黄金の道しるべ Ⅱ
第三話 生きるということ
森の中の研究施設、その薄暗い廊下を一人の少女が歩いている。
黒い長髪の少女で、白を基調とした制服に、後頭部に赤い大きなリボンを着けている。
クローディアという名前の少女は、周囲を見渡し、眉をひそめる。
「………」
薄暗い廊下には、あちこちに瓦礫が散乱しており、壁や天井には、大きな穴がいくつもあいている。
クローディアは、入り口で拾った魔術文字が描かれたナイフを見る。それはジュリアスがシックスに向けて投げたものだ。
「ジュリアス…どこに行ったの…」
今回、クローディアたちはジュリアスの要請を受けて、子供たちの保護をするためにここへやって来た。なのに、ジュリアスはここにはおらず、争った形跡だけが残っている。
「理解不能…」
ジュリアスが負けるとは考えにくい。あれは世界でも有数の槍の名手だ。そう簡単にやられるとは思わない。
だからこそ、ナイフ一本残して姿を消すなんて、何かがあったとしか考えられない。問題は、その何かがどんな物なのかだが………
クローディアはさらに研究施設の奥へと進んでいく。階段を降りていき、地下の最下層まで足を進める。すると、やけに開けた場所に着く。そこには、様々な薬品棚と、いくつかの机がある場所だった。かつて、博士と仮面の六人組がいた場所だ。
何か手掛かりが残っているか、クローディアはその部屋のあちこちを歩いて回る。
だが、何も見つからない。
「やっぱり…おかしい…」
今回、クローディアたちは奇襲を仕掛けたと言ってもおかしくはない。なのに、博士たちは痕跡を完全に消して居なくなっている。そんなことは、事前に知っていなければ出来るはずがない。
「あいつのこともあるし…」
クローディアが森の中で感じ取った嫌な魔力。それは、自分と戦った、巨大なスケルトンを操っていた奴だ。
「ここには何もない…エルシアの所に戻らないと…」
既に研究施設の中はもぬけの殻だった。ひと一人居なければ、研究資料すら見つからない。そして、ジュリアスさえも。
クローディアは、そのままその部屋を後にすると、外にいるエルシアの元へと向かうのだった。
◇
ここは…どこだ……
俺はいつの間にか、真っ暗な闇の中に佇んでいた。ここが一体どこなのかも、何故こんな場所にいるのかも分からず、ただただ困惑していた。
しばらく真っ直ぐ歩いて見る。すると、前から誰かが走ってくる。闇の中ではっきりと見えるその姿は、ライアのものだった。
「ライアッッッ!!!………」
生きていたのか…そう言おうとした瞬間、ライアは俺の体を通り抜けた。
「…な………」
俺を通り過ぎたライアは、闇の中に消えていく。どういうことだ?何で………
状況が全く分からないまま、今度はあの研究施設の子供たちがこちらに向かって走ってくる。
「お前たち………」
やはり、子供たちも俺の体を通り抜け、闇の中に消える。
「どうなってるんだ………」
幻か?幻覚か?俺は今、夢を見ているのか?そんなことを考えていると、不意に後ろから袖を引っ張られる様な感覚があった。
俺は振り向く。するとそこには、ライアたちが立っていた。薄ぼんやりとしか見えなくなっていたが、確かにライアたちだった。
「ライア…皆…」
ライアたちは何も言わず、皆………いい笑顔だった。
それは、いつもそばにあった笑顔で、俺のかけがえのない宝物だった。
「…………お前たち……」
ライアたちは、何も言ってくれない。でも、その笑顔を見ていると、何故だか、なんと言っているか分かる。
ソラトの兄ちゃん…………………今まで……………………ありがとう。
俺は……皆を守れなかったのに………なのに…………
俺は涙を堪えることが出来なかった。涙は次から次へと溢れ、俺の頬を濡らしていく。
そして、ライアたちは淡い光に包まれ、段々と光の粒子となっていく。
「待ってくれっ!皆っっっ!!!」
皆は、優しい笑顔でゆっくりと、体が消えていく。
皆が笑っているのに、俺が泣いていてどうするんだ!!!
俺は涙を拭いて、歯を食いしばり、皆の方へ向く。皆が笑顔なら……俺も笑顔で………
「皆………またいつか…同じ空の下で会おう!!!」
多分、涙でくしゃくしゃになった笑顔だから、かっこ悪いだろうな………でも、最大の笑顔で皆を送りたい。皆が安心して行けるように。
最後まで、皆の前ではかっこいい兄でいたいんだ。
そんな俺を見て安心したのか、一人…また一人と、光の粒子になって消えていく。
そんな皆を…俺は送ってやることしか出来ない。
最後にライアだけが残り、俺の元へと歩いてくる。そして、俺に何かを伝えるために、言葉にしているが何も聞こえない。
でも…分かる。ライアの気持ちが…思いが…伝わってくる。
ソラトの兄ちゃん………大好きだ…………
そう言って、ライアも闇の中に消えていく。
「ライア…皆………」
俺はその場に崩れ落ちた。
守れなかった…約束したのに…悔しい………何も出来なかった自分が憎い。
そんな時、暗闇に一筋の光が指す。
何故か、その光へと向かわなくてはならない気がした。
「皆…俺は行くよ…」
俺は皆にそう告げ、光の方へと歩き出す。
それが今の俺に出来る、使命だと思ったから。
◇
何だ?これは…?
