11 ランドルフ宝飾店再び
古い町並みの中をディラン・K・ランドルフは急ぎ足で歩いていた。行き先はランドルフ宝飾店、すなわち自分の店である。彼は店の前にたどり着くと勢いよくそのドアを開けた。
「ランドルフ様?」
「お戻りですか。何ヶ月もいったいどこへ……」
彼は荷物も何も持っていなかった。数ヶ月前、ランドルフはグランデ・エミリ・カワサキと名乗る女性に連れられ、この店から消えてしまったのである。彼女は魔王の使いと名乗り、家宝であるギンメルキングを借り受けにきたと言った。
「奥の庭園を使う。客人がくるんだ」
店内にいた店員と客がざわめく。古株の店員が彼に近寄ってきた。先代の、彼の祖父の代からずっとここに勤めている老人であった。
「それは構いませんが、いったいどこにいらっしゃったのです。それに……」
「小言は後で聞くよ。今は急いでる」
ぴしゃりと彼は言った。これまでになかった態度であった。これまでの彼はなんとなくおどおどしており、特にこの老人を苦手としている風であった。
「そろそろ時間になる。それから僕が出てくるまで庭園には来ないこと。いいね。重要なお客なんだ」
「しかし……」
「黙って!」
そして店の裏から庭園に繋がる小道を仕切るドアの鍵を取り出し、ポケットに入れた。足早に去っていく彼を他の店員は呆然とした顔で眺めていた。
ランドルフ宝飾店の奥にある庭園は、先祖代々伝わるプライベートな場所である。この庭にはあずまやと石造りの池、それに小さなものだが果樹園があった。彼の祖父は仕事に疲れるとここに来て休息をとり、また店に戻っていった。休日には果樹園の手入れをして、実った果実を彼に手渡してくれたりしたものである。
「ここか。いいところだな」
最初に登場したのはウリエルであった。サンダルに柄シャツを着込んだ彼は、表通りから隠れたように続く小道をごく普通に歩いて現れた。片手には小さな包みを持っており、彼はそれを集合場所になっているあずまやのテーブルの上に置いた。
「持ってきてやったぞ」
ランドルフは思わず包みを手に取った。くるんである布切れを外し、中身を確かめる。中は綴じ本だった。それも博物館にあるような古めかしいもので、おそらくは聖典の原本だろうと思われた。
「いいんですか」
「かまわねえ。なくなったって分かりゃしねえよ」
そこへセラフィムが現れた。こちらは文字通りに、あずまやのすぐ手前に不意に姿を見せたのである。魔王城から直接やってきたらしかった。服装はいつもの真っ赤なマント姿である。
「お早いですね」
彼はそう言うと歩いてあずまやまでやってきた。それからランドルフが持っている古い綴じ本に目をとめた。
「また懐かしいものを。それ、持ち出し禁止じゃありませんでしたか」
ふん、とウリエルは嗤った。
「もう上じゃ誰も見向きもしねえ。せっかく俺が苦労してまとめてやったのによ。いさかいに明け暮れて自分達が信仰を忘れてちゃ世話ねえな」
「そうでしたね」
セラフィムはランドルフとウリエルの許可をもらってその本を手に取った。ぱらぱらと中を見て、それからランドルフに戻す。
「こんな時代もありましたね。もう遠い過去のことですが」
「だな」
三人はあずまやの石でできたベンチに座った。で、とセラフィムが話し出した。
「天空にある、いにしえの城のことですが……」
「ちょっと待て」
ウリエルがさえぎった。同時にセラフィムも感づいた。
「おい、店主」
ウリエルが言う。
「はい」
何事かと返事をしたランドルフにセラフィムが言った。
「人払いが充分でないようですよ」
「えっ」
うろたえるランドルフを無視し、二人は同時に立ち上がった。すると閃光がひらめき、植え込みの間から悲鳴が上がった。その悲鳴を上げた者のすぐ脇を青白い雷光が走り抜ける。きれいに手入れされた植え込みは黒焦げになり、その近くで若い店員が二人、怯えきった表情で震えていた。
