第226話 詞幸の誕生日会――のあと 前編
『みんなに内緒で部室に来てくれますか? すぐ済みますから』
スマホに御言からのそんなメッセージが届いたのは、誕生日会もお開きとなって愛音たちと下駄箱へと向かっているときのことだった。
「ああー、俺ちょっと部室に忘れ物しちゃったみたい」
「はー……おっちょこちょいなヤツだなー。待っててやるから早くしろよ?」
「ありがとう! すぐ戻るから!」
と言い残し、彼は特別教室棟の階段を駆け上った。
息を切らしてスライドドアを開けると、照明は点いておらず、ただ西日だけが彼女のシルエットを浮かび上がらせていた。
「御言さん、どうかしたの?」
窓際に立つ御言は逆光のためその表情が見えず、詞幸は声をかけながら近寄る。すると、
「詞幸くん、こちらを……」
彼女は両手で抱えていたそれを、ぽすっ、と彼の胸に押し当てた。
「こちらが、本当のプレゼントです」
それは、愛らしくデフォルメされたイルカのぬいぐるみだった。
「ちょっと女の子っぽい趣味でしたでしょうか……」
「そんなことないよっ、ありがとう! 俺イルカ好きだから嬉しいよ!」」
戸惑いを感じつつも受け取る。黒くクリクリとした瞳で見つめ返すイルカからは御言の体温が感じられた。
御言は終始俯いており、やはりその表情はわからなかったが、ほっとしたような息づかいから安堵しているのだということはわかる。
「でも……どうして?」
「カラオケのときに言っていたではないですか、好きな動物はイルカだって。勉強会のときにお母さまに見せてもらった写真でもイルカのぬいぐるみを抱いていましたし。――デートで水族館に行ったとき、その……わたくしたちがイルカショーでずぶ濡れになってしまったから、そのあとのゴタゴタのせいでお土産を買う時間がなくなってしまったでしょう? もしかしてあのとき、本当は欲しいものがあったのではないかと遅ればせながら気になってしまいまして、再度あの水族館に行ってきたのです。……………………お気に召していただけましたか?」
「も、もちろんだよ! 俺のためにわざわざ用意してくれるなんて! ……でも……なんでいまなの? さっき渡してくれればよかったのに」
御言は下校を促すチャイムが鳴ったあと、用事があるからと言って一人部室に残ったのだ。それがこの状況を作り出すための言葉だったことは彼にでもわかった。
けれど、そんなことをせずとも、初めから同人誌の代わりにこちらをプレゼントするのでもよかったのではないか。
そう考えて口にした疑問だったが、
「あ、貴方は本当にデリカシーがありませんね! ラブコメ主人公並みの鈍感さです! マイナス30ポイントです!」
頬を膨らませて睨み上げる彼女に一蹴されてしまった。
「……………………恥ずかしいからに、決まっているではないですか」
付け加えられた言葉は、再び俯いて、消え入りそうなほど小さく。
それは脳を侵す甘い毒だ。
顔を下に向けたものだから、彼女の赤くなった耳がハッキリと見えてしまい、それがまた彼の心を揺さぶる。
「ほかの方には平気なことでも、わたくしにとっては恥ずかしいのですっ。男の子に対して真剣に選んだプレゼントを贈るなんて、まるで――」
と、そこで言葉を切って彼女は首を横に振った。
そして顔を上げると、そこにあったのはいつものにこやかな笑顔だった。少しぎこちないが。
「そんなことより、ついにマイナス100ポイントを下回ったので罰ゲームですね! 早速執行しましょう!」
「えええ!? この流れで!?」
恥ずかしさを誤魔化すにしてもとんでもない力業だ。
「はいっ。ポイントの加算――もとい、減算開始から約3か月。誕生日という特別な日にマイナス100ポイントを達成したのもきっと運命です。キャラリーはいませんが、『疾く執行し、かの者を苛むべし』との神の思し召しでしょう」
甘い雰囲気からの恐ろしいまでの落差に、彼はツッコまざるを得なかった。
「この状況でそんな発想するのは神様じゃなくて最早悪魔だよ!」