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3 耽溺

 石牢の中にいるウリエルの前に、ぽん、と酒瓶が置かれた。けげんな顔をする彼に、格子の向こうからサーキュラーは言った。

「退屈だろう。差し入れだ」

 地獄への道は善意で舗装されている。そんな格言を思い起こすような光景であった。ただし、サーキュラーの行動は善意からではない。

「いいのか」

 ためらいつつもウリエルはそれを受け取った。彼が酒瓶から顔を上げた時には、もうサーキュラーはいなかった。その酒瓶が空になった頃、今度はファイが違う酒を持ってきた。

「……サーキュラー様がお前に渡せって」

 ファイもそれを置くといなくなった。なくなると次が渡される。すっかり酒浸りになった彼の前に、サンダーが果物の蜂蜜がけをもってきた。それから彼を牢から連れ出し、違う広い部屋の柔らかなソファに座らせた。

「内緒だよ」

 彼女はそう言っていなくなった。彼は自堕落にソファで眠り、目を覚まして起き上がった。

「起きたのね」

 すぐ近くでワンダが微笑んでいた。

 そこから先は、彼はもう何も覚えていない。豪奢な内装の広くて薄暗い部屋に、いつも誰か美女が侍っている。起き上がれば酒が用意され、いつでも御使い達の食料である新鮮な果物やチーズなどが供されていた。

「はい、あーん」

 薄暗い部屋で女が彼に何かを食べさせていた。いつもの光景だ。すっかり慣れ切ってしまい、彼はなんの疑問も持たずに小さく切ったそのかけらを口に入れて飲み込んだ。

 とてつもなく美味だった。彼はもうひとつと女にねだり、女は乞われるがままにそれを食べさせた。

(臭い)

 そのかけらから突然に不快なにおいが漂った。途端にぼけていた頭がはっきりとし、彼は素早い動作でそばにいた女を突き飛ばそうとした。が、女のほうが早くその場から飛びのいた。

「あら、気づいちゃった」

 少し離れた場所で、艶然とワンダが微笑んだ。ウリエルは彼女を睨みつけて言った。

「何を食べさせた」

 くすっとワンダは笑った。それが合図であったかのように、薄暗い内装はすっかりはげて石壁の部屋になった。出入り口に立っていた黒服の用心棒はセラフィムであり、奥のミニバー横にいたバーテンダーはサーキュラーだった。

「お前ら……」

 ワンダが笑いながら言う。

「ばれちゃったわ。もうちょっと食べて欲しかったんだけど」

 ソファとワンダ、それに皿の上に乗っている焼けた肉だけが本物だった。セラフィムが黒服姿のまま、ドア横から近寄ってくる。部屋の奥からもサーキュラーがやってきた。セラフィムがウリエルの疑問に答える。

「獣肉はおいしかったですか、ウリエルさん」

 ぎりっとウリエルはセラフィムをにらんだ。サーキュラーがハンスを呼ぶ。さっきまでセラフィムが近くに立っていたドアから、ひょこっとハンスが顔を出した。彼は待機を命じられてずっとそのドアの外にいたのだった。

「これ、食っていいぞ」

 ワンダはその皿をハンスに渡した。えっ、とハンスが驚く。

「こんないい肉、もらっていいんですか」

 きょろきょろしながら彼は言った。構わない、とサーキュラーは答える。

「他に食うやつがいねえ。冷める前に食え」

 ありがとうございます、と彼はその皿を持って部屋を出た。その様子を苦々しくウリエルは見ていた。人間にはなんともないが、御使いにとって獣の肉は禁忌であり自らを破壊するものだ。その味を覚えてしまえば御使いを廃業せざるを得なくなるし、一度でも口にしたことが唯一神にばれれば消滅させられる。

 さて、とセラフィムは彼の顔を見て言った。

「天界に戻りますか。それとも……堕ちますか」

 サーキュラーは外骨格の細い脚を呼び出し、ソファの向かいに置かれた椅子に座ってその先についた爪の手入れをしていた。一箇所欠けているが、それはウリエルのサーベルでやられた部分である。

「帰るなら土産をやる」

 その姿勢のままサーキュラーは言った。ワンダはその隣に座って色っぽい笑みを浮かべながらウリエルを見ている。ここで彼がワンダに飛びついてもこの二人は止めないだろう。彼らはウリエルが罪に溺れるのを待っているのだ。

「トラップだらけだな」

 セラフィムの服装が元に戻った。先ほどハンスが出ていったドアを開けてグランデが入ってくる。堕ちたら彼女がミスリル鉱山にウリエルを引きずっていくのだ。あんまり手を焼かせないでね、と彼女は言った。

「全部嫌だと言ったらどうなる」

 セラフィムが淡々と答える。

「わたくしが処置します」

 ふっ、とウリエルは笑った。

「上でも下でも同じか、ゼラフ。不憫だな」

 何の感情も見せずにセラフィムは言った。

「どれを選びますか、ウリエルさん」

 挑戦的な表情でウリエルはセラフィムを見た。面白い、とつぶやいたようだった。

「上に帰してもらおうか。お前達のいいなりにはならない。だが、消されもしないで生き残ってやる。見てろよ、ゼラフ」

 セラフィムの瞳の奥で、何かが少し動いたようだった。そうですか、と彼は言った。

「それなら楽しみにしていますよ。監視だけはさせてもらいますけどね」


 ウリエルを帰し、サーキュラーとセラフィムは通常業務に戻った。四大将軍達もいつもの任務に戻り、魔王城とその城下にはのんびりとした日常が帰ってきたように思われた。

「いかかがされますか、魔王様」

 セラフィムが声をかけたが、魔王はああ、と生返事をしただけだった。別にたいした用ではない。適当にセラフィムが処理しても間に合うのだが、一応魔王を通さないといけない事案だったので、彼は自室にいる魔王を訪れたのだった。

「あの、魔王様」

 机の前でぼんやりしている魔王にセラフィムはもう一度声をかけた。つまらなそうに彼はなんだ、とセラフィムに答えた。

「先ほどの案件ですが、どうされますか」

 間髪を入れずに返事があった。

「まかせる」

「……はい。かしこまりました」

 まあそうだろうと思いつつセラフィムは答えたが、さすがに魔王の様子は気がかりであった。魔王様、と彼はもう一度呼びかけた。

「ご気分が優れないようですが、何か気つけをお持ちしましょうか」

 この時に初めて、魔王の顔はセラフィムのほうを向いた。

「いや、いい」

 室内には花が飾られている。今朝、ハンスが持ってきたものだ。セラフィムはその花を見てあることに思い当たった。もしや、と思ったのである。

「姫にお手紙を書かれてはいかがですか」

 む、と魔王はセラフィムの顔を見た。正解であった。

「御使いの件も落ち着きましたし、少しそういったことにお時間を割かれても問題ないかと」

「うむ、そうだな」

 とたんに魔王の表情が明るくなった。御使いなどどうでもいいことが丸分かりである。セラフィムは天界との争いが再燃することを嫌がった魔王がこっそり悩んでいたのではないかと思ったのだが、本当のところは魔王の頭はフーシャ姫のことでいっぱいだったのだった。

「そうだな、そうすることにしよう」

 魔王はいそいそと机の引き出しを開けてペンと紙を引っ張り出した。セラフィムはなんとなくウリエルをかわいそうに思いながら、魔王の自室から下がった。

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