第43話 神の眼
季詠は今日も学校を休んだ。
昨日は愛音もどことなく元気がなく、なにもしてあげられない己の無力さを痛感した詞幸だったが、今日は違った。
欠席している季詠には申し訳ないと思いつつも、これを好機と捉え、愛音との距離を縮めようというのだ。
(そのための準備はもうできている……あとは、お昼が来るのを待つだけだ!)
四時限目が終了し、教室内は弛緩した空気に包まれる。
「愛音さん、今日も二人きりだけど一緒に食べようか」
「ん、ああ、そうだな」
生返事をしながら緩慢な動きでリュックを探る。昨日よりは元気を取り戻しているとはいえ、やはり本調子ではない。
愛音に想いを寄せる詞幸の眼にはその差異が大きく感じられた。机を向かい合わせにして昼食を準備し、常よりの微笑みをさらに大きくして話しかける。
「ほら、愛音さん。今日は奮発してからあげクンの他にLチキも買ってきたんだよっ」
弁当の他に愛音の好物である唐揚げを用意する、というのは彼女のご機嫌を取るために既に使ったことのある手だ。
その効果は絶大ながらも、しかし、愛音の健康を慮る季詠によって禁じられていたのである。
だが、その季詠はいまここにはいない。
愛音は一瞬で詞幸の意図を理解し、そして破顔した。
「おおっ、でかしたふーみんっ! にひひ、お前も悪だなー、じゅるり」
「へへっ、愛音さんほどじゃないよ」
「鬼の居ぬ間に洗濯、ならぬ、キョミの居ぬ間に唐揚げ、だな」
イケナイことをするのはなんでこんなに楽しいのだろうか。
いただきますを言うのももどかしいとばかりに、愛音は早速からあげクンを口に運んだ。
「おー、この味この味! いやー、久々に食べるとやっぱりたまらんなー」
パックの豆乳をストローで吸って、満足げに息をつく。
そのふやけた顔に、詞幸の頬も緩んだ。
「おいおい見ろよ、Lチキのこの体に悪そうに照り輝く脂を! 実に旨そうじゃないか! キョミがいたら絶対に食べさせてくれないぞー」
イタズラな笑みを浮かべる愛音は、左手で持つチキンの包みに齧りつき、右手の箸で弁当箱のご飯を口に運んだ。
「もごもぐ、ごっくん。あー、白米に合うー。野菜も摂らずに脂物を食べる。若さの特権だなー」
「ははっ、なにそれ」
しみじみ言う愛音に笑ってしまう詞幸。実に微笑ましい光景である。
が、ここで彼のある種の情欲がひょっこり顔を出した。
(『あ~ん』してあげたい!)
愛音の両手が塞がっているのを見て、ふと思いついてしまったのだ。この瞬間にからあげクンを差し出せば、もしかすると愛音は『あ~ん』してくれるのではないか、と。
(可愛い愛音さんをもっと見たい! でもそんな恥ずかしいこと俺にはとても――はっ、いつの間に俺はからあげクンを持っていたんだあ!?)
心の中で思ったなら、そのとき既に行動は終わっている――
彼の裡に秘めた強い欲求がそうさせたのか、気がづくと右手の指先が爪楊枝を摘まんでいた。
「おっ、なんだふーみん、食べさせてくれるのか?」
口の周りに付いた脂を舐め取り、無防備に口を開ける。
「あ~~~ん」
(え、これいいの!? こんな恋人みたいなことしちゃっていいの!?)
暴れ馬のごとく心臓が跳ねまわる。緊張で全身がじっとりと汗を滲ませ、視界が狭まる。
(ええい、悩むな! こういう時は勢いだ!)
「あ、あ~~~ん」
指先を口元に近づけていく。
ここはもう二人だけの世界だ。
愛音の唇以外視界に入らない。
「あ、悪い。電話だ」
「え、え? あ、うん、電話ね。うん。なら仕方ないね、どうぞどうぞ……」
肩透かしをくらった状態の詞幸は落胆の色を隠せなかった。
「あれ、キョミからだ。ビデオ通話? なんだろ……もしもーし、おおっキョミ大丈夫なのかっ? そうか、良かった。ん? ああ、いま食べてるとこ。うん、ふーみんと二人で。へ? あー、いやいや、そんなことないぞ。ちゃんと野菜も……え、あーうん、いや、それはっ……うん、わかった、ふーみんにも説明する。ちょっと待っててくれ……」
「ど、どうしたの!?」
親友からの電話だというのに、通話を中断した愛音はしょぼくれた表情になっていた。
「キョミがな、アタシたちが唐揚げばっか食べてないか心配だから、ビデオ通話で机の上の弁当を見せろって……」
「嘘でしょ!? 俺たちの行動バレバレ!?」
「……なー、ふーみん。アタシたち、共犯だよな……?」
二人は神妙な面持ちになり、お説教を覚悟するのだった。