第94話 詩乃とエスプレッソ①
しまった。
縫谷詩乃は表情に出さずそう思った。
「ねぇねぇ詩乃ちゃんさぁ、なんであれから連絡くんなかったの?」
「これから俺たちとどっか遊びに行かない?」
浅黒く焼けた二人の少年が詩乃を囲むようにして軽薄な笑みを浮かべる。彼らはかつて詩乃が合コンをしたことのある他校の生徒だった。
いつもなら変な男に絡まれないよう周囲に注意しているのだが、地元だからと油断していた。これが夜なら話は別だが、まだ太陽が高い位置にある時間で人通りが多い駅前アーケード街だというのも気を緩ませていた。
(しつこいなぁ、もぉ~! アンタらみたいに頭が悪いのはウチのタイプじゃないっての!)
ネックレスやチェーンでゴテゴテと飾る彼らのファッションも好みではなかった。
「ウチこれから用事あるからゴメンねぇ~」
片手を挙げて申し訳なさそうな顔を作る。ここで邪険に扱うと、どういうルートで自分の悪評が広まるかわからないのだ。なるべくなら穏便に切り抜けたい。
「えぇ~、そんなこと言わないでさぁ。ちょっとだけでいいから。ね? ね?」
「や、ホント用事があるんだって」
「じゃあ逆にその用事が終わってからならいいっしょ?」
しつこい男、がっついている男は詩乃が特に嫌うところだ。夏休みが始まってからまだ3日。そんな嫌悪の対象ですらある彼らに絡まれたのは幸先の悪いスタートだ。
(どうやって切り抜けよっかなぁ……)
そう思ったとき、見慣れた顔を見つけた。ラッキーと思い手を振る。
「あっ、こっちこっち!」
ひょろりと背の高い少年だ。上手いこと話を合わせてここから連れ出してくれないだろうか、と期待の眼差しを向ける。
(でもコイツってけっこうアホだし、とっさの判断とかできなそ~)
と考え、ダメかも、と思った詩乃だったが、少年は意外にも落ち着いた様子で近づいてきた。
「お、いたいた。ったく、なんでこんなとこにいんだよ、詩乃。待ち合わせ場所と違うじゃん」
などと言うその様は堂々としていた。詩乃は話を合わせて、しかしボロが出ないように最小限の言葉で返す。
「ごめんてー。じゃ、そういうことだからバイバ~イ」
言いながら、少年の少しだけ焼けている腕に抱きついた。振り向かずとも取り残された二人の表情がわかる。「ちっ、男いんのかよっ」と背後から毒づく声を無視し、体重を預けるようにしてそそくさと歩き去る。
半透明のアーケードで柔らかくなった日差しの中を歩く。夏休みだからか、親子連れの姿が目立っていた。
もう50mくらいは歩いただろうかというところで、少年はおずおずと口を開いた。
「縫谷さん……言いにくいんだけどさ……その…………胸が、当たってる……」
少年――月見里詞幸は喋り方を戻し、ギクシャクとした動きで手足を動かしていた。
もちろん詩乃も自分の胸に詞幸の腕が当たっていることには気づいている。
というより、彼女はわざとだった。
「はぁ……アンタってそういうヤツだよねぇ……」
彼女としては助けてもらったお礼の意味も込めてサービスのつもりだったのだが、まさか馬鹿正直に教えてくるなんて。
(しれっとおっぱいの感触を楽しんでればいいのに。ったく、経験のない男はこれだから……。言っちゃったら腕離すしかないじゃん)
顔を赤くしてまっすぐ前を向く詞幸を見上げる。意識しないように、必死にこっちを見ないようにしているのがわかる。
そんなものを見てしまっては、イタズラ心が疼かないはずがない。
「……そろそろ俺から離れても大丈夫なんじゃない?」
「待って、一応確認するから」
ちらっと後ろを振り向いて、絡んできた少年たちの姿が見えないことを確認する。
「あ~、まだこっち見てる。まだこのままね。怪しまれちゃうから」
そして当然のように嘘をついた。
次いで、詞幸の腕をさらに強く抱き寄せる。いや、押し当てるという表現の方が正しいだろう。腕の振りに合わせ、ふよふよと弾力のある柔肉を密着させた。
肉の薄い男性的な腕が強張る。伝わってくる体温は焼けそうなほどに熱い。
「縫谷さん……! これ以上はヤバいって……っ!」
「えぇ~、こんなのフツーっしょ。意識し過ぎじゃない?」
ふよふよ。
「本当にっ? 腕を組むのってこんなにエキセントリックな行為なのっ?」
「うわ~、反応が童貞丸出し。この程度でワタワタしてるんじゃ誰ともデートできないっしょ」
ふよふよふよふよ。
「くぅ~~~っ、耐えろ、耐えるんだ俺! 俺は鋼だ、何事にも動じない、なににも反応しない、堅固な存在なんだ! こんな、こんな素敵な柔らかさに屈したりなんか――」
ふよふよふよふよふよふよふよふよ。
「ひゅほわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!」
(ヤッバ、超面白いんだけど!)
奇怪な断末魔をあげる詞幸を詩乃が放すことはなかった。