第044話 狂恋
侯爵級天使、≪奈落≫のアーチャーは後ろから刺されて死んだ。
それもあっけなく。
私達の目の前には、アーチャーを刺した光る剣を持つサマンサが立っている。
「サマンサ……」
私はサマンサの名前をつぶやき、サマンサに近づこうとした。
「止まれ、ハルカ!」
ウィズが大きな声を出し、私を止める。
ウィズは私を止めると、サマンサを見た。
「サマンサ、おぬし、その天使と知り合いのようじゃのう?」
先ほどの天使とサマンサの会話は明らかに初対面の会話ではなかった。
むしろ、手を組んでいた感じである。
「知り合い……まあ、知り合いといえば、知り合いでしょうか?」
サマンサはとぼけている様子だが、嘘をついてはいないだろう。
この子はこういう子なのだ。
他者に興味を示さない子。
絶対に心を開かない子。
それがサマンサだ。
「何故、天使と手を組んだのじゃ?」
「手を組む? 私が? こんな愚か者と?」
サマンサがウィズの詰問を鼻で笑う。
「手を組んで、おぬしが裏切ったようにしか見えんかったぞ」
「私は誰とも手など組みませんよ。使えない者を利用するだけです。もっとも、それすらも出来ないゴミでしたけどね」
サマンサは無表情のまま、天使の死体を見下す。
「何が目的じゃ?」
「質問ばかりですね。ウィズ様も少しは考えないと脳が衰えますよ」
「はぐらかすな!」
ウィズがサマンサに牙を向いた。
「落ち着け、≪暴君≫。安い挑発だ………………して、≪少女喰らい≫、この娘は裏切者でいいのかな? もし、そうなら処分するが」
ベリアルはウィズを諫めると、私に聞いてくる。
「ダメ。絶対にダメ」
ふざけんな。
人の大事な眷属を何だと思っているんだ。
「ハルカよ…………こやつは裏切っておる。そもそもからして、サマンサは最初から怪しかった」
ウィズが首を横に振りながら私を諭そうとする。
「おや? 私は怪しかったですか?」
ウィズの言葉にサマンサが反応した。
「おぬしはこちらの世界に、いつ来たと言った?」
「ベリアル様と戦うちょっと前ですね」
「そうだ。妾達と会う1日前じゃ。それなのに、おぬしはこの世界の事を知りすぎておった」
「そうですかね?」
サマンサは頬に手を当て、首を傾げた。
私にはわかる。
この感じはとぼけている。
「妾がおぬしにいつ来たのか尋ねたら、こう答えたな? 『具体的に何時かはわかりませんが夜でした』と」
「ああ…………言ってましたねー……」
サマンサはウィズが言いたいことがわかったようだ。
「おぬし、なぜ時間を知っておる? アトレイアには時計もなければ、時間の概念もない。ただ、朝、昼、夜があるだけじゃ」
朝起きて、夜に寝る。
アトレイアの文明レベルではそれで十分なのだ。
「うーん、失敗しましたね」
「もっとも、おぬしはもっと致命的なミスをしておるがな…………」
「何でしょう?」
「おぬし、ハルカにシャワーを勧められて、何の疑いもなく、風呂場に行ったじゃろう?」
サマンサが前のアパートに泊まっていった日、私は起きたサマンサにシャワーを勧めた。
だが、あっちの世界にシャワーなんてない。
それなのに、サマンサは普通に風呂場に行き、何も聞かずにシャワーを浴びてきた。
「あー、やっぱり、あれは気付きましたよね? シャワーを浴びている途中で気付きましたよ。あ、マズいって…………でも、しょうがないでしょう? はるるん様が愛してくれたんですから。ずっと夢見心地だったんですよ」
実を言うと、これは私も気付いていた。
私はサマンサをお風呂に連れていって、シャワーはこうやって使うんだよーと教えながらイチャイチャするつもりだったのだ。
でも、私がシャワーを勧めると、サマンサは何も聞かずに、風呂場に行ってしまった。
そして、普通に浴びて出てきた。
その時に気付いた。
この子、もっと前からこの世界にいるな、と。
だが、私にとっては、そんなことはどうでもいいことだった。
私はサマンサがいてくれるだけでいいのだ。
「もう一度聞く。おぬしはいつこの世界に来た?」
ウィズがサマンサを問い詰める。
「3ヶ月前くらいですかね。いや、別に理由はないんですよ。単純にこちらの世界に転移する時に、はるるん様が転移した時間がわからなかっただけですので」
3ヶ月前…………
私達がこの時代に転移する前からいたのか…………
「すぐに会いに来てくれたらいいじゃん」
私がサマンサにそう言うと、ウィズを見ていたサマンサの目がこちらを向いた。
「ええ。そうですね。会いたかったです。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと…………」
サマンサは無表情のまま、濁った目でブツブツと、“ずっと”を連呼している。
そして、“ずっと”を言うたびにサマンサの魔力が上がっていった。
「ひえ……」
後ろからキミドリちゃんの情けない声が聞こえる。
「この魔力は…………」
ウィズもサマンサの魔力が上昇していることに驚いている。
「とても公爵級とは思えんな。私と同等か…………いや、もっとか」
ベリアルもまた、驚嘆した。
「サマンサ…………成長したね」
私はそんなサマンサに優しく声をかける。
「ええ! それはもう! あなたに会えない日々が私を狂わせる! あなたを想う日々が私を犯す! ああ……ああ、ああ!」
これまで無表情で感情を表に出してこなかったサマンサが狂い始めた。
「えーっと、この子、ヤバくないですか?」
キミドリちゃんがめっちゃ引いている。
私はそんなキミドリちゃんを無視して、サマンサに近づく。
「ハルカ!」
私はウィズが止めてくるが、無視して、そのまま近づく。
そして、私はサマンサの目の前まで近づいた。
私の目の前では、濁った目をした少女が胸を押さえ、苦しんでいる。
恋焦がれ、寂しさと悲しみを纏う少女だ。
「サマンサ、あなた、私に会うのは何年ぶりだったの?」
サマンサは時渡りの秘術でこっちの世界にやってきた。
…………時間を超えて。
そして、それはいつの時代から来たのだろう?
