影者討伐隊活動録 前日譚
日本に影者という未確認生物が発生してから、五年ほど経った。
影者は、基本的に屋内や陰に突然発生し、そのまま人間を内側から破壊、食するという地獄の化身のような生き物だ。
大きさは一メートルほどとそれほど大きくないが、群れになると厄介。基本的に銃で射殺するが、上手く当てるのも難しい。そうこうしてるうちに群れの一匹が近づいてきていつの間にか……、なんてことも珍しくない。
しかも、一般人には見ることができない。
まぁ要するに、人間が放置して暮らすにはあまりにも危険で、あまりにも手強い相手だということだ。
「なぁ、ぼーっとしてる草木よ、今日の二時から任務だよな? 合同の」
影者を滅するべく戦う人達の組織である『影者討伐隊』の歴史資料を見ながら感傷的になっていると、同期の前川が話しかけてきた。
あぁ、そうだ。俺も前川も、その影者討伐隊に属している。
彼とは討伐隊に入るために行くことが課せられている訓練学校のときからの仲で、おそらく討伐隊の中で一番仲がいい。
「あぁ、そうだ。確かお前もだったよな?」
「そうだよ。久しぶりじゃねぇか? 同じ任務なの」
「そうだな……、一年ぶりくらいか?」
「確かそうだったはずだ」
前川が右上を向いて頷いた。考え事をするときの癖だ。
「まぁ、まだ十一時だけどな。……それでだ。草木さんよ、それまで事務仕事とかあるか? なんもなかったら、どっか遊びに行こうぜ」
「お前がサボりに誘うなんて、珍しいな。なんもないけど……いやそれよりも、そんなことして先輩に見つかったらどうすんだ? 言い訳できないぞ。ただでさえ仕事多いのに」
影者討伐隊に居る限り、常に命は危険に晒されている。まず第一に、任務が危険だ。いつ体内が破壊されるか分からない。油断したらイチコロだ。
だからか、影者討伐隊の組織人数はかなり少ない。需要と供給は成り立たないどころか、まともに機能していさえない。
つまり、個人の仕事量としてはかなり多く、五分十分のサボりなら大丈夫だが、一時間二時間ともなると、組織に大ダメージを与えるほどになるのだ。先輩にも"くそ"怒られる。辞めさせてはくれないけどね。
いや、普通の会社でもサボりは許されることじゃないけどさ。
「そういうんじゃなくてさ……、なんか今日は、どうしても仕事以外になにかしなきゃいけない気がする。そうしないと一生後悔する気がする。お前も……」
「なんだそのよく分からない勘。辞めてくれよ、任務で死ぬとか」
「分からないけどさ、とにかく、そうしなきゃいけねぇ気がすんだよ。な、草木さん。お願いだかんさ、どっか行かねぇか。な、一生のお願い」
不思議なことに、前川はいつにも増して真剣だった。こんなこいつ、見たことない。普段はおちゃらけて笑ってるようなやつだ。
さすがに不安になってくる。
「分かったよ。でもどこに行くんだ?」
「草木、ありがとう!! 久しぶりに、上野でも行こうぜ。二時の任務に間に合えばいいんだし。あそこなら、どうにか間に合うだろ」
確かに拠点に一番近くてそこそこなにかあるといえば、上野になるだろう。俺は深く頷き、そして俺たちは影者討伐隊拠点の門まで歩き始めた。
☆
二時の任務の場所には、どうにか間に合った。軽めに小言は言われたものの、ギリギリすぎたせいで特別怒られることはなかった。怒られるとすれば、拠点に帰ったときだろう。先輩のゲンコツが予想できる。
「思ったより多くね?」
「そうですよね……」
任務も終盤に差し掛かった頃、俺と前川直属の上司の同期が、ぽつりと呟いた。
