第086話 人は善に染まりやすいが、悪にも染まりやすい
私はふいに目が覚めた。
身体が重いのだ。
まるで金縛りのように身体が動かない。
「サマンサ、邪魔」
私は私に覆いかぶさるように寝ているサマンサをどかした。
「むにゃむにゃ……」
サマンサって、寝相悪いんだよなー。
私は頭をボリボリとかきながら周囲を見る。
キミドリちゃんは窓際でスヤスヤと眠り、ウィズは枕元で丸まっている。
サマンサは私の枕を奪い、抱き枕にして寝ていた。
私は立ち上がると、乱れた浴衣を直し、部屋を出る。
携帯を見ると、時刻は3時であり、まだ暗い。
私は目が覚めたので、散歩でもしようと思い、ロビーに向かって歩くことにした。
廊下を通り、ロビーまで歩くと、自動販売機があったのでジュースを買い、ソファーに座った。
私は缶のプルタブを開け、ジュースを飲み、ふーっと息を吐く。
すると、ふらーっと人影が視界に入ってきた。
その人影は私の目の前にやってくると、私の前にあるソファーに座り、私を見てくる。
私の前に座ったのは高校生か大学生くらいの少女であり、髪はショートカットのかわいらしい子だ。
恰好は私と同じでこの旅館の浴衣姿であることから他のお客さんかもしれない。
その少女は私を見て、ニコッと笑った。
「こんばんは」
「…………こんばんは」
いや、誰!?
今、3時だぞ!
幽霊か!?
「こんな時間にどうしたんですか?」
少女はこちらを気にせず、話しかけてくる。
「ちょっと目が覚めちゃってね。気分転換みたいなもん。あなたは?」
「ふふ。私も似たようなものです」
天使か?
いや、この子は人間だ。
多分、家族連れか、友達と旅行に来た学生だろう。
「そう…………学生さん?」
「ですね。学校をサボって旅行です。いけませんねー」
そういえば、今日は平日だ。
いけない子だ。
お仕置きしちゃうぞー。
まあ、この子はちょっと育ちすぎていて、私の琴線に触れることはない。
多分、サクラちゃんと同じくらいの年頃だろう。
「お姉さんも旅行ですか?」
「…………そうね」
お姉さん?
今、私のことをお姉さんと呼んだ?
見た目ロリな私を?
「いいですねー。私も早く社会人になりたいです」
私を社会人と決めつけている。
こいつ、私のことを知ってるな。
「学生の方が楽よ」
「ですかねー」
さて、どうしよう?
私のことを知っている……
例の動画を見たのか……それとも……
「天使と悪魔はどっちが好き?」
私は実に厨二っぽいことを聞いてみることにした。
「どっちも嫌いですね。クズと暴力じゃないですか」
少女はクスクスと笑う。
「吸血鬼は?」
「一番嫌いですねー」
ひどい。
「なんで?」
「元を言えば、私達と同じ人間のくせに、強いじゃないですか。不公平ですよ」
そうかなー?
「私に何の用? 私は平和主義者なんだけど」
のーうぉー。
「平和っていい言葉ですよね。その平和を築くためにどれだけの犠牲があるんでしょうか?」
めんどくせーことを言い出したなー。
「知らないし、興味ないわねー」
「あなたは平和に生きたいんでしょう。それは私も同様です。平和に生きたかった。剣なんていらなかった。だから私は逃げた」
???
こいつ、しゃべったらダメな人なのかな?
「独り言は独りの時にするものよ」
「逃げてはいけないのに逃げた。そのせいで多くの人が犠牲になり、大切な人が身代わりになった」
私の言葉、聞いてないね。
「ねえ、何が言いたいの?」
「私のことがわかりますか?」
「わかんない。初対面よね?」
「そうです。初めましてです」
「だよね」
「私は長澤アイリと言います」
誰?
マジで知らん。
「私は沢口って言います」
「はい、よろしくです。ハルカさん」
沢口って言ってるでしょ……
「マジで私に何の用?」
「私の名前を知らないですか?」
「悪いけど、知らない。誰?」
「では、兄の名前は? 長澤シンゴと言います」
兄?
長澤シンゴ?
同級生にいたかな?
