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7 魔王と神と人間と

 ハンスが城下の市場に行くというので、ランドルフもついていった。許可はセラフィムが出した。特に問題もなさそうだったし、城下の市場は賑わってはいるが魔王のお膝元ということもあって、大きな問題も起きたことがない。サーキュラーや四大将軍達がちょくちょく買い物に行ってぶらぶらしているせいもあった。ちなみにハンスは昼ひなかから一杯飲み屋の店先で、赤い顔をして馬鹿笑いをしているサーキュラーを見たことがある。声をかけたら小遣いをもらったので、それからはそういう時は見て見ぬ振りをするようにしていた。

「五百か金物の交換で」

 そう書いてある札を立てかけ、ハンスは通りの端でやかましく喋るマンドラゴラを敷物の上に広げた。そのうるささに顔をしかめながら、隣にいるランドルフはハンスに言った。

「いつもこんなことをしているのかい」

「そうです」

 ランドルフは地面に置かれているマンドラゴラを見て、それから物珍しそうに往来を眺めた。彼らのほかにもたくさんの露店が道端に並んでおり、中には小屋がけされていて、きちんとした店になっているところもあった。そんな店ではたいてい飲み物や軽食を売っていて、行き交うモンスター達は行儀よく並んでそれらを買い求めていた。

「給金をもらってないのか」

 ハンスは首を横に振った。

「そういうんじゃなくて、種や苗を買ったり、道具を新しくするのに使うんですよ。いいのじゃないとすぐ駄目になるから」

 話していると小柄で痩せた男が一人近寄ってきた。ランドルフは普通の人間かと思ったが、よく見ると尖がった鼻と左右に飛び出たひげが生えていた。

「いつもありがとうございます」

 ハンスはその男にマンドラゴラを二つ渡し、小さめな鎌を三つ受け取った。日にかざして刃を確かめると、彼はそれをマンドラゴラを入れてきた袋にしまった。

「さっきのは?」

「ジネズミのおじさんです。そこの角で金物屋をやってるんですよ」

 腰痛持ちなので時々店の商品を持ってきて、マンドラゴラと替えるとのことだった。マンドラゴラの粉末は痛み止めとしてよく使われる。

「鎌とかざるとか、いいものをいつも持ってきてくれるんですよ」

「……そうなんだ」

 今度はまた違う客が来た。年配の女性らしかったがコートのすそから大きな尻尾がはみ出ている。ハンスが何か言うとその尻尾がバタバタ動いて地面を叩いた。

「じゃあこれじゃ駄目かしら」

 女性がてのひらほどの箱を取り出した。開けて中を見せる。ハンスはうーん、と言うといいですよ、と言った。

「三つちょうだい」

 それからまたやり取りがあって、女性はマンドラゴラ三つとひきかえに、その小箱と硬貨を少し置いていった。ハンスは箱を開けてみて、また袋に入れた。

「何かな、これ」

 思わずつぶやいたハンスにランドルフはたずねた。

「何が」

 袋を覗き込みながらハンスは言った。

「さっきのだけどこれ、何の金属なんだろう」

 ふーん、とランドルフは言った。

「見せてみなよ」

 ハンスは小箱を取り出し、開けてランドルフに見せた。しかしランドルフにも分からなかった。

「分からないな、何だろう。こっち特有の金属っぽいけど」

「そうなんですか」

 その金属塊は潰れた円形に成形され、その全面には埃と汚れがこびりついている。ランドルフは汚れの薄くなった部分から見える色が持参したギンメルリングの色に似ていると思ったが、小箱に入っている金属塊はびっしりとこびりついた汚れで黒くすすけており、きれいに汚れを落とさないと同じものかどうかは分からなかった。

