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9 ランドルフ

 ランドルフは昼前に見つかった。ぼんやりした顔をして、城の裏手にある用水路横のやぶから出てきたのである。見つけたのは洗濯番の手伝いをしているリーナだった。彼女は半魚人の娘である。しばらく前からこの魔王城で働いていたのだが、その日は洗濯桶の数が足らずにありそうな場所を探して歩いており、城の裏にある物干し台に置いてあったかどうか確認をしようとして、たまたまやぶのそばを通ったのだった。最初彼女はがさがさ動く茂みに仰天したが、それが数日前に到着した客人だと分かると急いで分かりそうな者を呼びにいった。

 やがてグランデやセラフィムが呼ばれ、後から前日一緒だったということでハンスも呼びつけられた。日の当たる明るい城の中庭で、若いランドルフは魔族達に取り囲まれた。

「どこに行っていたの」

 グランデが口火を切る。うう、とランドルフはうなった。眼鏡の下にあるブラウンの瞳はどんよりと曇ってしまっていた。

「待って下さい。様子がおかしいです」

 セラフィムが問い詰めようとするグランデを止めた。用心しつつ近寄っていってその眼鏡を外す。視線が合っていなかった。それだけではない。どこかしら反応も鈍かった。ハンスが言われてその手にある紋章を近づけたが、特に変化はなかった。

「天界ではない、ということね」

「そうですね」

 第一発見者のリーナはその周囲でおろおろしていた。半魚人であるほかはいたって普通の娘であるので、こんな事態にはまったく慣れておらず、ただどうしたらいいのか分からなくなっていた。

「あの、わたし、どうしたらいいですか」

 セラフィムが発見当時のことを彼女に聞いた。何度目かになったそれを、彼女はおろおろしながら話した。

「あの、洗い桶を探してここまで来たらそこの茂みが動いたんです。それで何かなと思って……」

 彼女は半魚人であるので、気にせずにやぶの反対側から用水路に降りて中に入った。底は平らに石で固めてあるし、水はふくらはぎ以下であったのでどうということはない。彼女はやぶの正面まで来て、突然にゅっと出てきた眼鏡の若者に思わず悲鳴を上げてしまった。

「でもここ、人がいられるほど広くありませんよ」

 ハンスが言った。そうなんですよねえ、とセラフィムが同意する。事実そのやぶは小さく、人間が中に潜むことは不可能であった。後ろ側に隠れていたのかとも思われたが、その場所の土は柔らかくそこにいたら足跡がつく。

「ちょっと聞いてみるわ」

 グランデが言い、竹定規を取り出した。ピシッ、ピシッ、とその定規を数回鳴らすととんがり帽子をかぶった小人が現れた。ノームである。

「ちょっと聞きたいんだけど」

 ノームは一同を見上げた。寝起きなのが丸分かりであった。

「ふぁい。なんでしょうか」

 あくびをしながらノームは言った。グランデはまったく期待できなかったが、それでもこう聞いてみた。

「このランドルフ君がそこの茂みから出てきたんだけど、様子がおかしいのよ。何か気づいたことはない?」

「ほえ?」

 目をこすりながらノームは返事をした。やっとしゃっきりしてきたらしい。ランドルフをじっと見て、人間ですか、と言った。

「そうよ。お客なんだけど変なのよ。昨日は普通だったんだけど」

 ううん、とノームは考え込んだ。それからこう言った。

「人間が来たらいくら寝てても気がつきますよ。すごい足音がしますから」

「ちょっと待って下さい」

 セラフィムが割り込んだ。ノームはそっちを見てひえっ、と言った。

「セラフィム様、なぜここに?」

 グランデが答える。

「どうにも分からないから呼んだのよ。城内のトラブルは彼の担当だもの」

 セラフィムが苦笑する。しかし気を取り直し、話を続けた。

「つまり足音がしなかった、ということですか? 彼はここにいたのに」

「そうです」

 少し態度を改めてノームは言った。

「その巨体でどすどす歩き回ったらどんなに寝てても気がつきます。だけど起こされるまで気がつかなかったってことは、その人間はここにいなかったってことです」

 みなは顔を見合わせた。でも、とリーナが言った。

「そこから出てきたのに。ちゃんと見ました、わたし」

 リーナが嘘をついているようには見えなかった。なので一同は違う可能性を探った。

「あのー、あれじゃないんですか」

 ハンスが言った。

「みなさん、瞬間移動していなくなるから、それとかじゃないんですか」

「ハンス君、跳べるの」

 すかさずグランデが言う。

「できません。すみません」

 まあまあ、とセラフィムがグランデをなだめた。

「飛ばされた可能性はありますよ」

 そうね、と彼女はそれには同意した。

「あるかもしれない。けど、それこそ魔王様とかセラフィムさんクラスでないと、人間だけを遠くから魔王城の中まで跳ばすなんて無理よ。私だって抱えて城門の内外を潜り抜けるのがせいぜいだわ」

 該当する人間だけをその場に送り込むのは、魔王と同等以上の魔力を持っていなければ難しいことだった。人間は思ったよりも質量があるのだ。セラフィムは考え込んでしまった。

