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第290話 黙ってて

 ある日のこと、トイレで手を洗ってるとしののんが巻き髪をいじりながら入ってきた。

「あ、ナッシーじゃん。よっすよっす~」

「おう、しののん。今日もバッチリ☆ビッチだな!」

「バッチリ☆ビッチってなに!? てかもうビッチじゃないし!」

 『もう』とか言うってことはビッチの自覚があったってことなのだが敢えてツッコまない。アタシはボケる側の人間だからな。

「アタシはもうああいうのからは足を洗ったの! 人を尻軽みたいに言わないでくんない? ったく……」

「いや、そんなぶかぶかのカーディガン着て萌え袖演出してるあざとさは完全にビッチだろー」

「これはあざとさじゃなくてカ・ワ・イ・さの演出なの! てかナッシーだって萌え袖になってんじゃん。人のこと言えなくない?」

「アタシのこれはわざとじゃないからいいんだよ。成長することを見越して大きめのを買ってるだけだ」

「あっ…………なんかマジでゴメン」

「おい、そこで心から詫びるんじゃない。この10か月でまるで成長しなかった悲しみが込み上げてくるだろうが」

 こっちはことあるごとに保健室で身長を測らせてもらっては不動の136センチに嘆息してるんだぞ。気休めでいいから前向きな言葉を寄越せ。

「って、しののん。トイレはいいのか? アタシと喋ってて漏らしたとかいうのはやめてくれよなー。一部のマニアしか喜ばんぞ」

「そんなマニアなんていんの!? キモッ! でもウチはメイク直しに来ただけだし、そんなことにはなんないから安心して~」

 そう言って鏡の前に化粧ポーチを置いたしののんは細かな補修工事を始めた。鏡の前で顔の角度を変えながら、どの方向から見ても完璧な自分に見えるように調整している。

「でもなんでこのタイミングでそんな熱心に直してんだ? あと6限だけで終わりだろー?」

 普段からつけまバサバサでリップギラギラな上にネイルテカテカなしののんだが、素材に自信があるんだろう、決して厚化粧はしない。この10分休みでも余裕で治せるはずだ。

 でも、見た感じメイクが崩れてるわけでもないのに、なんでそこまで入念な――って、あー、そっか。もうすぐ放課後でふーみんに会うから気にしてんのか。放課後になってからじゃなくてこのタイミングなのは、一刻も早くふーみんに会いたいから時間取りたくないのか。

 ビッチなナリして純情かよー、と思ったら、違った。

「ん~? ホームルーム終わったらソッコーで合コン行かなきゃだから時間なくてさ~」

「やっぱりまだビッチじゃないか。はーあ、呆れたもんだなー。いや、むしろ安心するな」

「ちがっ――そーゆーんじゃないから!」

 慌てた様子でこっちを振り向いて、と思ったら気づいたようにすぐさま個室の方に首を巡らせ、誰もいないことを確認してから、再びこっちに振り向いた。

「だから詞幸(ふみゆき)には黙ってて! お願い! みんなにはテキトーに用事あるとか言って部活休むからチクんないで!」

 別にそんな風に拝まなくてもアタシは性悪じゃないからチクったりはしない。

 けど、ほいほい頷くほど善人でもないんだよなー。

「おいおい、しののん。お前のそれは完全なるビッチムーブだろうが。ふーみんに飽きたかー?」

 ふーみんを振ったアタシとふーみんに恋してるしののんだが、そのことを話題にしたところで変に気まずい雰囲気になったりはしない。部活で散々コイツらのイチャつきを見てるんだ。そんな段階はとうに通り越している。

 アタシが一人で勝手にダメージを受けるだけだ。顔には出さないけど。

「あ、飽きてないし! だからお願い!」

「理由も話さずただ人に黙ってろなんてお願いするのはおかしいんじゃないか? んー?」

「理由もなにも付き合いで行くだけだから! ほら、夏休みくらいからウチ詞幸に対してそーゆー感じじゃん?」

 しののんはこういう濁した言い方をすることが多い。ふーみんのことを好きだとハッキリ口に出すのが恥ずかしんだだろうな。純情ビッチめ。

「ナッシーも前言ってたけどさぁ、ウチ全然合コン行かなくなっちゃって、そしたら周りに『付き合い悪くなった~』とか言われんだよね。でも正直に、好きな相手ができたけどまだ落とせてない――とか、ダサくて言えないし……、でもそっちの友達も大事だし……。詞幸に対して不誠実だとは思うけど……」

「そっか……」

 なんだ。状況は違うけど、コイツも恋愛と友情の狭間で悩んでたのか。

 そう思うとなんだか親近感とか同情心のようなものが湧いてくる。

「じゃー、黙っててやる代わりに尻揉ませろ」

 だからって素直にお願いを聞いてやりはしないけどな! わははははっ!!

「お尻!? なんで!?」

「なんでって……お前のおっぱいちっちゃいじゃん。尻の方が揉み応えあるかと思って」

「アンタに言われたくないんだけど! てか理由になってなくない!?」

「部員同士のスキンシップもたまにはいいだろっ?」

「それスキンシップじゃなくてただのセクハ――キャ~~ッ!! スカートめくんな~~~ッ!!」

「うお! 紐パンだ! 流石ビッチ、エロいの穿いてんなー! にひひひひっ!!」

 チャイムが鳴るまで、アタシは悩みから逃れるようにしののんの尻を揉みしだき続けたのだった。

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