夢から覚めた俺が、段々と意識がはっきりしてきた中で、最初に感じたのは後頭部の柔らかさだった。正確に言えば、柔らかい中に硬さも感じる。
俺はゆっくりと目を開ける。最初に目に映ったのは、少し場所が変わった月と、その月が照らす薄暗い森だった。
「ここは…?俺、確か…」
「…起きたか」
不意に、俺の真上から声がかかる。
「あんたは…」
そこにいたのは、エメラルドグリーンの髪色をした女性だった。
名前は確か…エルレンシア…だったっけ?あの化け物…リッパーがそう呼んでいるのを聞いた覚えがある。
「エルレンシア…って呼ばれていた人だよな」
「ああ…私はエルシア…エルシア・エルレンシアだ」
エルシア・エルレンシアと名乗った女性は、穏やかで優しい笑みを浮かべている。思わず見惚れてしまうほど、綺麗な女性だった。
「お前の名は?」
エルシアが俺の頭を優しく撫でながら、そう尋ねてくる。
「俺は…ソラトだ」
その時、俺は気が付いた。この体勢、もしかして…膝枕…なのか?
それ以外にあり得ない。それに気が付いた俺は、すぐに飛びのこうとした。が…
「うおっとと」
しかし、思うように体が動かず、ポスッとエルシアの膝の上にまた戻ってきてしまう。
「ソラト、急に動いては駄目だ。本格的な治療はまだ出来ていない。傷口が開かないようにゆっくり動かないと」
「そ、そうなのか」
どうやら、もうしばらくはこのままらしい。
初対面の人に…しかも、こんな綺麗な人に膝枕をされているなんて、少し気恥ずかしさを感じる。
静寂が包む森の中、不意にエルシアが空を凝視して、呟く。
「来たか…」
俺もその方向に顔を向けると、満月に重なって誰かがこっちに向かって来る。
やがて姿を現したその人物は、長い黒髪に赤いリボンを付け、白を基調とした制服を着ている少女だった。
「エルシア…ただいま…」
どうやら、エルシアの仲間らしい。その少女は、俺たちの前までやって来ると、ゆっくりとした口調で告げる。
「研究施設はもぬけの殻だった。…ジュリアスもいない…」
「何?…そうか、ジュリアスは恐らく大丈夫だ。問題はやはり、博士の奴だな」
「うん…私もそう思う」
「ま…待ってくれ!ジュリアスのおっさんが大丈夫って、どうして分かるんだ?」
あの時、おっさんは仮面の六人組…シックス以外の足止めをしていた。おっさんの話によれば、あの仮面の六人組はそこそこ強いらしい。おっさんの強さとかは知らないけど、五人同時に相手をして、無事だとは思わない。
だが、おっさんの仲間である二人は、本当に心配なさそうにしている。
「ジュリアスは強い。だから心配する必要が無い」
「…うん。それに…あの人は人一倍危険に敏感だから、しぶとい」
しぶといか…確かに、おっさんは中々しぶとそうだな…
「そうなのか…おっさんの仲間がそう言うんだもんな…分かった」
おっさんの心配はしなくてもいいんだな。それが気掛かりだったんだけど、大丈夫って言ってるんだ。俺は二人の言葉を信じよう。
「そういえば…君の名前は…?」
黒髪の少女が小首を傾げ、可愛らしく尋ねてくる。
俺はゆっくりと体を起こし、黒髪の少女と向き合う。
「俺はソラトだ」
「ソラト…私はクローディア…よろしく…ね?」
差し出された手を握り、俺とクローディアは握手をする。クローディアは優しく微笑む。その笑顔は月明かりに照らされ、眩しく輝いて見えた。
「さてと…クローディアも合流したことだ。そろそろ野営の準備をしよう」
「うん…その方がいい」
「野営?ここでか?」
周りを見てみると、どうやらリッパーと出会った場所ではなく、別の場所だということが分かった。
「不満か?」
「いや…そういうわけじゃ…ただ俺は…皆が殺されたこの森でなんて…そう思っただけだ」
「そうか…お前の気持ちはよく分かる。だが、今日は色々とありすぎた。まずは体を……心を充分に休めることが大切だ」
体と心を休める…か……。そんなこと、考えてもみなかったな。皆が居なくなって、泣きたいぐらい悲しくて、悔しくて、でも…不思議と涙は出てこなかった。俺自身がまだ受け入れられていないからだろうな。
この人は、そんな俺を気づかってくれている。
