第40話 楽しい折檻
「詩乃ちゃんにはわたくしのコブラツイストを受けてもらいます」
コブラツイスト――
蛇のように相手の身体に巻き付くことで間接にダメージを与えるプロレス技であり、見栄えの良さからフィニッシュ・ホールドとして用いられることも多い。
決して御言のような気品溢れる女性が行うものではない。その雰囲気と発言のギャップに詞幸は面食らったが、当の詩乃はどこか安堵しているようだった。
「どうせ素人がやるもんだし大して痛くないっしょ。前のに比べたら痛みに耐えればいい分まだマシだし、さっさとやっちゃお」
巻き髪をくるくると指で弄びながら一歩前に踏み出す。御言はニッコリと笑ってこれに応じ、机に置いてあった『プロレス技大図鑑』なる本を手に取った。
「ではまず、こちらに背中を向けていただけますか?」
「ちょ、上ノ宮さん、ちょっと待ってくれる?」
「はい?」
と付箋をつけたページを開いた御言が顔を上げる。
「もしかして、コブラツイストするの初めて?」
言ってから、我ながら馬鹿な質問だな、と詞幸は自戒した。コブラツイスト経験のある女子高生がそうそういるものか。
「良かったら俺が教えようか? 中学の時、クラスメイトとふざけてプロレス技掛け合ったことがあるから」
「まあ、本当ですかっ? 是非お願いいたします!」
「はぁッ? 詞幸なに余計なこと言ってんの? そんなもん適当でいいんだって! ちゃんとやったらウチが痛い目見るだけじゃん、バカ!」
「ああっ、そっかごめん!」
凄みのある眼で睨まれたが、律儀な彼がそれで御言へのレクチャーをやめることはなかった。愛音が囃し立てるなか、御言に細かな指示を出していく。
まず御言の左足を詩乃の左足に絡めるように背後からフックさせる。そして左に傾いた詩乃の右腕の前を通るようにして御言の左腕を首の後ろに巻きつけ、最後に背筋を伸ばす。
「これで完成でもいいんだけど、両手を使ってしっかりと首をクラッチすると威力が上がるんだよ」
「こうですか?」
「イぃタタタタタタタタタッ! アバラと脇腹がイタい! こっの詞幸! あとで覚えときイタいイタい!」
「うふふふふふふふふっ」
怨嗟と悲鳴が混じり合う声を浴び、詞幸は申し訳ない気持ちになる。しかし、心底嬉しそうに技を掛ける御言を見ると、心苦しさよりも自分が役に立ったという充足感が勝ってしまう。
「てかナッシーはなにしてんの!?」
気がつくと、愛音はスマホを構えて詩乃の周りを動き回っていた。
「なにって撮影に決まってるだろ。おっ、このアングルけっこうエロいぞ! あー、いいねいいねその表情! リョナラーが見たら喜びそうだ!」
「……意味はわかんないけど……ムカつくぅ……」
詩乃の格好は、ただでさえ短いスカートの裾がめくり上がり、胸元ははだけ、あられもないものとなっている。目のやり場に困った詞幸は一歩引いて顔を背けた。
と、シャツの裾が遠慮がちに引っ張られる。
「ねぇ月見里くん、リョナラーってなにか知ってる? プロレスファンみたいな意味?」
無垢なる瞳で聞いてくる季詠の顔から目線を外し、詞幸は口ごもった。
「んんーそのー、なんていうか――――俺に聞かないでー……」
「人に尋ねない方がいい類の言葉だ。加えて、自分で調べることもお勧めしない。あれは知らなければ知らないままでいい文化だ」
織歌が噛んで含めるように言うと、なにかを悟ったのか、季詠は紅潮させた顔で「わかった」と小さく呟いた。
「ねぇっ、ところで……ウチいつまでこの状態なの……っ?」
「そうですね、そろそろいいでしょうか。愛音ちゃん、いい画は撮れましたか?」
「おう、バッチシだぞ! 後で見せてやるからな!」
満足顔で御言は詩乃を解放した。しかし対照的に、愛音は「うーむ」と物欲しそうな顔になる。
「アタシもやってみたいなー、コブラツイスト。なあ、しののん。今後はウチがやっていいか?」
「はぁっ? やだやだ絶対ムリ! まだカラダがギシギシいってるし! 他の人にしてよ!」
「はいはい! じゃあ俺がやるよ!」
チャンス到来、とばかりに鼻息荒く詞幸が手を挙げた。
だがその耳元に、織歌がドスの利いた声で囁きかける。
「お前、まさかここをJKリフレかなにかと勘違いしてるんじゃないよな?」
「ええ! そんなことないよ!」
ぶんぶんと首を横に振って否定する。しかし冷めた声が追い打ちをかける。
「いい人だと思ってたのに……私ちょっとガッカリしちゃったな……」
「ほらナッシー、やっぱウチが相手したげるから、ね? こっちおいで?」
「えー、大丈夫かー? アタシは別にふーみんでも構わないんだけど……」
「詞幸くんとだと身長差がありすぎますから詩乃ちゃんの方がいいと思いますよ? それに彼はお猿さんみたいなものですから、不用意に近づくと危険ですよ?」
女性陣からの白い目が、針の筵となって詞幸を苛むのだった。