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第72話 梅雨のせいだから 後編

 愛音(あいね)の細かな変化に気づいてそれを褒めよう。

 詞幸(ふみゆき)はそう考えていたのだが、そんな都合のいい状況がいつもあるわけではない。

「おっす、おはよー」

「おはよう、愛音さん――って、ええっ? どうしたのその髪っ?」

 自席の詞幸が振り返ると、愛音がうんざりした表情で立っていた。が、その姿は見慣れたそれではない。

 トレードマークとも言うべきツーサイドアップの栗毛が縦横無尽にはね、うねり、纏まりなく広がっているのだ。

「あーこれなー、湿度が高いとぼわっとなるんだよー。まったく、これだから梅雨は嫌いなんだ。毛量多いから朝直す時間もなくてなー。ははっ、たわしみたいだろ?」

 自嘲して束になった髪をぞんざいに撫でた。

(……これって梅雨のせいだけじゃなくてただの寝ぐせも含まれてるよね?)

 そう思ったが口に出すのはやめた。

(そんなことよりこれはチャンス! 愛音さんの変化には気づけた……あとは褒めるだけだ!)

 本来、相手の変化に気づいて褒める、という行動がプラスに働くのは、その変化のために行った努力や勇気が報われたと相手が感じるから、という側面がある。

 そういった点から考えれば詞幸が取ろうとしている行動は本来の意味からずれているし、そもそも愛音のたわしのような髪を『慰める』ではなく『褒める』ことで好感度アップを狙うというのも無理があり、間違った選択だ。

 彼は自分にとって都合のいい状況など簡単に訪れるはずもないのに一つの手段に固執してしまった。その時点で詞幸は臨機応変な対応を放棄したも同然。結果、失敗の確率を押し上げてしまったのである。

 しかし、彼にはそこまで考える余裕がなかった。

 とにかく彼女に可愛いと伝えなくては。その(はや)る気持ちが彼の脳を麻痺させていた。

(ようし、愛音さんに可愛いって言うんだ。可愛いって言おう。言うぞ、いま言うぞ――)

 心臓の音が早い。喉はカラカラに乾いているのに、背中には汗が流れている。

「っ……、っ……、っ……!」

 しかし、勇気を振り絞ってもなかなか声が出ない。口は動いているのに、喉が言うことを聞かないのだ。

(な、なんで!? さっきはちゃんと言えたのに……なんでこんなに恥ずかしいんだっ?)

 確かに、どもりながらではあったが御言には伝えられた。だが、想い人に言うのは女友達に言うのとワケが違うのだ。

 羞恥心と『相手から嫌がられたらどうしよう』という心理的防衛本能とでも言うべき心のブレーキが合わさり、彼の言葉を喉元で押し止めているのである。

(恥ずかしいけど、でも、愛音さんにしょんぼりした顔はさせられない!)

 それでも、彼にはなにも言わないという選択肢はなかった。

(そうだ! 『可愛い』って言おうと思うから緊張するんだ! なにかほかの言葉で言い換えるようにすれば――)

「大丈夫だよ、愛音さん! 愛音さんの髪はだたのたわしじゃないよ! どこかふわふわしてて触り心地のよさそうな――そうっ、高級たわしだよ!」

「………………はははっ、どうやらお前はアタシに喧嘩を売りたいらしいなー」

 口元は笑っている。しかし、その目には隠し切れない怒気が宿っていた。

「違うよ悪口じゃないよ! 体を洗うのに使う何千円もするたわしもあってね――」

「うっさいバァーーーーーーカっ! お前の髪もたわしみたいにしてやるー! わはははははははーっ!」

「ぎゃあああああ! 頭わしゃわしゃしないで! 乱れる! 髪が乱れるからあ!」

 教室に詞幸の悲鳴が響く。

 いつの間にか、テスト前の憂鬱でピリピリした空気が和やかなものになっていたのだった。

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