6 魔王城
借り受けたギンメルリングを持って、グランデは魔王城にやってきた。その後ろには眼鏡のランドルフがくっついてきている。グランデはとうとう城門前でランドルフに言った。
「ここから先は入れられないわ。ここで待っていて」
ランドルフは眼鏡の奥から彼女を見た。
「できません。僕も行きます」
「魔王城だから何もないわよ。何を心配しているの」
それに不審な者はやたらと入れられない。何度説明してもランドルフは首を縦に振らなかった。二人でわあわあやっているとよく晴れた青空が急に翳った。
「まただ」
「追い返せ」
衛兵の声がする。何人かが覗き窓から顔を覗かせて騒いでいた。
空を見上げると巨大な怪鳥がキエエエエエ、と鳴きながら飛び回っていた。ウリエルが持ち込んできたロック鳥である。ハンスがえさをやってしまったので飼われている小屋を抜け出し、たびたびやってくるようになっていた。グランデは邪魔にならないようにランドルフとともに脇に避けると成り行きを見守った。
城の中からは衛兵が数人出てきて矢を射かけようとしている。そんなことにはお構いなくロック鳥は耳障りな声で鳴きわめき、城の上空を飛んでいた。とうとう呼ばれたらしく、ハンスが城内からやってきてロック鳥に何か呼びかけた。するとさっきまで騒がしかったのがぴたっと静かになり、地上まで降りてきた。
「もう帰りなよ」
ハンスが何かを巨大な鳥にやると、鳥はおとなしくそれを食べて彼の顔を見た。彼はそのばかでかい顔を一なでする。すると満足したようにロック鳥は飛び上がり、上空を旋回して飛び去った。どうやら彼の顔を見に来たようであった。
「あっ、グランデさん。こんにちは」
端で様子を見ていたグランデを見つけ、ハンスが挨拶をした。こわごわとランドルフがグランデの後ろから出てくる。それを見たハンスが言った。
「あの、グランデさん。その人は?」
グランデは答えた。
「お客さんよ。ところでセラフィムさんに伝えてくれない? ギンメルリングの持ち主なんだけど一緒に中に入りたいらしいのよ」
「分かりました」
ハンスはそう言うときびすを返して城内に戻った。衛兵がグランデに敬礼する。彼女はそれを受け、ハンスが戻ってくるのを待った。
「思ったより普通ですね」
ランドルフが言ってきた。
「そりゃあね。彼は人間だもの」
「人間?」
そう、とグランデは言った。
「ここにいる人間は彼と料理番、それに洗濯番だけよ。後は姫君がいるけど、今は実家に帰省中」
話しているうちにハンスが戻ってきた。いいそうです、と彼女に言う。
「一緒に大広間に来て下さいって言ってました。魔王様もなんか一緒だそうです」
「あらそう」
歩きながらハンスは途中で中庭に向かう小道に入った。右奥には根菜類が植わっている畑が見える。マンドラゴラだ。ちょっと見にはごく普通の野菜畑にしか見えないが、誰かがそばに寄るとマンドラゴラは勝手に喋りだす。喋る中身はどうでもいいことなのだがかなりやかましい。なので玄関脇に警報装置として植える家もあった。
「マンドラゴラなんか作ってるのね」
グランデはその畑を見て言った。
「はい。ここちょうどいいんですよ。城下で売ればお金にもなりますし」
マンドラゴラの耕作には魔力の満ちた地が必要だ。なるほど、とグランデは感心した。マンドラゴラは魔王城近郊では作っていないので、遠方から運ばれてくる。従って城下ではそれなりの金額で取引されていた。
別れる寸前に彼はグランデにたずねてきた。
「あの、最近サーキュラーさん見ないんですが、どうしたんですか」
「司令は遠征と休暇よ」
ハンスがびっくりする。
「そうなんですか。どこへ行ったのかと思ってました」
グランデは笑った。
「しばらく戻ってこないと思うわ。ゆっくりできてよかったじゃない」
