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1.プロローグ


「逃げなさい! 逃げるの!  ───っ、お姉ちゃんでしょう? 弟を守るのよ。できるわね?」


 できないと叫びたかった。母の足を潰しているこの大きな瓦礫を必死で持ち上げようとする。だけど自分の小さな手では、それは無理なのだとわかってしまっていた。

 助けを求めて辺りを見回しても、街中が燃えている。魔物から逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえてくるだけだ。助けてくれる大人はいない。幼い弟はずっと泣いている。


 お母さんが自分の手をぐいっと掴んでいった。


「逃げるの! ……大丈夫、お母さんはあとから行くわ。すぐに追いつくから。それまできょうだいで助け合うのよ。ほら、走って。街の外まで行くのよ。ね、かけっこは得意でしょう? お母さんに足の速いところを見せてちょうだい」


「でも、でも……! まものが……!」


「行きなさい! 行くのよ! お母さんは大丈夫、約束するわ! 絶対にあとから追いつくから、先に行きなさい!」


 叱られるときと同じ厳しい声だった。その声に背中を押されるようにして、弟の手を掴んで走り出す。

 街中の景色が一変していた。建物は壊れて、炎が見える。ずっと煙の臭いがしている。細い道を必死で走った。途中で大通りに出ると、同じように逃げる人々の群れに追いついた。そこからまたひた走る。もう何も考えられずに、無我夢中だった。

 けれど、大門を出たときだ。


 背後でおぞましい魔物の咆哮が聞こえた。

 思わず振り返る。魔物の口から吐き出された炎が街中を焼き尽くしていた。


「お母さん……っ!!」


 悲鳴を上げて駆け出す。

 大門へ向かって。

 街中へ向かって。

 我が家へ向かって。

 お母さん、おかあさん、おかあさん、今たすけに行くから ───






「その先は崖だぞ」






 唐突にかけられた声が、世界を一変させる。


 燃やされた街も、おぞましい魔物の姿も、母の面影も、そこにはない。


 あるのは立ち並ぶ木々と、夜空に浮かぶ星々。そして爪先の向こうにある深い谷底だけだった。

 あぁ、と心の中で思う。夢だったのだ。あれは夢で……、変えられない過去だった。

 のろのろと振り向くと、金の髪に赤い瞳の男の子が立ってこちらを見ていた。彼のことは知っていた。自分たちきょうだいを引き取ってくれた人の孫だ。確か自分より三つ年上だった。


「……どうしてここに?」

「夜中に子供が城から抜け出してふらふら歩いていくのが見えたから」


 彼の眼差しはべつに心配しているわけでもなく、ただ事実を述べているだけだとでもいうような冷静さがあった。

 ぼんやりと彼を見つめると、彼はため息を一つ吐いて手を差し出してきた。逆らう気持ちにもなれず、ただその手を取った。

 森の中を、手を引かれるようにして歩いていく。

 彼は背が高く、自分より頭一つ分は大きかった。その後ろ姿を眺めている内に、不意に奇妙な衝動がこみ上げてきて、気づけば口を開いていた。


「夢を見るの」

「そうか」


「なんでかな。閣下にひろわれる前は見なかったのに。地面に寝ころがって寒さを我慢した夜だって、熱が出てくるしかった夜だって、一度もみなかった。……でも、いまは毎晩見るの。ふかふかのベッドの中で、毎晩、毎晩……」


「命の危険が去り、安全を確保したからだろう。よくあることだ」


「……そうなの?」

「そうだ」


「そっか……。夢の中でね、お母さんをたすけに行こうとするの」

「そうか」


「できるわけないのにね。お母さんはわたしが見捨てたの。お母さんががれきに挟まれて、にげられないってわかっていたのに、見捨ててにげたのよ」


「弟を連れてか?」


「 ─── うん……」

「弟を連れて逃げろと、母親にいわれたか」


「…………見捨てたの。見捨てたのよ! わたしが見捨てた!! お母さんがにげられるわけないってわかってたのに! 追いつくなんて嘘だってわかってたのに!! 見捨ててにげたの!!」


「お前の母親は魔物に襲われて親子三人とも死ぬよりは、子供二人だけでも生かそうとした。お前は母親の願いに応えた」


「ちがう……っ、そんなんじゃない、そんなんじゃ……っ」


 必死で首を振る。涙が頬を伝ってぼたぼたと地面に落ちた。

 彼の言葉を否定したかった。自分を責めてほしかった。お前のせいで母親が死んだのだと罵ってほしかった。だってそれが事実だから。


「お前に母親を救う力はなかった。三人で死ぬか、二人で生きるかのどちらかだ。母親はそれをわかっていたから二人だけでも生かそうとした。それが事実だろう」


 彼の言葉が、雨のようにひたひたと心に降ってくる。

 ぐすぐすと鼻をすすり、泣き続ける自分に、彼は足をとめて振り返った。そして呆れた顔でいう。


「俺は割り切りがよすぎるとよくいわれるが ─── 、お前は割り切ることができなすぎるな、ヴァルキリア」

「……だって、ゼイン、ゼイン……」


 訴えるように名前を呼んで、そこでふとためらいを覚えた。


「……ゼインヘルド様って呼んだほうがいい?」


 考えてみたら彼は閣下の孫で、養女の自分とはちがう偉い人だろう。

 そんなことを思い立って尋ねると、彼はバカにするように眉を上げていった。


「今さらか? ゼインでいい。お前にゼイン様などと呼ばれては寒気がする」







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