第88話 それでも季詠は語らない
その日は部員の集まりが悪く、部室の中はガランとしていた。
「あれ? まだききっぺしか来てないんだ」
「そうなの。愛音も月見里くんも遅れて来るって」
「ふぅん――まぁいっか。ちょうどアンタと二人っきりで話したいと思ってたとこだし」
季詠の向かいに座って詩乃は目を細める。
「特にあの二人には絶対に聞かせらんない話だしぃ~」
「えーどんな話なんだろ? ふふっ、なんだかちょっと怖いなぁ」
「先週詞幸から聞いたんだけどさぁ、アンタ、ナッシーと上手くいくように詞幸に協力してんだって? なんで?」
「……」
一瞬の間。詩乃には空気が僅かに強張ったように感じられた。
「月見里くんが優しくていい人だからだよ? 愛音は恋愛に疎いから親友としてちょっと心配だったの。『高校生になったんだからそういうことに興味持ってもいい頃だけど、少しくらい後押ししてあげないと男子と仲良くなることなんてないだろうなぁ』って思ってたところに月見里くんの気持ちに気づいて。お節介かもしれないけどね」
「ふぅん、そ」
自分から聞いておきながら、詩乃はつまらなそうに相槌を打つ。
「ねぇ、でもそれおかしくない? フツーは親友の恋を応援するもんじゃないの? 知り合って2か月しか経ってない男の恋じゃなくてさぁ」
化粧に飾られた目が、飾らないものを見透かすように見つめる。
「2か月もおんなじクラスで過ごしてれば月見里くんが優しくて思いやりのある人だってわかるもの。そういう人は見ていて気持ちがいいし、助けてあげたくなるよ。期間はそんなに関係ないと思う。それに私だって愛音のこと好きなんだよ? 好きな友達のことを好きになってくれる人がいたら嬉しいし、自慢したいし、応援したくなっちゃうもの」
「それって詞幸はいいかもだけどナッシーにとっては迷惑かもしんないじゃん。お節介ってゆー次元じゃなくない? 独りよがりの自己満足に浸ってるだけだと思うんだけど」
友人に対して使うには強い、諭すのではなく非難する言葉。しかし季詠は顔色一つ変えない。
「確かに迷惑かもしれないよね。そこは私も弁えてるつもり。本当に愛音が迷惑に思うようになったら、月見里くんには悪いけどそれ以上愛音には関わらないでもらうから」
「言うだけでどうにかなると思ってんの? 恋愛感情って重いし根深いよ? 逆恨みするかも」
「月見里くんはそんなことする人じゃないよ」
「随分買ってんね。アイツのこと」
「うん、だから愛音とは上手くいってほしいの」
「その結果盗られちゃうかも知んないのに?」
「あははっ、盗られるなんて大袈裟だよ~。私は親友に彼氏ができたからって嫉妬に狂うような人間じゃ――」
「そっちじゃない」
詩乃は鋭く言った。
「ナッシーを盗られちゃうかもってんじゃなくて、ナッシーに盗られちゃうかもって話」
「…………なにが言いたいの?」
そこで初めて。
季詠の、声が、視線が、表情が、険のあるものに変わった。
そられを向けられた詩乃は、はぁっ、と息を吐いて肩を竦める。
「恋は誰かのもんじゃない、自分だけのもんだってこと」
その瞳には、季節を燃やす太陽のような――すべてをあぶり出すような強い光が宿っていた。
「ウチは、誰かが誰かの恋を踏み台にするのも許さないし、誰かが自分の恋に言い訳すんのも許さない。誰かの恋はその誰かが勝手に見つけるべきだし、自分の恋は自分で終わらせるべきだと思う。でも――アンタは? アンタはどうしたいの? どうなりたいの?」
「………………………………」
季詠は、ただ詩乃の瞳を見つめ返すだけだった。
なにも言わず、ただただ言葉に耐えるようにじっとしているだけだ。
どれほどそうしていたのか、
「…………はぁ、なんか一人で熱くなってバカみたい」
先に折れたのは詩乃だった。
「もうこんな話ヤメヤメ! こういうマジなこと言うのウチのキャラじゃないんだっての。あぁ~あ、もう恥っず!」
背もたれに体重を預け、緊張の切れた顔で手をひらひらと振る。
「ウチ今日は帰るわ。なんかこのままだとまた変なこと言いそうだし」
「うん、わかった」
季詠が静かに見つめるなか詩乃は立ち上がる。
鞄を提げ、ドアに手をかけたところで「最後に一つだけ言っとくけど」と振り返った。
「恋に本気じゃないやつは嫌いだけど、本気なやつのことは好きだから。誰がとは言わないけど。そんじゃねぇ~」
軽く手を上げて扉の向こうに消えていく。
その背中に季詠は手を振り返した。そして、誰に言うでもなく呟く。
「私もそうだよ」