「はるるん様がアトレイアから消えて20年です!! 20年も我慢しました!! 耐えました!! あのゴミ勇者に媚びを売り、セーラ様に頭を下げ、耐え続けました!! あなたに会うために! あなたを手に入れるために!!」
サマンサが心の声を叫んだ。
本音を一切言わない女が心の底から叫んだ。
「20年……20年でそこまで魔力が上昇したのか……サマンサ、おぬし、いったい、何人の血を吸ったのじゃ?」
ウィズは驚きながらも、サマンサに尋ねる。
「血を吸う? 何を言っているんですか? 私が血を吸うのははるるん様だけ! 血を吸われるのもはるるん様だけ!!」
サマンサがその小さな体を震わせながら絶叫する。
「しかし、その魔力は…………」
サマンサの絶叫を聞いても、ウィズは納得していないようだ。
「この子のユニークスキルだよ。二つ名と同じ≪狂恋≫。狂えば狂うほど、恋焦がれれば恋焦がれるほど、魔力が上昇する」
私は納得できていないウィズにサマンサの能力を説明した。
20年…………
この執着心の塊のような子が20年も耐えたのか。
…………いや、耐えられなかったのだ。
「20年は長いね」
私はサマンサに語りかける。
「ええ! でも、私やあの勇者では、20年でも早い方ですよ!」
時渡りの秘術はそれだけ高度な魔法なのだ。
王級である私とウィズが協力しても何年もかかった。
サマンサと勇者君がどれだけ優秀でも、とんでもない労力と時間がかかっただろう。
「ごめんね。でも、これからは一緒にいられるよ」
私はサマンサを何とかなだめようと優しく話しかける。
「………………だ…………そだ、うそだ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ! あなたは私を捨てる! また捨てる!」
サマンサがさらに狂い始めた。
「私はサマンサを捨てないよ」
「だったら、何故、アトレイアに置いていった!? 何故、あの時、帰ろうとした!?」
ん?
帰ろうとした?
「何が?」
私はサマンサの言っている意味が理解できなかった。
アトレイアに置いていったというのはわかる。
私が眷属達を置いて、時渡りの秘術を使ったことだろう。
だが、帰ろうとしたは意味が分からない。
「私がベリアルにやられて眠っていた時、はるるん様は私を探していたのに、途中で帰ろうとした!! 嬉しかったのに!! でも、やっぱり、はるるん様にとって、私は邪魔なんだ!!」
あの時か……
私がベリアルからサマンサの情報を聞いて、サマンサを探してた時、見つからないので、ウィズとキミドリちゃんに協力を頼もうとして、一度、家に帰ろうとした。
その直後にサマンサの魔力を感じ取れることが出来た。
サマンサはそれをずっと見ていたのだ。
それどころか、試していたのだ。
「あれは違うよ……」
「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 私は要らないんだ…………私はメルの様に明るくもなければ、エリーゼの様に庇護欲をかきたてられない!! 私は……私は…………」
サマンサがついに泣き出した。
「そんなことないって」
「もういい……もういい! もういい!! 要らないならそれでもいい!! 私はあなたのそばにいるだけで幸せだった!! でも! でも、それが叶わないのならば、それでもいい!! 私は何もいらない! ただ、あなたをもらう!!」
サマンサの雰囲気が変わった。
恋が憎しみに変わり、サマンサの濁った目が怪しく光った。
「ハルカ!!」
サマンサの意変に気付いたウィズがこちらに近づいてくる。
「動くな!!」
サマンサは持っている光る剣をウィズに向け、叫んだ。
「その剣は…………」
ウィズがサマンサの持つ剣を見て、足を止める。
「動かないでください。いくら、ウィズ様でも死にますよ?」
サマンサの持っている剣は聖剣だ。
勇者が持ち、魔王すらも打ち破る聖剣。
神から与えられた神器。
おそらく勇者から奪ったものだろう。
あれを食らえば、ウィズも私もひとたまりもない。
二つ名持ちの侯爵級天使アーチャーをあっさり殺せるほどのものだ。
「サマンサ、あなたは何がしたいの?」
「あなたの血をもらいます。そして、私の血を与えます」
下剋上か……
吸血鬼とその眷属の関係は主従だ。
だが、その主従関係が変わることがある。
主人に噛みつき、血を吸うと同時に、自分の魔力である血を流し込む。
そうやって、相手の血を自分に染め、主従関係を逆転させる。
それが下剋上だ。
サマンサは私相手にそれをしようとしている。
私を手に入れるために。