「上から吊って降ろした、とかは駄目ですか」

 リーナが言った。グランデが答える。

「司令ならできるかもね。体力あるし」

「そうですね」

 セラフィムが同意する。

「ただサーキュラーさんは特別ですよ。あんな強度の糸を張れるのはサーキュラーさんしかいませんから。普通の金蜘蛛族の糸は、自分以上の加重がかかると簡単に切れてしまうんです」

 へえ、という顔をしたハンスとリーナにセラフィムは説明した。グランデはこのことは知っていた。

「それにそんなことをする理由がありません」

 そうよね、とグランデが答える。この頃やっとランドルフは正気づいてきて、まわりをきょろきょろと見回すようになっていた。

「あ、気がついたみたいです」

 ハンスがその様子を見て言った。グランデが彼を見下ろしながら言う。

「ランドルフ君、私が分かる?」

 彼はグランデを見上げてあー、と言った。それから眼鏡がないことに気がつき、地面の上を探し出した。

「ここですよ」

 セラフィムが持っていた眼鏡を渡す。彼はそれをかけると改めて一同のことをぐるっと見た。

「何かあったんですか?」

 グランデが竹定規を握り締め、ため息をついて言った。

「それはこっちが聞きたいわよ」

「何があったか話せますか、ランドルフさん」

 困ったようにランドルフはセラフィムとグランデを見た。それから泥を払って立ち上がり、見知った顔に混ざっているとんがり帽子のノームを見てぐらりと傾いた。

「わっ」

 あわててハンスが彼を支えた。そうだよ、そう、というようなつぶやきが聞こえ、ランドルフはしっかりとその場に立ち上がった。

「大丈夫ですか」

「はい」

 グランデはノームに帰っていいと言った。

「じゃ、これで」

 ノームは地底に消えていった。セラフィムもこう言った。

「みなさん、作業に戻っていいですよ。後はわたくし達でなんとかしますから」

 リーナは開放され、ハンスは作業に戻った。セラフィムとグランデはランドルフを連れ、城内へと歩いて行った。


 ランドルフはまた謁見の間にいた。真横にはグランデがつき、正面には魔王がいる。彼の話を重く見たセラフィムが魔王のことを呼んだのであった。もう一度お願いします、とセラフィムはランドルフに言い、ランドルフはぼんやりとした顔で同じ話をもう一度繰り返した。

「起きたら天空の城にいたんです。かすむ煙水晶石でできた、巨大な城でした」

 ほう、と魔王は話に聞き入った。記録をとっていたセラフィムがその記述を確かめている。彼が話しているのは古伝承に登場する失われた城であった。

「縦も横も大きくて、まるで巨人が住む城のようでした」

 淡い光が差し込むその城は青空の中に浮き、そびえ立っていた。ランドルフは気がつくと冷たい石の床の上におり、茶の濃淡と光沢が美しい窓枠から澄み渡った青空を眺めていた。

「それで、ここはどこなんだろうと思って外に出ようと思ったんです。僕はお城なんてここ以外行ったことはないですが、このお城じゃないことは分かりました」

 ふむ、と魔王は言った。

「続けよ」

 かなりの距離を歩いてランドルフは出口らしき場所にたどりついた。らしき、と言ったのは巨大すぎてよく分からなかったからである。半透明で茶の濃淡が混じりあう磨かれた石しかないその城を、彼はずいぶんと歩いた。出口と思われる場所についたが扉すらない。そして途中、誰の何の姿も見えなかった。

「それで、外に出ようとして階段を下りて……気がついたらここで地面に座ってました」

 魔王は王座から立ち上がった。つかつかと歩いてランドルフの前まで来て、しげしげとその顔を見た。

「ディラン・K・ランドルフだったか。ランドルフ宝飾店の店主であったな」

「そ、そうです」

 脂汗がランドルフの額から滴り落ちた。その様子を見ながら魔王は言った。

「お前が見たのはおそらく煙水晶の虚城であろう。この世界のどこにも属しておらぬ、旧世界の遺物だ。私も名前しか知らぬ。行き方も分からぬ。よくぞ戻ってきたものよ」

 ランドルフは魔王の顔を見た。困ったような表情をしていた。

「本来ならもう人界に帰ってもらって構わぬのだが、旧世界がらみになるとそうもいかぬ。済まぬがしばらくこちらにいてもらう。仕事があるなら持ってきてもよい」

「……しばらくって、どのくらいですか」

 仕事は問題なかったが、もしかしたら死ぬまでいなくてはならないかもしれない。そんな不安が頭をよぎり、ランドルフは思わずそう言ってしまった。

「物事が解決するまでだ。若い店主よ、お前の見たものは私だけでは片がつかぬかもしれぬ。それほどの事態なのだ」

 呆然とする彼を置いて、魔王は歩いて謁見の間を去って行った。セラフィムが謁見の終了を告げて急いでその後を追う。グランデとランドルフはしばらくその場で突っ立っていた。思った以上に重大な事態らしいことが分かって動けなくなっていた。

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