も告げずに大公家に戻ったのだから、今ごろ王宮は内戦になるのかと大騒ぎになっているでしょう。フィン様にそれがわからないはずがないのに、何を考えてらっしゃるんですか?)
こうなると、頭に浮かぶのは一人。弟のグレイトスだ。グレイなら何か知っているかもしれない。
そう考えて、大公家を囲むようにして立つ円塔の一つへ足を向けた。
広大な大公領には三つの主要都市がある。大公家を中心にして、三角形を描くようにして並ぶのは、商業都市ディーナ、工房都市サルトル、そして学園都市ヒューロだ。都市と都市の間には農村地帯や鉱山があり、物流の商隊たちが各地を繋いでいる。また、三都市それぞれに長がおり、その三人と物流の長、農村などの生産地域の長の二人を合わせて五家と呼ぶ。大公閣下を長年にわたり支えてきた大公家の五つの柱である。
弟のグレイが暮らしているのは学園都市ヒューロだ。
王都なら移動手段は徒歩か馬だったけれど、この大公領にはそれらに加えて風の道がある。一言でいうならば空中通路だ。ただし、支えてくれる大地はない。
自分の魔術で空を飛ぶのである。