優しい人だ…エルシアは。
「分かった。あんたの…エルシアの言う通りにする」
「ああ…少し待っていてくれ。クローディア」
「うん…分かった」
そう言うとクローディアは、何処かから円形の白い小包の様な物を取り出し、それを地面に置く。すると、それは「ポンッ」という音と共に、大きな天幕へと姿を変える。
「おぉ!何だこれ!」
「…ふふん」
クローディアの方を見ると、腰に手を当て、えっへんと言わんばかりのドヤ顔をしていた。
「それは私たちの仲間の、魔導具師が作ったものだ。魔力さえあれば、誰でも使える」
え?そうなのか?クローディアは、いかにも自分の手柄だというような感じだけど、誰でも使えるのか…
そんなことを考えていると、タネをバラされたクローディアは、頬を膨らませ、エルシアに怒る。
「エルシア…バラしちゃ駄目!…私がビックリさせたかったのに…」
「そ、そうだったのか…すまない」
「うん…いいよ…」
何だか微笑ましく思え、思わず笑みが溢れる。俺は、何だか懐かしさを覚え、とっさに顔を伏せる。このままじゃ、泣いてしまいそうだ。
「大丈夫?…無理しないで…」
そんな俺を見かねてか、クローディアは優しく問いかけてきてくれる。この人たちは、何でこんなに優しくしてくれるんだろう?
「あぁ…大丈夫だ!」
俺は精一杯の笑顔でそう告げる。きっと、無理をしていると、顔を見ればすぐに分かるだろうな。でも、この人たちには迷惑を掛けたくない。
「…そっか。…分かった…ご飯は食べれそう?」
「あぁ。食べれるぞ」
「なら良かった」
そう言ってクローディアは、 天幕の中から鍋と草?と木の実、何かの肉などを取り出してくる。
「エルシア…後はよろしく」
「ああ」
そこからの手際は、迅速かつ丁寧で、あっという間に温かいスープが出来上がっていた。
「さぁ…温かいうちに食べてくれ」
「分かった。…いただきます」
俺は熱いスープを口に含む。すると、とてもあっさりしていながらも、味わい深い味が口いっぱいに広がる。こんな美味しくて、温かいスープは初めてだった。
「どうしたの…?」
「…え?」
気がつけば、二人が俺の顔を心配そうに見つめていた。
その理由は、すぐに分かった。
俺が、泣いていたからだ。
「あれ…なんでだ、俺…どうして涙が止まらないんだ…」
俺は涙を拭うが、次から次へと頬を伝う涙は止まることなく、地面にこぼれ落ちていく。
「すまねぇ…すぐに泣き止むから…」
この人たちに、こんな姿を見せちまって、心配を掛けたくない。俺はそう考え、急いで涙を拭き、顔を上げて笑顔を見せる。
「泣けばいい…」
すると、そんな俺を真っ直ぐ見つめて、エルシアは言う。
「辛いとき、悲しいときは、泣いてもいい」
「そうだよ…?私も…エルシアも…誰も君を責めたりなんてしないよ…?泣きたいときに、泣いてもいいんだよ?」
俺は、二人の言葉を聞いて、嗚咽を漏らして泣き始めた。
皆の死を受け入れられず、俺は現実を見ることができずにいた。無理をして笑っていたことも、恐らく見抜かれていたんだろうな。
あの暗闇の夢の中で皆に別れを告げられて、心の何処かでは、皆の死を受け入れたつもりだった。
だが、実際には受け入れられず、無理をしていた。感情を押し殺していた。涙ももう、枯れ果てたと思っていた。
でも…二人の言葉を聞いて…やっと…受け入れられたような気がする。
「俺…俺…皆を……守れながっだっっっ!………やくぞぐ…じだのにっ!」
「うん…」
クローディアは、涙でくしゃくしゃになっている俺を抱きしめ、優しく頭を撫でる。その胸を、涙で濡らしても、何も言わずにただただ優しく抱きしめていた。
「ソラト…お前は、あの子たちの分まで生きなければならない。悲しみを乗り越えて、強く生きること…それが、残されたものの使命だ」
そう言って、エルシアも俺の方へと近づいてくる。そして…
「生きるためには、まず食べることが大事だ。しっかり食べ、そして眠る。それが生きるということだ」
「……ああ………わがった…………」
俺はひとしきり泣いたあと、エルシアのスープを再び食べ始める。まだほんのりと温かいスープは、体に染み渡り、俺の心を溶かしていった。