そうですけど、とハンスは言った。
「畑と庭の虫がすごくて……楽は楽なんですけど」
思わずグランデは声を上げて笑ってしまった。それからハンスと別れ、ランドルフを従えて大広間へ続く道を辿っていった。
グランデは謁見の間でひざまずいた。その後ろにはランドルフが落ち着かない様子で立っている。やがてセラフィムが入口から歩いて現れ、魔王が登場することを告げた。グランデはランドルフが立っていることに気づいて、半ば強引に石床にひざまずかせた。
「失礼よ」
引き倒されるような形でランドルフが床にかがむと、セラフィムが合図をした。すると無人だった王座についと人影が現れた。魔王の登場である。
「お探しのギンメルリングをお持ちしました」
その姿勢のまま、グランデは口上を述べた。ランドルフは頭をあげ、小さく悲鳴を上げてまた下を向いた。
「よい。顔を上げよ」
グランデは顔を上げて魔王のことを見た。立て、と言われたので石床から立ち上がる。ランドルフも一緒に立ち上がった。
「後ろの人間は何だ」
聞かれてグランデは答えた。
「ギンメルリングの持ち主でございます」
こづかれてランドルフは一歩前に出た。おろおろしているとグランデに名乗って、と言われ、彼は気圧されつつ自分の名を名乗った。
「ランドルフ宝飾店店主の、ディラン・K・ランドルフです。ギンメルリングの貸借を申し込まれましたので、僭越ですがここまでやって来ました」
「ほう。またおかしな奴が来たな」
魔王はそばにいるセラフィムにそう言った。はい、とセラフィムは素直にうなずいた。
「まあよい。で、そのギンメルリングはどこだ」
「ここにございます」
グランデが木箱を取り出して中を見せる。セラフィムが歩いてきてそれを受け取った。
「確かに」
中身を確認すると、彼は魔王の元にその箱を持って行った。魔王は中を見て、そのままセラフィムにそれを預けた。
「ご苦労であった」
魔王が言うとグランデは頭を下げた。
「ではこれはしばらくこちらで預かる。そこの人間はもう帰ってよいぞ」
「は、はい」
セラフィムが魔王に何か小声で言った。構わぬ、という返事が聞こえた。
「お急ぎでなければしばらく魔界に留まっていても構わないとのことです。城内でしたらわたくしが案内しますし、行き先があるならすみませんがグランデさん、お願いします」
この時にはもう魔王は消えうせていた。グランデはそうねえ、という感じでランドルフを見、セラフィムは謁見の終了を告げて二人に退出をうながした。当のランドルフは今頃になってようやく滝のような冷や汗とがくがく動く膝に気づき、歩くこともままならなくなっていた。
ランドルフは魔王城の中庭で呆然としていた。巨大な怪鳥やよく見たらリザードだった城の衛兵まではなんとかなった。一見普通そうに見えるがどこか異質な空気を持つ、白髪に赤いマントの魔王の従者もそういうものだと思えばやり過ごせた。
(たしかにあれは魔王だった)
見た目は彼とそう変わらない感じの若い男だったが、まとっている威圧感とその得体の知れない空気に、彼はすっかり縮み上がってしまっていた。あそこでよく自分の名前を言えたものである。あの時の自分をほめてやりたいようであった。
(あれは)
鳥を追い払い、グランデと話していた若者が少し先の花壇で剪定ばさみを持って作業をしていた。ハンスである。彼はそこから立ち上がるとそっちに向かってふらふらと歩き出した。普通の人間と話したかったのである。
「あの……」
ハンスが彼のほうを振り向いた。先ほどの位置からは見えなかったがその隣にはゴーレムが立っていて、彼はそのゴーレムと話しながら作業をしていたようだった。
「こんにちは」
ゴーレムはハンスに指示を出している。彼はその通りに花苗の余計な枝を切り払った。一通り作業が終わると彼はなんでしょうか、とランドルフに聞いた。