彼は、ここの部隊の指揮をしている。部隊の中で一番年上で、尚且つ経験豊富だからだ。
それにしてもだ。確かに多すぎる。いつもは五匹くらい。けど今は、倒しても倒しても次から次へと湧いてきて、二十匹に達しようとしている。
「異常事態ってやつかな」
「でしょうね」
先輩が影者を撃ち殺しつつ言った。そりゃな。ここまで多いと異常事態だと思うのも当たり前だ。というか、思わない方がおかしい。
「どうします? 応援呼びます?」
「お前、落ち着いてんなぁ。そうだな。呼ぶか。これは、この部隊だけで対処できる量じゃないわ」
先輩が頷き、俺は隊服の胸ポケットから携帯を出した。周囲を警戒しつつ、応援を呼ぶ。討伐隊の事務を担当している女性は、ワンコールで出て、対応してくれた。
「いけた?」
「えぇ、二十分で来るそうです」
「二十分か。やっぱ時間かかんだな。まぁ、それまで堪えるしかないか。草木、こっからだぞ。全員で生き残るからな」
「ですね。ここで死ぬわけにはいきません」
そうだ。前川の勘が当たったとか言わせない。全員で、絶対に生き残ってやるんだ。
「お前ら全員聞けーーっ!! 今は異常事態だと言っていい状況にある。非常に危険である。命がかかっている。だけどだ。だからこそだ。全員で生き残るぞっ!!」
先輩の叫びを聞きながら、俺は銃を構え直した。
☆
「い、今ので何匹目だ?」
「五十匹目です」
「何分たった?」
「ちょうど三十分ですね」
「応援は?」
「分かりません。事情も分かりません。何度か向こうと繋いで見ましたが、応答はなしでした」
先輩がちっ、と舌打ちしたのを横目に、また撃つ。今で何匹目だ? 全員が撃った数を数えるのも、いい加減疲れてきた……。
「一旦撤収するか?」
「そしたら街に影者が溢れかえる可能性が……」
「問題はそれだな。だけどこれ、終わる気配ないぞ? 無駄な犠牲を増やすよりはいいんじゃ、な……?」
「先輩ッ……!?」
会話が変に途切れたのが気になり隣を見ると、先輩はいなかった。いや、いなかったんじゃない。
輪切りになっていた。
周囲には大量の血が飛び散り、頭から爪先まで綺麗に下ろされた先輩が、そこにはいた。
隣にいた人が一瞬で音もなく死んでいったのに恐怖を覚え、辺りを見回すと、先ほどまで一緒に戦っていた仲間がみな、無惨にも潰れていた。
ある者は腕を失い、またある者は頭部を潰されている。
「……は?」
突然の出来事に言葉を失っていると、隣からにゅっと腕が出てきた。そのまま突き飛ばされる。
「前川……!?」
「草木よ、なにぼーっとしてんだよ。死ぬぞ」
前川は、にっこりと笑っていた。
それから、それから。
一瞬にして吹き飛んでいった。
いつの間にか、残るは自分だけ。突然、みんな死んでいった。なぜだか影者はいない。じゃあ、影者のせいじゃないのか?
「一体なにが……」
ゴクリと唾を飲む。
まだ状況を飲み込めなかった。
もちろん、なにが起きたかは分かっている。
だけど、理解が追いつかない。
体が震える。怒りに震える。焦りに震える。悲しみに震える。もうわけが分からずに震える。
ふと頬を液体が伝う感覚がして、涙かと思ったら血だった。
人間、本気で怒ったら、血涙って出るんだな
「おい、そこの男」
不意に声をかけられて振り返ると、ダサいアロハシャツを着た中年の男が立っていた。
音も立てずに、ここまで来たのだろう。
そう、音も立てずに。人間なら、できないことだ。
きっとこの男が仲間を殺したんだ。
……殺したんだ。ころしたんだ……!!
