第91話 紙防御
明日は終業式のため午前中には学校が終わる。昼を挟んでまで活動する必要はないだろう、という意見の一致のもと、今日が1学期最後の話術部活動日となった。
そんな夏休み直前の部活の内容は、いつもどおりの他愛ないおしゃべり――ではなく、掃除だった。
「まったく、ユリちゃんが早く言ってくれればこんなに慌てることもなかったのですが……」
御言は堆く積まれた段ボールの中身を確認して愚痴をこぼした。
話術部の隣、本来は空き部屋となっているはずのそこは現在、物置として使われている。話術部だけでなく種々の文化部の備品が所狭しと押し込まれており、一見しただけではどれが話術部の持ち物かわからないほどだ。
「うちは夏休み中の活動はないからねえ。ほかと違って片づける時間が足りないよね」
詞幸も段ボールの中身を確認し、話術部の箱を選り分けていく。
夏休みを目前に控え、その計画をあれこれと話していたところに紗百合が現れたのがつい先ほどのこと。そしていつも適当な顧問が口にしたのは、『部室を片さないとあたしが怒られちゃうのよ!』という、これまたいつもの保身発言だった。
紗百合が言うには、夏休み中に清掃業者が入って学校全体のワックスがけを行うらしい。それは部室とその横の空部室も例外ではなく、『清掃業者が来るときには床に物がないように片づけ、机の上などに乗せておくように』とのお達しが教頭からあった、そうなのだが。
それを伝えるのをすっかり忘れていたのだ。
かくして、平謝りする紗百合を半目で睨みつつ、一同は部室の片づけをすることと相成った、というわけである。
「なんだか前に部室掃除したときより物が増えてるよねえ。あ、これうちの段ボールだ。元々置いといた場所から移動してるよ」
部屋の中で作業しているのは詞幸と御言の2人だけで、ほかは部室の方の片づけをしている。
「こんなことならペンで話術部って書いとけば良かったね。上ノ宮さん、そっちは――うわっ!」
体のバランスが崩れた。文化部が多く物置にしているだけあって室内には物が散乱しており、注意を疎かにしていた詞幸は演劇部の衣装用ハンガーラックに足を引っかけてしまったのだ。
「危ない!」
詞幸は咄嗟に叫んだ。足の踏ん張りがきかない。倒れ込む先に御言がいる!
「きゃ!」「ううっ!」
右腕に激しい衝撃が走る。
衝突の寸前、腕を伸ばし、壁に手をついて勢いを殺したのだ。
「ごめん、大丈夫だった?」
「だ、大丈夫です……」
咄嗟に瞑っていた目を開ける。すると――
眼前に御言の顔があった。鼻先が触れ合いそうな距離に。
状況的には詞幸が壁ドンをしてるような格好である。
御言の顔がみるみる赤くなっていく。
「ごめん! わざとじゃないんだ!」
すぐに体を離して謝意を口にする。が、御言からの反応はなかった。
壁に背を預けたまま、胸を押さえてパクパクと口を動かしているのだ。
「えっ…………もしかして照れてる?」
常に落ち着き、慌てることなく優雅に振舞う。それが詞幸の抱く御言の印象だ。いつも周囲を言葉で翻弄し、からかう側の人間である。詞幸が辱めを受けたことも1度や2度ではない。
そんな彼女が、あろうことか狼狽し、恥ずかしがっているなんて。
「て、照れてませんっ。わたくしが照れるなんてありえませんっ」
しかし、言葉とは裏腹に、どうやら本気で照れているようだ。
「でも顔真っ赤だよ? なにも強がらなくても……」
「そんなに疑うのなら、もう1度壁ドンしてみてください! 今度は絶対照れませんから!」
「ええっ、やらないと駄目?」
『今度は』などと言っている時点で最早自白しているようなものなのだが、御言は強気な態度を崩さない。
「やらないと駄目です! わたくしにも矜持があります。壁ドンごときで照れるようなはしたない女だと思われたまま引き下がれません!」
「照れるのは別にはしたくないと思うけど……そこまで言うならわかったよ。じゃあ……」
御言が壁に背を付け、その真正面に詞幸は渋々構える。
「本気で来てくださいねっ? 生ぬるい壁ドンならリテイク出しますからっ」
映画監督のような発言だった。
「いくよ!」
詞幸は1歩前に踏みだす。腕を伸ばし、退路を塞ぐために御言の顔の横あたりで壁を勢いよく叩く。すると御言の肩がピクリと跳ねた。構わず、覆いかぶさるように顔を近づけて囁く。
「――俺の女になれよ」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
声にならない絶叫が漏れる。耳まで真っ赤にして、瞳がうるうると揺れていた。
「やっぱり照れてるじゃんっ。攻めるのは得意だけど実は攻められるのは弱いんでしょっ?」
「そそそんなことありません! たまたまタイミング悪く不整脈を起こして赤くなっただけです! 照れてないったら照れてないのです! むしろそっちこそ照れてるじゃないですかっ!」
「そっちが恥ずかしがらなければこっちだって照れないよ!」
数分後、紗百合が様子を見に来るまで二人の言い合いは続いたのだった。