「おい」

 大柄な若い男が声をかけてきた。ハンスは小箱から顔を上げるとあれ、と言った。急いでそのふたを閉めると袋に放り込み、彼はやってきた大柄な男に話しかけた。

「えーと、ウリエルさん、でしたっけ」

「そうだ。よく覚えてんな」

 そこにいたのはいかにも御使いのウリエルであった。あの大きな翼は隠されていて見えないが、特徴のある黒髪はそのままだった。服装はどこかで買い込んできたらしい柄シャツとプレスのきいたズボンである。ただし足元はサンダルだった。しかし違和感はない。

 やっと普通の人間らしき者が現れたので、ランドルフは少しほっとした。だがその後のハンスの言葉にぎょっとしてしまった。

「だって何度も襲撃してきたじゃないですか」

「言うなよ。仕方なかったんだよ」

 嫌そうにウリエルが言った。さらにハンスは言葉を続けた。

「この間お城で捕まってましたよね。逃げたんですか」

「すげえ嫌なやつだな、お前……」 

 まあいい、とウリエルは気を取り直して言った。ハンスは軍手の下から洩れる青白い光に気づき、もう一枚上に革の手袋をした。

「結構な精度だな。お前がいる限り魔王城にはうかつに近づけねえ。ゼラフも拾い物だ」

 よっこらしょ、とウリエルは彼らの前に座り込んだ。汚れますよ、とハンスは広げた敷物の上に座るようにうながした。

「悪いね」

 パニックになっているマンドラゴラを寄せ、ウリエルは敷物の上に移動した。それからおもむろに細長い金属製の筒を取り出すと、それをハンスに見せた。

「これをゼラフに渡してくれ」

「何ですか、これ」

 大きさは大人の人差し指くらいである。よく見ると上半分はキャップになっていて、そこが取れて中身が出せるようだった。筒の周囲は細かい彫刻が一面にされている。ランドルフは思わずその細工に見入ってしまった。

「すごいな、これ」

 おや、という感じでウリエルはランドルフを見た。静かにしていたのでまったく視界に入っていなかったのであった。

「このメガネ、何だ」

「グランデさんのお客さんです。市場が見たいっていうんで一緒に来ました」

 ああ、とウリエルは言った。

「あの東国出身のジャージ女か。きついな、あの女。あやうく地底に落とされるところだった」

「そうなんですか。何をしたんですか」

「何もしてねえよ」

 忌々しそうにウリエルは言った。もういいか、とランドルフから金属筒を取り上げる。ランドルフははあっ、とため息をついてその筒とウリエルを見た。

「教会様式のかなり古い絵柄ですけど、これはどこで手に入れたんですか。こんな細かい彫りは初めて見ました」

「なんだよ、こいつもおかしいのか。あの城、こんなのばっかりだな」

 ウリエルがランドルフを見て言った。ハンスがぶうたれる。

「おかしいってなんですか」

「お前みたいのを言うんだよ」

 やっぱり、と思ったのが顔に出たらしい。ウリエルはそんなランドルフを見て言った。

「お前、人間か」

「はい」

 横柄な態度でウリエルは言った。

「おい、人間」

「は、はい」

「魔王を見たか」

「はい」

 その態度に押され、ランドルフは丁寧な言葉遣いで返事をした。

「どう思った」

「どうって……」

 思い返すとあの時の恐怖がよみがえってきた。ただそこにいただけだったのに、圧倒的な恐ろしさであった。

「怖かったです」

 他に何も言えずに彼はそれだけ言った。ウリエルは質問を続ける。

「お前なら神と魔王と、どちらを選ぶ。ただし神はお前のことなんか気にもしちゃいない。庇護なぞないものと思え。だが魔王はお前を守るだろう。いろんなものと引きかえにな」

「えっ……」

 ランドルフはすぐ真横にいるハンスを見た。

「いろんなものって、何ですか」

 彼は慎重に、注意を払いつつウリエルに質問をした。このチンピラみたいな若い男も人間ではない。それは分かった。では彼は何者なのか、ある答えがランドルフの頭をかすめたが、まさか、とも思ったのだった。

