第92話 織歌の相談室③
「織歌ちゃん、ちょっとお話よろしいですか?」
片づけが終わり解散となったあとの部室で、帰り支度をしていた織歌は御言に話しかけられた。手を止めて頷くと、御言はほっとした表情で居住まいを正した。
「実は相談事――いえ、はっきり申し上げましょう。内容は、恋愛相談なのです」
「恋愛相談?」
努めて表に出ないようにしたが、内心驚いていた。このお嬢様が他人に弱みを見せるようなことがあるのか、と。しかもそれが恋愛絡みとなればなおさらだ。だが裏を返せば、それほどまでに切羽詰まった悩みなのだとも言える。
「いえ、恋愛と言うと語弊があるかもしれませんね。これはわたくしが誰それを好きという話ではなく…………詞幸くんのことなのです」
「ほう、月見里の?」言わんとしているところが掴めず織歌は首を捻る。「どういうことだ? 詳しく聞かせてくれ。他言はしないと約束しよう」
「それは――」
すると御言は頬を紅潮させ俯いてしまった。口を真一文字に引き結んでしまう。
よほど話しづらい内容なのか、と織歌が案じること十数秒。御言は意を決したように口を開いた。
「実は――詞幸くんがわたくしのことを手籠めにしようと狙っているのです!」
「はぁあっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
「織歌ちゃんもご存じのことと思いますが、彼は愛音ちゃんのことが好きなのです。それなのに最近、わたくしに対する態度が意味深というかなんというか……」
もじもじと身を捩りながら続ける。
「実は薄々気づいてはいたのです。詞幸くんがわたくしを見るとき、なんだか伏し目がちになったり上目遣いになったりして――」
(それ、怖がられてるだけなんじゃないか? 変な写真で脅して入部させたんだろ?)
「それにほら、この前の部活でも『ぜひ手取り足取り勉強を教えてほしい』なんて見つめてきて――」
(そんな風には言ってなかったと思うが……)
ここまでの話で、織歌の頭の中では一つの解が導き出されていた。
(男に慣れてないお嬢様らしいというか……上ノ宮のやつ、月見里が自分に気があると勘違いしているな? それで殊更に意識してしまっている、と)
織歌はその愛らしいさまを微笑ましく見届けることにした。
「髪がまとまらなくてヘアスタイルを変えたときも、かわ――可愛いなんて言ってきてっ」
「ふむふむ、なるほど。それが嬉しくて、以降その髪型にしているというわけか(ニヤニヤ)」
「違います! な、なんでわたくしがそんなことをっ!」
からかうと凄い剣幕で迫られた。予想どおりの反応だったので軽く受け流す。
「そうかそうか、違うのか。すまなかったな、変な勘違いして。お前自身がそう言うのだからそうなんだろうな(ニヤニヤ)」
「まったく、早とちりはやめてくださいよ、もう」ここで彼女は一番の恥じらいを見せた。「極めつけは、さっき……その…………壁ドンをされたのですが――」
「え? んっ? 壁ドンっ? 壁ドンってあの、少女漫画でイケメンがよくやる方の壁ドンか!?」
「はい…………その壁ドンです…………。割と良かっ――はっ! でもでもっ、ああああんなに近くに男の子の顔があるなんて! わたくしはもうどうにかなってしまいそうでっ!」
思い出したのか、彼女は頭から湯気が出そうなほど顔全体を赤く染めていた。
「挙句の果てには『俺の女になれよ』なんて言われてしまったのです! まさかそこまでするなんて思っていなくて!」
「!?!?!?」
予想外の展開に織歌の頭はついていけていなかった。
(ど、どういうことだ!? 月見里が上ノ宮に気があるというのは勘違いじゃないのか!?)
「わたくしも彼のことは嫌いではありません。むしろ、あのとぼけた顔はワンちゃんのようで――あ、愛らしいとすら思います……っ。ですが、それとこれとは話が別なのですっ。彼の本命はあくまで愛音ちゃんですから、わたくしは2番目の女ということでしょう。わたくしもそういう関係に興味がなくは――こほん。つまり、そういうふしだらな関係を求められて、わたくしは困っているのです!」
(わたしが月見里のことを一途な男だと思い込んでいただけか!? 月見里は小鳥遊のことが好きなのに上ノ宮にも気がある!? そんな不埒なやつだとは思っていなかったが……真偽は別として、いまの言動から察するに上ノ宮もまんざらではないようだ。しかし相手には本命がいて、このまま気持ちに応えたとしても自分は都合のいい2番に成り下がってしまう。それで自分の心に芽生えた小さな恋心をどうしていいかわからずに悩んでいる――というわけだな?)
密かに彼の恋路を応援していた織歌は迷う。目の前の少女にどう言えば丸く収まるか――丸く収まらないにしても、傷つくにしても、どうすれば後悔のない青春を送れるのかを。
(予想外の三角関係だな……さてどうするか……。ここで上ノ宮に『そんな男のことは忘れろ』と言うのは簡単だ。だが、自分でも心の整理がつかないからこそわたしに相談してきたのだろう。恋心はそう簡単に割り切れるものではないからな。だからここは――)
「上ノ宮、お前は月見里に積極的にアピールしていけ。それであいつにとっての1番になればいい。そのあと、あいつを飼い慣らすのか手酷くフッてやるのかはお前次第だ」
不完全燃焼の恋は心に永くわだかまる。ならばいっそのこと、思い切り燃えればいいのだ。
己を守るのではなく自分から攻めるという姿勢を御言はお気に召したようだった。
「それは…………うふふっ。高飛車お嬢様ヒロインらしくて、わたくし好みの展開ですねっ」