不用心にもこちらに向かって歩いてくる男に、迷わず銃弾を撃ち込んだ。何発も、何発も。
だけど男は止まらない。身体中から血やら体液を零しながら、それでも止まることはない。
「おい、小僧」
男は、目を細めて言った。
俺が撃ち抜いた場所はもう、再生している。やっぱり、人間じゃないんだ。
「残念だが、お前には死んでもらう。期待したんだがな。生き残ったわけだし。あの、魔法の渦の中を。まぁ、仕方ない。一応言うと、死んでもらう理由としては、お前が能力的に足りないからだ。カリスマ性、冷静さ、全てにおいて儂が必要としているに足りない」
あぁ、こいつは、なに言ってんだろうな。
もうわけが分からないや。
ほんとに、わけが分からない……。
「冥土の土産に教えてやろう。儂は魔王だ。この中で生き残った者たちには、儂を殺してほしかった」
「な、ぜ?」
口の中が乾いて、上手く発音できない。なんだろう、なんなんだろう、この威圧感は。この、圧倒的な力は。普通に向き合っているだけで、恐怖を感じる。もう、銃弾もないからかな。
それか、こいつが魔王だとかいう、馬鹿げた存在らしいからか。
「うーん、一言で言うと、儂は死ぬことができない。それだけだ。いや、死ぬことはできる。ただ、自殺はできないんだ。殺されることは可能なんだがな。ただ、儂はもう何千年――いや、もっとかもな――生きた。だから、殺してほしい。ただ、儂より強いものでないと殺せないようになっていてな。そのために探しているんだ、儂を殺せるくらい、強くなれそうなやつを」
そんな、自分勝手な、自分本位な理由で、仲間は殺されたのか。……殺されてしまったのか。
「お前はその理想に足りなかった。だから、殺す」
「……そうやって無意味な殺戮をすることになんの意味がある?」
「意味、意味かぁ。英雄が現れるまで、儂は自分の存在を知られるわけにはいかない。それはそう……こういうゲームだからだ」
「ゲーム?」
「あぁ、ただゲームの内容を知れるのは英雄の特権だ。お前に教える義理はない」
魔王は話しながらも、どんどん近づいてきた。思わず後じさりすると、何かに躓いて尻もちをついた。尻もちを着いて先にも、柔らかい感覚があった。
躓いたものは、前川の手だった。柔らかい感覚は、前川の腹から溢れ出した内臓だった。転がった前川の顔が、笑ったまま、こちらを見ていた。既に冷たくなっていた。
「う、ウ゛ァァァァァァァァ――!!」
頭を抱えて叫ぶ。なんなんだ、この地獄絵図は。どうしてこうなった。どうしてこんなことになってしまったんだ。
なんで前川の予想が、当たってしまったんだ……ッ!!
「やっぱり冷静さは断然足りないな」
魔王は俺の顔を覗き込むと一言、言った。
「残念だ」
魔王の手が、俺の腹を突き破った。口から、血液が溢れ出す。
苦しい、苦しい、くるしい、ツラい。
なんで、普通の人間みたいな手なのに。なんで、見た目はこんなにも弱そうなのに。なんで、なんで……。
ふと、近くに落ちていた銃が目に入った。
しんどい。動きたくない。辛い。だけど。だけど……
俺は、魔王の手を掴んだ。こんな奴に、殺されたくない。殺されるなら、自分で死ぬ方がマシだ。
「生まれ変わっでも、絶対に殺してやる」
そのまま、出せるだけの力を出して、腹から腕を引き抜く。先ほどとは比にならないほどの血が溢れ出したが、そんなことはどうでもいい。
迷わず、銃を手に取り、頸動脈の辺りに当てた。
トリガーを引く。
銃声を聞いた瞬間、意識は吹っ飛んだ。
☆
「生き残れ、灯璃……!!」
その日魔王が現れた場所では、九年前と同じように、盛大に影者が狩られていた。
九年前よりも進化した銃で、増え続ける影者を不安そうに殺していた。
魔王は、前回と違い簡単に姿を現した。
その方が全てが早く終わると思ったのだ。
九年の間、様々な場所――地球だけでなく――を訪れた魔王のお眼鏡に適う生き物は、いなかった。
その事が、魔王を駆り立てた。九年は、長いようで短い。しかし、早く死にたい魔王にとっては、永遠よりも長い時間であった。
「生き残れ、灯璃……!! 生き残って、あの男を殺してくれ! お願いだ、お前ならできる!!」
灯璃、と呼ばれた少年を狙ったとき、その男は身を呈して庇った。男の体は弾け飛び、すぐにただの肉塊と化した。
灯璃は、前回の男とは違い、自分を殺すのに十分な子供だった。
だって今も、目の前で人が死んだ今も、どうにか冷静さを保っている。彼の胸中ではどうなっているか分からないが、それでも、自分の最期を任せるのに、最適だろう。
魔王は、灯璃にいろいろな事情を説明したあと、部下である少女にあとを任せ、早々に去った。
ただ、彼の中に引っかかるのは。
引っかかるのは、今後への淡い期待と、そして、それから……
「まぁ、不思議なこともあるもんだな。ある意味願いは達成されたことになるのか」
庇って死んでいった男。あの男の顔が、九年前、自分を殺すと宣言した男と、よく似ていたことだった。
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