10 御使いの心得
ランドルフはぼんやりと雑踏を眺めていた。退屈しのぎにハンスについてまた市場に来たのである。本当なら今日はドワーフ工房の見学に行く予定だったのだが、案内してくれるはずのグランデが急用ということで、彼は城内に放り出されてしまったのであった。
「あれ、届けたか」
見たことのある大柄な男が彼らの前にやってきた。ウリエルだった。この前とは違う柄だったが、同じような模様のシャツを着ていた。足元は同じくサンダルである。
「届けましたよ」
ハンスが言った。それから持ってきた荷物を広げて酒瓶と煙草を取り出した。
「あとこれ、渡してくださいって言われました」
酒瓶と煙草のほかに、ハンスは彫刻がされた小さな金属筒をウリエルに渡した。
「絶対来るから渡してくれって」
「あ、ああ。悪いな」
少々意外そうな表情でウリエルはそれらを受け取った。手ぶらだったのでハンスは酒瓶と煙草を入れてきた布袋を彼に渡した。荷物を袋にしまったウリエルに、ハンスはこう質問した。
「そのお酒とか、どうするんですか」
「どうするって……呑む以外あるのか」
え、とハンスは言った。
「御使いって、そういうのいいんですか」
「よくねえよ。ていうかうるせえなお前。それとここでその言葉は言うな。俺だってやばいんだよ」
あきれたようにウリエルは言った。はい、とハンスは黙った。続けてウリエルは彼に言った。
「ここに俺がいること自体、本当はまずいんだ。お前も、そこのメガネもこのことは黙ってろ。でないと斬り殺す」
「分かりました」
ウリエルがサーベル使いであることは知ってたので、ハンスはおとなしくそう言った。ランドルフはさっきからの会話にすっかり怖気づいてしまっていたが、それでも会話中に出てきた「御使い」という言葉に引っかかった。
「あの……」
ウリエルとハンスが彼のことを見た。
「聞いていいですか」
「なんだ」
横柄にウリエルが言った。
「御使いって何……」
ここでウリエルは彼の口を塞いだ。ハンスがびっくりしてその辺に置いた荷物を転がしてしまったが、また元通りに直した。
「だから、その言葉はここで言うな」
「あ……ふゃい……」
ランドルフから手を離し、ウリエルは言った。
「城に戻ってからそいつに説明してもらえ。とにかくここでは言うな」
「……分かりました」
ランドルフはずれて落ちかけた眼鏡を直し、ウリエルの顔を見た。そういや、とウリエルが彼のことを見ながら言った。
「お前、すぐ帰るみたいなことをこの前言ってなかったか。荷物を店に届けてやろうと思ったのにまだいるのかよ」
「あ、すみません」
前回、ウリエルは彼に神々の書の正典を渡してくれると言ったのだった。そして彼は店に届けてくれるように頼んだのである。
「なんか妙なところに飛ばされて戻ってきたんですけど、それで収拾がつくまで帰るなって言われたんです。煙水晶のお城でした」
「なんだそりゃ」
ウリエルは興味を持ったようだった。特に口止めもされていなかったので、ランドルフは彼が見たものをウリエルに話した。ウリエルの態度は最初は話半分という感じだったが、だんだんに眉間にしわが寄っていった。
「マジか、それ」
「はい」
それから天を仰いだ。
「くそったれジジイめ。くだらねえことをしてるからだ」
「あの……」
ランドルフが言うとウリエルは答えた。
「お前が見た煙水晶の虚城っていうのは、まだ魔界も天界もなかった頃にできた城だと言われている。その城には旧世界の住人が住んでいて、この世の全てを支配していたって言う話だ」
ハンスが口をはさんだ。
「あの、旧世界の住人って何ですか」
「知らん」
即答だった。ウリエルは続けた。
「やがてそこからかき回した泥水が沈むように別れて、天界と魔界、それに人界ができていった。天界には神々が、魔界には魔性の生き物が住むようになり、その狭間に人界が置かれた。旧世界にいた者達はそれぞれ自分達が住みやすい場所へ降りていき、その多くは魔界の住人になった、と言われている。実際いるな、ファイとかいう火焔小僧がその血筋だ」
「あのー」
ハンスが異を唱えた。
「ファイさん、女の子ですよ」
「そうなのか? てっきり男だと……」
あの、とハンスは言った。
「間違うと燃やされますよ。本人けっこう気にしてるみたいなので。この前も城に来た行商人に『そこの僕』って言われて切れてました」
「そうか。気をつける。それにしてもサーキュラーのヤツ趣味全開じゃねえか。いいのかよ」
「それ、みんなに言われてます」
つうかお前らうらやましいわ、とウリエルは愚痴り、渡された荷物を肩にかついだ。
「とりあえずそこのメガネはしばらく魔王城にいろ。それが一番安全だ。何かありゃゼラフが飛んでくるしな。旧世界の城と人界、天界に関しては心当たりがあるからちっと俺が調べてくる。何か分かったら教えてやるよ」
ランドルフはありがとうございます、と言った後にどうして、と言ってしまった。ハンスもそう思ったのが顔に出てしまった。そんな二人にウリエルはにやっと笑った。
「聖典の暗記までしているヤツを見捨てることはできないね」
「え?」
「神々は信徒を救わないが、俺達は違うんだよ。まあ待ってろよ、ランドルフ君」
「あの、それって……」
がばっとランドルフはその場から立ち上がったが、ハンスに座るようにうながされた。落ち着いた様子でハンスは言った。
「じゃあ待ってます」
「了解。ゼラフにこのことは言っていい。ただし、後で何かくれよな」
「分かりました」
革手袋の下で、ハンスの手に刻まれた紋章が青く光り、その青い光が袖口から外にもれ出た。その光を確認しつつ、ウリエルは荷物を担いで彼らの前を去って行った。