わからない……
男子の名前なんて覚えてない。
「ごめん……わかんない」
「そうですか……それは残念です」
「………………」
帰っていい?
「兄はもう戻りません……」
「どっか行ったの?」
「ええ。遠くに行きました。そして、騙され、闇堕ちしちゃいました」
「闇堕ち?」
「ええ。心が折れたんでしょうね。人間相手に一人で戦争をしかけ、世界を滅ぼそうとしました」
アクティブなお兄さんだな。
「ふーん」
「そして、死んじゃいました」
まあ……ね。
そら、そんなテロリストは殺されるでしょ。
「ご愁傷様」
「まあ、あんなのでも兄ですからね。思うことはありました。でも、それ以上に自分が許せませんでした」
「自分を責めることはないと思うよ」
「ありがとうございます。でも、無理です。本来なら私がその役目を負うはずだったのに……」
「役目? テロリスト?」
怖い兄妹だなー。
「いえ、テロリストではありません…………私は勇者です」
…………勇者。
…………長澤シンゴ。
あ!
「…………あなた、勇者シンゴの妹さん?」
私が冗談で襲っちゃうぞーって、勇者君をからかった妹さんか。
「そうです。やっぱり知ってるじゃないですか」
「ごめん……私、あんまり頭が良くないから」
忘れちゃった☆彡
「なんとなくわかります……」
わかっちゃうかー……
となると、あの男、サマンサに騙された後に壊れちゃったのか……
そして、暴走し、粛清か?
南無南無。
「なんかごめんねー」
「いえ、正直に言えば、あの男は死んで当然だと思っています」
辛辣なことを言うな……
「大切な人では?」
「闇堕ちしたあの男の所業を見れば、その気持ちは消え失せます。女性に騙されたことがよほどトラウマなんでしょうね。鬼畜なクズに成り下がりました」
お姫様とサマンサのせいか……
同情はするが、その後の狼藉がヤバそうで、まったく心が痛まない。
「本来はあなたが勇者だったの?」
勇者システムがよくわからんな。
「はい。今より2年前、私はアトレイアに転移しました。そして、勇者の称号と共に人々を救う役目をもらいました」
2年前か……
「私はあなたを知らないわね」
「誰も知らないと思います……私は街の外に出ることもなかったんですから」
「そうなの?」
「怖くて……」
そうだろうなー。
10代の女の子に危険な戦いを押し付けてもできるわけがない。
「それは仕方ないよ」
「そう言ってもらえると慰めになります。私はアトレイアで1年ほど過ごし、帰還しました」
「どうやって?」
「もちろん時渡りの秘術です」
マジ?
1年で作ったってこと?
「すごくない?」
「たいしたことでは…………詳しくは言えませんが、私のユニークスキルのおかげです」
すげー!
よくわからないけど、めっちゃ有能なユニークスキルっぽい!
「1年で帰還かー」
「ですね。しかも、転移した日に帰りましたから私がアトレイアにいたことを知る人はほとんどいません。無駄に1年歳を取りました」
そらねー。
この子、本当に何もしてないっぽいしね。
「その後、兄が転移し、勇者となりました。なんとか救出しようと思ったのですが、何もできずに見ているだけでした」
「異世界を見れるの?」
「神の眼と呼ばれるスキルを……いえ、なんでもありません。申し訳ありませんが、私のユニークスキルに関することなんです。そして、これは言ってはいけないタイプのユニークスキルなんです。ですので…………」
多分、ウィズと同じで明確な弱点というか、攻略法があるタイプなんだろう。
「言わなくてもいいよ。興味ないし。それで、お兄さんをずっと見てたの?」
「はい。兄は私と違い、正義感に溢れ、勇敢でした」
まあ、そんな感じはしたな。
「でも、素直すぎました。元々、女性に免疫があるタイプでもなく、モテる人ではなかったですから」
「ケルク王国のお姫様に篭絡されたんだっけ?」
確か、サマンサにそう聞いた気がする。
「です。これは身内の恥なので言いたくないですが、情けなかったです」
アイリちゃんが顔を覆う。
「まあ、男子なんて、そんなものでしょ……」
「女の身体にそんなに価値があるんですかね……」
まあ、子供にはわからないだろうね。
「私はあるけどね……少女限定だけど」
「そうでした…………あなたはそうでしたね。とにかく、兄は女性に溺れました」
うん……
まあ、若いしね。
「もしかして、仲間が2人いたのは?」
勇者シンゴには仲間がいた。
魔法使いっぽい子と教会の僧侶っぽい子。
2人共、女の子でかわいかった。
「ケルク王の差し金です。当然、兄を国に縛り付けるための人達です」
あちゃー。
ハーレムで浮かれちゃったのかー。
ま、まあ、若いしね。
「兄の人生ですし、兄は兄で幸せそうだったので、まあいいかと思ってました。でも、間違いが起きました」
「間違い?」
「あなたの討伐です」
「あー、来たね。それで私は逃げたんだ」
懐かしいね。
「兄はあなたを討伐したと国王に報告しました。そして、このニュースはすぐに世界に伝わりました。なにせ、王級の中でも伝説の真祖の吸血鬼ですからね」
ふふ。
私、有名!