「そりゃいろいろだよ」

 ウリエルは言った。

「地位や身分だったり、まっとうな生活だったりな。おい、お前はなんで魔王城にいるんだ。聖痕なんかあるくせによ」

 聞かれてハンスは答えた。

「ジークさんの魔王城管理の兵士募集でここに来ましたけど、魔王様たちのほうがまともだったんですよ」

「まとも?」

 思わずそう言ったランドルフに、ハンスは答えた。

「食料も給料も全然なかったんです。送ってくるって約束だったのに食料は送られてこないし、給料は半年たっても出ないし。それで困ってたら魔王様達が帰ってきて、全部手配してくれたんです。城にいた人間全員分」

「そうなのか」

 ウリエルが言った。心底意外そうであった。

「他のみんなは帰りましたけど、僕はいてもいいって言われて仕事ももらったのでここにいるんです」

 それに、と彼は続けた。

「これじゃ帰れませんから。帰っても何もありませんし。ここはモンスターばっかりですけど、でもみんなよくしてくれますから」

 ハンスは言いながらちらっと革手袋をめくって見せた。その下では彼の手の甲についた紋章が、目を刺すような強烈な青い光を放っていた。

「それじゃな。ま、普通に暮らすんじゃ人界じゃやりづらいわな。けど教会へいけば遊んで暮らせるぞ」

「本当ですか」

 ハンスがびっくりした顔になった。本当だ、とウリエルは言った。

「しるしを持つ人間は大事にしてもらえる。どんな贅沢も思いのままだ」

 へえ、とランドルフが言った。ハンスはじっとウリエルの顔を見ていたが、でも、と言った。

「そのお金って、みんなの寄付ですよね?」

「そうだ」

「じゃ、そんなことできません」

 彼は続けた。

「僕、そういうの嫌ですから。雇い主が魔王様であっても自分で働いたほうがいいです。それにそんなことに使うお金じゃないでしょう」

「ま、そうだな」

 ウリエルが苦笑を交えつつ言った。ランドルフは何かが腑に落ちたような気がした。言葉を選びながら彼はさっきのウリエルの質問に答えた。

「僕は……神を信じてはいます」

「ほう」

「しかし実のところ、信じきることもできません」

「そうなのか。なぜだ」

 ウリエルが面白そうにたずねた。

「神がいるならばもっと世の中はよくなってもいいはずです。でもそうじゃない。その状態を試練だというのは本当のところごまかしだと思うんです。神はいない、もしくはいても何もしていない。魔王はいるんでしょう。実際に見ましたから」

 ここでランドルフは一息ついてウリエルを見た。

「しかし僕は魔王の配下になることもできません」

「理由は」

「恐ろしすぎます。神は守ってくれないかもしれませんが、魔王の元にいるのは……僕には無理です」

 くっ、と口元を吊り上げてウリエルは笑った。

「そうだよな、こうじゃなくちゃな。闇と魔物を恐れ、光と天を仰いで届かないことを知りつつも地道に生きる。それが人間だ。唯一神に祈りを捧げ、その祈りが届く日を待ちわびる。そして死んでいくんだ」

 ウリエルは立ち上がった。喋りすぎたと思ったようであった。

「それは必ずゼラフに渡せよ」

「あ、はい」

 あの、とランドルフは去っていこうとするウリエルに声をかけた。ウリエルが振り向く。

「なんだ」

「さっきのは聖典『神々の書』の詠唱で、第六段ですよね。あの、古語が正しく入ってるから正典だと思うんですが、どうしてそれを……」

 くくく、とウリエルは笑った。

「確か人界には写し間違えた写本しか残ってなかったな。欲しけりゃ貸してやるよ。どこへ持って行けばいい」

 思わずランドルフは言った。

「僕はランドルフ宝飾店のディラン・K・ランドルフです。店に届けてもらえば……」

「なるほどね」

 ウリエルは納得したようだった。彼は通りをぶらぶらと歩いて去って行った。

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