第56話 君の呼び名は 前編
「そういえばさ――」
部室での談笑中、詞幸はふと気になったことを口にした。
「古謝さんは愛音さんのこと苗字で呼ぶけど、それはいいの?」
彼は愛音を名前で呼ぶようになったきっかけを思い出す。
「『アタシのことを苗字で呼ぶな。アタシを苗字で呼ぶのは敵だけだ』って言ってたじゃない」
だが、当事者である織歌は首を捻った。
「ん? なんのことだ?」
「あれ? 古謝さんは聞いたことないんだ」
ということは、愛音は織歌に名前で呼ぶように求めていないということである。
ではあの要求はなんだったのか。
(もしかして、愛音さんはほかならぬ俺に名前で呼んで欲しくて、俺にだけわざわざあんなことを言ったんじゃ……)
淡い期待を抱くが、それは単なる幻想だった。
「いや、ルカはそのままの呼び方でいいんだよ。だって敵だからな」
なんでもないことのように愛音は言う。
「敵って……古謝さんも同じ部活の仲間でしょ?」
「友達だが仲間じゃないな。やっぱり敵と言ったほうがしっくりくる」
友達=仲間ではないのか。言葉の定義がわからなくなってきた詞幸は疑問を投げかけた。
「友達なのに敵って矛盾してない?」
「そんなことないぞ? キラとアスラン、ルルーシュとスザク、ナルトとサスケ――友情はあっても敵対関係にあるのは珍しいことじゃない」
「そいつらは立場上敵にならざるをえなかっただけだろう。お前がわたしを敵視するのとは状況が違うと思うが」
「あれ? もしかしてコジャっち傷ついてる?」
これまで聞いているだけだった詩乃が会話に加わった。
「そこまではいかないが……謂れもなく敵意を向けられて気持ちのいい人間はいないだろう」
「確かにねぇ。で、なんでナッシーはコジャっちを目の敵にしてるん?」
この質問に、愛音は居丈高に腕を組みつつ鼻で笑った。
「はんっ、そんなの決まっているだろう。コイツに彼氏がいるからだ」
「なにそれ……もしかして自分がモテないから僻んでんの?」
「おいおい、お前と一緒にするなよ」
詩乃と織歌、双方に向けてシニカルな笑みを浮かべた。
「アタシはただ、異性とのイチャコラにうつつを抜かすような、精神的に向上心のないものは馬鹿だと言っているんだ」
「授業でやったからって引用してる……」
愛音は単に物語のキャラクターの真似をしたいだけで、とくに深い考えがあって言ったのではないのだろう。
詞幸がそう結論付けようとしたとき、パチンと音がした。
「あっ、ウチわかっちゃった!」
詩乃が指を鳴らしてそのまま愛音を差したのだ。
「ナッシーさぁ、入部したばっかのときコジャっちを遊びに誘ってたじゃん? それなのに彼氏との約束優先だからって断られたのまだ拗ねてるんでしょぉ! 友情より恋愛を優先されちゃったからヤキモチやいちゃってんじゃない!? きゃはははっ!」
「なっ――そんなわけないだろう! 知った風にデタラメ言うなッ!」
憤慨して拳を振り上げる愛音の顔は耳まで赤い。そんな状態では、どんなに否定したところで逆効果というものだ。
「そうだったのか……気づかなくて悪かったな小鳥遊。今度は付き合ってやるからな」
「ねぇ~、意外と可愛いとこあんじゃ~ん」
「このっ、お前らアタシの頭を撫でるな! ふーみんもニヤニヤするんじゃない! 全然そんなんじゃないんだからな! 本当だからなー!!」