「追っかけをするから」と、あの娘は学校を辞めた。
ラジオから流れてきたのは、あのアーティストの曲。
思い出す、あの3月。
年度末の学外実習が終わり、立ち寄った学校の西玄関で鉢合わせのは実花先輩と、愛美さんだった。愛美さんが学校を辞めるので、先生方に挨拶に来たのだという。「学校を辞めたらバイトしながらバンドの追っかけをする」と、愛美さんは言った。
去年はみんな、同級生だった。
実花先輩と愛美さんは現役が多い看護学科では数少ない一浪組で、他の学生と微妙に距離があった。二人は一緒にいることが多かった、ように思う。科が違うから授業はあまり被らなかったけれども、それでも実花さんが気になっていた僕は、時々は様子を確認していた。
学校に献血車が来て、看護学科の人たちが献血していた時、愛美さんは青白い顔をして一人座っていた。
愛美さんは、だんだん化粧が濃くなった。あさイチの授業で見かけないこともあった。僕も大体がギリギリだったから人のことは言えないんだけど。「家を出て夜のバイトをしている」と風の噂で聞いたのは、夏休みだったか冬休みだったか。
次年度、進級出来なかった僕は、また一年生だった。学年制の学校だったので、同じ学年は二回までしかできない。上がれなかったメンツの中に、愛美さんがいた。看護学科で一人だけ。手伝っていた化学の授業でも、彼女は一人きりだった。
後期は被る授業がほとんどない。いつもは男女別の体育が、一回だけ合同だった時。リクリエーション指導のための風船バレーで、愛美さんとぶつかってしまった。軽くて、化粧の匂いがして、疲れ切っているようだった。
追試を受けながらもどうにか二年生に上がれそうだった僕は、学外実習に出て、戻ってきたその日。
愛美さんは学校を辞めた。
もともと体調が不安定で、授業に出られないことが続き、出席が足りなかったのだと。先生方から「看護師に向かない」と言われていたと。ただ一人、一番若い先生だけは親身になってもらえて相談していたけど、進級できなくなって退学になり申し訳ないと。退学前に中退することにしたと。
ぽつりぽつりと話す愛美さんにかける言葉もなくて、「これからどうするの?」とつい聞いてしまった僕に愛美さんは、「今のクラブのバイトをしながらバンドの追っかけをする」と微かに笑った。
「看護師なら他の学校にでもいつでも入れるし、やり直せるよ」と、僕は言えたかどうか覚えていない。実花先輩が「愛美と飲みに行く」と言って、地下鉄駅に向かう姿を見送ったのは、まだ雪が降っていたのは、覚えている。
愛美さんが追っかけていたバンドは二年後にヒットを飛ばして一時代を築いた。看護学科で居場所を無くしていた愛美さんの、支えになっていた曲が世間に受け入れられた。でも。
愛美さんが今どうしているのかは、僕には分からない。
平日代休、ショッピングセンターの献血車に乗り込む。終わる直前に「担当が交代しますね」と言われて、代わった看護師さんの名札は、愛美さんだった。
看護師になっていたんだ。