第59話 カラオケにて① 傘の下
テスト前の1週間、学校は生徒たちを勉強に専念させるため、部活動を禁止している。
今日は期末テスト前最後の部活の日だが、放課後になっても話術部の面々は部室には行かず、傘の花を咲かせてぞろぞろと街中を歩いていた。
つらいテスト勉強を乗り越えるため、最後の息抜きとしてカラオケに行くことにしたのだ。
(ああ、梅雨の神様っ、ありがとうございます! 俺はいまとっても幸せです!)
空を厚い雲が覆い隠し、しとしとと振る雨が路面を濡らす。本来であれば憂鬱な季節であるはずだが、詞幸の心は蝶が舞う春のように麗かだった。
(愛音さんと並んで歩いて笑い合う。この状況、まるで恋人同士みたいだあ……)
思わず声がスタッカート気味に弾む。
「カラオケって結構行くのっ?」
「んー、そんな頻繁には行かないなー。年に3、4回くらいかなー」
「俺も久しぶりだなあ。楽しみだねっ」
相槌を打つ口元もだらしなく緩んでいた。
それもそのはず、詞幸は愛音と肌が触れ合いそうなほど接近しているのだ。
――相合傘。
それは単純に一本の傘を二人で使うというだけのこと。しかし、青い春真っただ中の詞幸にとって、この傘の下で交わす会話はある種の睦言と同義なのだ。
(この傘の下は二人だけの世界――ああ、なんてロマンチックなんだろう……)
恍惚とした表情になる詞幸だが、愛音はこの状況を特に意識していないようだ。
愛音は午後から雨が降り出すことを知らず、傘を持ってきていなかったのだ。そのため、詞幸が「俺の傘が一番大きいよ! 二人入っても濡れないよ!」と力説したために、この状況が実現したというだけなのである。
「……うーん、やっぱり背に差があると濡れるなー」
愛音は側頭部で束ねた髪を撫でた。
詞幸も愛音寄りに傘を持ってはいるが、いかんせん頭の位置が違い過ぎた。愛音と傘の間には数十センチの隙間が生じてしまい、少し斜めに降っている雨はそこから吹き込んで愛音を濡らしてしまっていた。
「背丈が近くないと相合傘は駄目だなー。おーいミミ、アタシと場所変わってくれー」
パシャパシャと音を立て、小走りに傘の下から去っていく。
「ええっ、そんなあ……(´・ω・`)」
詞幸は弱々しく肩を落とした。
代わりにやって来たのは、同じく傘を忘れ、織歌の傘に入っていた御言だった。
「まぁまぁ、元気を出してください。それとも、わたくしが一緒では不満ですか?」
「いやいやいやいや、そんなことないよ! 女子と――ていうか上ノ宮さんと相合傘なんてむしろ嬉しいよ! 少し緊張しちゃっただけ!」
「うふふっ、それは良かったです。わたくしも男の子と相合傘をするのは初めてなのでドキドキしてしまいます」
恥じらいを見せながら、おずおずと口にする。
「あの……もっとそちらに寄っていいですか?」
「う、うん。大丈夫だけど……」
上目づかいに見つめる御言の顔が近づく。
長い睫毛に彩られたその瞳に吸い込まれそうになり、詞幸はドギマギしてしまう。
「ちょ、ちょっと近すぎないっ?」
御言の左肩から前に流れる髪が腕に触れ、少し距離を取ろうとする。
「あっ――」
その際に傘が傾き、滑り落ちた水滴が御言の右肩を濡らしてしまった。
「上ノ宮さん、ごめん! 冷たかったよねっ?」
「いえいえ、お気になさらず。少し濡れてしまいましたが…………あっ、気が利かなくてごめんなさいっ」
「えっ? な、なにが?」
謝るべきなのは自分の方なのに、なぜ御言が謝るのか。詞幸は皆目見当がつかず首を捻る。
御言は僅かに俯き、乞うような眼で詞幸を見上げる。
そして自分の胸を隠すように腕を持ち上げ、科を作って言った。
「詞幸くんのせいでわたくしのカラダがぬれぬれになってしまいました……責任取ってください……」
「なにその誤解を招く言い方!?」
「うふふっ、こういう言い方の方が元気が出ると思いましたので」
「気の使い方が変化球だよ!」
あらぬ誤解を招きそうだったので、元気になったとは言えない詞幸だった。