「死んでないけどね」
「そうですね。ですが、これが大問題でした……」
「なんで? 自分で言うのもなんだけど、私が死んでも世界に影響なくない? 良くも悪くも私って、何もしてないし」
少女を襲うくらいで、なーんもしてないニート吸血鬼だもん。
「ビッグネームすぎたんですよ。他の国は驚愕し、恐怖しました。なにせ、ケルク王は野心が強いことで有名でしたので」
王級を倒すほどの戦力を持った野心家の王か。
確かに、周辺国にとっては脅威だわ。
「戦争が起きたの?」
「はい。そして、兄は強かったので、ケルク王国は着実に勢力を伸ばしました。だが、それと同時に崩壊も近づいていました」
「なんで?」
「あなたの眷属です。兄はあなたを討伐したことで、部屋で幸せそうに丸まっている公爵級吸血鬼にものすごい恨みを買ったんです」
あー……
だったね。
「≪狂恋≫は兄やケルク王に近づき、国を崩壊させようと動きました。兄に時渡りの秘術を作らせる一方で、兄の謀反の噂をばらまいたんです」
サマンサ、怖いなー。
「そして、兄は≪狂恋≫に時渡りの秘術と聖剣を奪われ、国を追われました」
波乱万丈だわ。
「そこで闇堕ち?」
「はい……兄はすでに50歳近くになっており、帰還を諦めました。そこで好きに生きようと考えたのです。村を襲い、町を燃やし、国を滅ぼす。あれこそ魔王の所業です」
あの勇者君からは想像ができないなー。
「アトレイアの人々は大混乱しました。世界を救う救世主たる勇者が魔王化しましたからね。王級ですら倒すバケモノが人類に牙を剥いたのです」
確かに怖い。
アトレイアが滅びるんじゃない?
「どうなったの?」
「いくらバケモノでもそれ以上のバケモノがいました。ルブルムドラゴンです」
あっ……(察し)
「燃えちゃった?」
「はい。兄は王級を討伐したことになってますが、実際は経験がないですし、あなたのことで王級を完全に舐めていました」
まあ、私と勇者君はしゃべっただけで戦ってないしね。
しかし、ベリアルといい、勇者君といい、調子に乗ったヤツは何故にルブルムドラゴンの所に行くのだろう?
ドラゴンはすべての生物の頂点であり、その王である古代竜に勝てるわけないじゃん。
「改めまして、ご愁傷様です」
「いえ、それで終わったら良かったんですけど……」
「まだあんの?」
話、長くない?
今、3時だよ。
時と場所を考えたほうがいいと思う。
「兄は死して悪霊と化し、すべてのものを破壊しようとしています」
アンデッドになったのか……
迷惑なやっちゃ。
「すべてって?」
「この世界です。兄はこの世界を滅ぼすために動いています」
…………今、私の頭にはダンジョンが浮かんでおります!
「具体的には?」
「この世界にアトレイアの魔物や強者を放つことです」
…………今、私の頭には天使共が浮かんでおります!
「どうやって?」
「時渡りの秘術を用いて、この世界にアトレイアからダンジョンの芽を持ち込みました。そして、ついに、ある種族を呼び出しました」
…………今、私の頭には舌を出している笑顔のパリティが浮かんでおります!
「天使?」
「…………です」
全然、関係ないけど、帰ったらパリティを殴ろうと思う。