「ガークとザッツじゃないか。なんでここにいる」
ランドルフは植え込みに隠れていた二人に言った。店員二人はセラフィムとウリエルの顔を交互に見ながら、震え声でこう言った。
「あの、ここ入ったことないんで、それでちょっと入ってみようと思って……」
「ランドルフさん多分気がつかないから大丈夫かなって、それであのここに」
あきれたようにウリエルが言った。
「なめられてんな、お前」
セラフィムもすかさず答えた。
「ですねえ」
セラフィムが歩いて彼らに近寄る。ガークとザッツは震え上がった。
「どうしますか、ランドルフさん」
「え、あの、どうするって」
ウリエルが言う。
「お前んとこの従業員だろう。お前が決めるんだよ。煮るなり焼くなり、地獄に落とすなり修道院にぶち込むなり、好きにしろ」
店員二人はあれこれと言い訳しはじめた。よほどウリエルのセリフが恐ろしかったようだった。
「俺達、その、ランドルフさんをなめてたわけじゃなくて、重要なお客さんて誰だろうと思って……」
「謝るんで許して下さい。ここで見たものは喋りませんから。そこの人がいきなり現れたとか、絶対誰にも言いません」
ウリエルが腕組みをする。セラフィムはマントを揺らしながら彼らを見下ろしていた。当のランドルフだけがおろおろおたおたしていた。
「見られたわけですね」
「だな」
こういう場合、口封じの手段はいくつかある。ウリエルはそれを数え上げた。
「どうする、こいつら。消すか、洗脳するか、それとも……」
「ちょっとやめて下さい」
半泣きになってランドルフは言った。場所を貸すだけだったのに、まさかこんな大事になるとは思わなかったのであった。
「僕がなんとかしますから。そんな殺すだなんてことだけはやめて下さい」
「なんとかなるのか」
「します」
「本当にか」
「多分……」
さっきからこのやりとりを聞いていたセラフィムが言った。
「ならこうします。そこのお二人にも手伝ってもらいましょう」
ウリエルとランドルフはセラフィムの顔を見た。地べたで震えていたガークとザッツも同じように彼を見上げた。そしてその背に大きな真紅の六枚翼を見た。
「魔物……」
思わずそう言ってしまってから、ザッツは自分の口をふさいだ。ガークは全身を滝のように汗が流れ落ちていくのを感じた。
「そうです」
穏やかな物腰がさらに恐怖をあおった。
「ここで見たものは他言はなりません。もし誰かに話したならば……」
近くにあったミカンの低木に雷が落ちた。どこにも雷雲はなかった。
「いいですね」
えげつないね、とウリエルが言った。
「だが人間のほうが使い勝手はいい。俺達じゃ行けないところにも行ける」
そしてその背に巨大な翼をあらわし、彼らの正装である白の天衣に衣装を替えた。
「それならこれだ」
いつの間にかウリエルの手にはサーベルが握られていた。それをガークとザッツに向かってひゅっと小刻みに動かす。痛みを感じた彼らがそれぞれの腕を見ると、手首から下がったあたりに赤いしるしが刻まれていた。
「煉獄の門番、ウリエル様の刻印だ。それがある限り逃げられないからな。よく肝に銘じろよ」
ガークとザッツはランドルフの顔を見た。いったい何が、という表情であった。
「僕にもよく分からない」
ランドルフは言った。
「だけど……」
ちらっと視線を送った先には白い巨大な翼をつけてサーベルを持つウリエルと、真っ赤な六枚翼を背に輝かせ、その六枚翼に雷球をまとわりつかせたセラフィムがいた。どちらも明らかに人ではなかった。
「彼らの協力が必要で、彼らに逆らったら殺される。頼むが協力してくれ」
ガークとザッツははい、と言った。それ以外の返事はできなかった。