二度と捨てられないようにするために。
「無理だよ」
私はサマンサを止める。
「いーえ、大丈夫です。いくらあなたの魔力がすごかろうと私の計算上は可能です…………でも、安心してください。あなたは何もしなくていい。これまで通り、家で遊んでいてください。私がすべてお世話をします。あなたの敵をすべて排除します。ただ、ただ、あなたは永遠に私のそばにいてくれればいい。永遠に私を愛してくれればいい。私をイジメてくれればいい。ただ、一緒にいてくれればいいのです」
サマンサはそう言って、泣きながら私に近づく。
そして、私に口づけをしてきた。
私はそんなサマンサを振り払いもしないし、口の中に侵入してくるサマンサの舌も受け入れる。
「愛してます」
サマンサは口づけを止めると、涙を流し、笑いながらそう言い、私の首筋に噛みついた。
そして、血を吸い、血を流し込み始める。
『隙だらけだが、やった方がいいか?』
ベリアルが念話でアホなことを聞いてくる。
『サマンサに指一本でも触れてみろ。殺すぞ!』
私はベリアルを念話で止めた。
そして、ウィズを見て、首を横に振る。
ウィズが魔法を放とうとしているからだ。
その間にも、サマンサはどんどんと血を吸い、私の身体に血を流し込んでいく。
私の身体に、ものすごい快感が走るが、サマンサが得ている快感はそれ以上らしく、サマンサの鼻息は荒い。
そして、手をスカートの中に突っ込み、一人で始めていた。
こいつ、一人でするのが好きだな…………
私はサマンサに呆れるが、その間もサマンサは止まらない。
いったいどれくらいそうやっていたかはわからない。
それでも、血を吸い続け、血を流し込んでいるが、サマンサは止まらない。
だが、そんなサマンサの血を吸うスピードも徐々に落ちてくる。
それと同時に、サマンサの感情が快感から焦りに変わっていくのがわかった。
「ごめんね、サマンサ…………一人にして、本当にごめんね……………………それと、下剋上は無理だよ」
私がそう言うと、サマンサは血を吸うの止め、私から離れる。
「なんで…………なんで……?」
サマンサは涙を流し続けていた。
「下剋上が出来るのは普通の吸血鬼だけ。真祖は無理なんだ。奴隷が王様を倒すことが出来ても、人間では神を倒せない。それと同じように、普通の吸血鬼は真祖に勝てないの…………ごめんね。あなたは私の親になることは出来ないの……」
それを聞いたサマンサは剣を捨て、その場で崩れ落ちた。
「私は、私は、私は、私は、私は、私は…………ああ、灰色になる…………世界が灰色になる…………終わった…………私の世界は終わった…………」
サマンサから急激に魔力が消えていく。
「サマンサ…………」
私は絶望しているサマンサに声をかけた。
「私はただ、はるるん様のそばにいたかっただけなのに…………そばに置いてくれさえすれば…………端っこでもいい。3番目でもいい。ただ、それだけなのに」
他人に興味を持たない女は自分の心にも興味がないのか…………
私は崩れ落ち、涙を流しているサマンサを抱きしめた。
「サマンサは何でいつも嘘をつくの? あなた、そばにいるだけでいいなんて、これっぽっちも思ってないでしょ。あなた、メルもエリーゼも嫌いでしょ」
「…………だって、そんなことを言ったら、はるるん様に嫌われるし」
「嫌わないから…………捨てないから。あなたは私のもの。私の大事な子」
「でも…………私、めんどくさいし」
……………………うん。
それは非常に否定しにくいなー。
「私はあなたに愛されて幸せだよ。あなたを愛してる。あなたが必要なの。ね? いい子だから」
私はサマンサの頭をなでる。
駄々をこねる子供を落ち着かせるように…………
「私は要らない子じゃないですか?」
「いるよー」
「そばにいてもいいですか? ずっとそばにいてもいいですか? 永遠にそばにいてくれますか?」
「もちろんだよー」
「ひっ、うっうっうっうっ…………」
サマンサはまた泣き出し、私に抱きついてくる。
サマンサはいつも私から距離を置いていた。
一人が良いと言って、一緒に住まなかったし、同じ部屋にいても、隅っこにいるような子だった。
でも、この子は遠慮していただけなのだろう。
いつも、何かを誘っても、一度目は拒否をする。
それはいいとこの生まれの教育か、サマンサ独自の性格かはわからない。
この子は自分を出すのが苦手なのだ。
だから不満を溜め込む。
暴走する。
一人で勝手に始める。
サマンサは私の胸の中で泣き続けている。
私は途中から自分のスカートの中に手を突っ込み始めたサマンサの背中を撫で続けた。