第221話 心の距離感 前編
学校へと続く朝の道は登校中の生徒たちでごった返している。
「あーあ、詩乃さんのせいでいつもより遅くなっちゃったよお」
詞幸が嫌味を向けるとキッと鋭い視線が飛んできた。
「なに、ウチのせいだって言いたいの!?」
「まるで反省してない……。だって約束の時間に遅れてきたのはそっちじゃないか」
「あのねぇ、ウチは常に最高の可愛さでいるためにメイクに時間をかけてんの。ヘアセットだって毛先の1本も乱れないよーに完璧にね。つまりは隣を歩くアンタのためでもあんの。わかる? だからちょっと待たせたくらいで文句言うのはおかしくない?」
完全に彼女ポジションの理屈だった。
「てかなんでそんな急いでんの? 別にまだ遅刻するよーな時間じゃないんだからいーじゃんっ」
「まあ、それはそうなんだけどさあ…………」
彼は歯切れ悪く答えた。
愛音に1秒でも早く会いたいという熱い恋心故、詞幸は彼女よりも先に学校に着きたいのだ。
そして、今日はどんなことを話そうか、と前の席で考えながら彼女が来るのを待ち構えるのが日課なのだが、自分を好いてくれている詩乃にそれを言うほど彼は馬鹿ではない。
だから、理由を話せない以上、折れて謝るのは詞幸の役目であった。
「ううん、ごめん。詩乃さんは悪く」
「あれ? 二人一緒に登校してくるなんて珍しいね」
「なにっ? ふーみんとしののんが並んでいるだとっ?」
校門の前で季詠と愛音にかち合った。
いつもなら彼女らの方があとに登校してくるのだが、詩乃の遅刻のおかげでタイミングが重なったのである。
結果的にいつもより早く愛音に会うことができた詞幸は、やはり詩乃本人に直接伝えるわけにはいかない感謝を心の中でしつつ、望外の喜びに顔を綻ばせた。
「おはよう、二人とも」
彼に続いて季詠と詩乃も定型文の挨拶を口にしたのだが、愛音だけは違った。
呆れたように首を横に振ったのだ。
「この前お前らのことをお似合いと言ってやったばかりで早速もうこれか。はーあ、あまりの手の早さとチョロさに流石のアタシも脱帽だ」
この本質的には間違っていない勘違いに詩乃は慌てふためいた。
「たまたまっ! そう、たまたま駅で会っちゃってさ~! 詞幸が一緒に行こうって言うから~!」
事実とは180度異なる言い訳である。だが愛音はとくに疑うでもなく頷いた。
「あー、わかってるわかってる、単なる冗談だ。お前らがそんな関係になるなんて本気で思っちゃいないし、不純異性交遊までいかなければ、仲よきことは美しきことだからなー。おい、しののん。これからもしっかりふーみんと一緒に登校するんだぞ? コイツは彼女もいないクセに発情期という危険物だ。そろそろ若さが暴走して痴漢くらいやってもおかしくないからなー。お前が常に見張っててやってくれ」
「言葉のナイフが鋭すぎる!」
「だいじょぶだいじょぶ、詞幸はそんなことしないって。いつも乗る電車って小学生乗ってないし」
「詩乃さんそれフォローになってない!」
自重を知らない彼女らの発言は最早凶器である。
「あれ? 月見里くんって詩乃のこと名前で呼んでたっけ?」
「………………あ」
首を捻る季詠に指摘され、彼はようやっと己の過ちに気づいた。
「やっぱりあの要求は俺には無理だったんだよ、詩乃さん。学校とそれ以外で呼び方を変えようなんてさ」
「バっカ、詞幸! も~っ、余計なこと言わなくていいのにぃ~!」
あちゃー、と詩乃は額を押さえて天を仰ぐ。
まだ誤魔化せる余地はあったのっだが、詞幸の不用意さによってそれも叶わなくなったのだ。
「ふぅん、二人はいつの間にか名前で呼び合うような仲になってたんだ~」
季詠は半目で二人を見る。
「しかも私たちには知られたくなかった理由がある、と。ふぅーん」
「「うっ……」」
この状況をどう切り抜けたものかと二人は頭をフル回転させたのだが、救いの手は思わぬ所から差し伸べられた。
愛音である。
「おいおい、なに言ってんだキョミ。なんでもかんでもその恋愛脳で処理するのは悪い癖だぞー? ただの名前呼びだけでフラグ扱いされるんじゃー、あの席替えの日にアタシがふーみんに名前で呼べって言ったのも伏線みたいになるじゃないか。あの前からコイツに気があったからあんなことを言ったんだ、なんて感じでなー。そう考えると――オエッ、気持ち悪くなってきた……」
「メッタ刺しで心が死にそう!!」