「その……」
ゴーレムが何かハンスにたずねたようだった。あの、と彼はゴーレムに説明をした。
「グランデさんが連れてきたんですけど、この人はお客さんです。入口で会いました」
ゴーレムは納得したようだった。続けてハンスになにやら指示を出すと、彼は分かりました、と答えた。
「じゃあ師匠、僕は畑に行ってきますね」
ゴーレムがうなずく。ハンスは散らばっている道具を取りまとめると、庭の隅にある物置小屋へ向かった。ランドルフはその後をついていった。
「あの……」
剪定ばさみや移植ごてを持ったハンスに、彼は後ろから話しかけた。ああ、とハンスはランドルフを見て立ち止まった。
「何ですか」
「あのさ……」
眼鏡を外し、それを拭いてまたかけ直す。それからランドルフは彼に話しかけた。この理解しがたい世界で、何か心のよりどころになるものがほしかったのであった。
「君、人間なんだよね? ここってどういうところなの?」
「どういうって……魔界の魔王城です」
平然とハンスは答えた。だからさ、とランドルフは聞こえないように言ってから、もう一度彼に話しかけた。
「魔界だっていうのは教えてもらった。魔王にも会った。だけどここはどういう、いったいどんな場所なんだ」
あー、とハンスは言った。どうやら相手が混乱しているらしいことが分かったのであった。彼は物置小屋からしょいことハンマーを持ち出すと、持ってきた剪定ばさみをしまって移植ごてとハンマーをしょいこにいれ、それを背負った。
「魔王様に会ったんですか」
「ああ。本物かどうかは分からないけど恐ろしかったよ。あんなこわい思いは初めてだ」
畑に向かう道を歩きながらハンスは言った。
「あの、本物なんですけど。それにそんなにこわくないですよ、魔王様」
「怖くない?」
「ええ」
そのハンスについて歩きながら、ランドルフは言った。
「君、人間だよな? なぜそんなに普通にしていられるんだ」
畑についたので、ハンスはしょいこを降ろして中から道具を取り出した。もう一度しょいこを背負い、右手にハンマーを持つ。それから何か根菜のようなものが植わっている畑にしゃがみこみ、その作物の葉をつかんで引っ張った。
「うぎゃああああ」
畑から悲鳴が上がる。ハンスは悲鳴を上げている作物の、地中から出ている頭の部分をハンマーで叩いた。すると悲鳴が止まった。
「やっぱり駄目か」
そう言うと彼はその作物を地面から引き抜いた。人型の根をした、顔のあるでこぼこしたものが引き抜かれてくる。マンドラゴラであった。
「そうですけど」
ハンスはそのマンドラゴラを背中のしょいこに放り込んだ。それからリズミカルに、一列に並んだマンドラゴラの頭部分をハンマーで叩いていった。
「それ、マンドラゴラってやつか?」
「そうです」
今度はその叩いたマンドラゴラをテンポよく引き抜く。マンドラゴラはおとなしく引き抜かれて背中のカゴに全部入った。
「なにしてるんだ」
あからさまに不思議そうな顔でハンスは答えた。
「何って、収穫です。これ、城下の市場で売るんですよ」
「そ、そう」
もう一回同じ作業を繰り返すとしょいこがいっぱいになったので、彼はハンマーと移植ごてを手に持って立ち上がった。と同時に気絶していたマンドラゴラが気づき、一斉にしゃべりだした。
「うるさいな、もう」
マンドラゴラがしゃべるのは今まで聞きかじった言葉や動物の鳴き声などである。それを脈絡なく一斉に大きな声で喚きたてるのだ。完全に気圧されてしまったランドルフに気がつき、ハンスはどうしたんですか、と言った。
「いや、うん。ここって魔界なんだなと思っただけだ」
「そうですよ」
ハンスは言った。ランドルフは収穫を終えて物置小屋に戻るハンスの後をついていった。何にか分からないが惨敗した気分であった。