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第217話 暑いなら

「ふう……今日も暑いねえ……」

 詞幸(ふみゆき)団扇(うちわ)でYシャツの中に風を取り込んだ。額に汗を滲ませてうだる姿に季詠(きよみ)は苦笑する。

「9月になったとは言えまだまだ夏真っ盛りだものね」

「そう言うキョミもこの季節は大変だろう。Fカップの巨乳がムレてあせもができるもんなー。にひひっ、アタシが拭いてやろうかー?」

「もお! 愛音(あいね)ったらセクハラばっかり!」

 愛音が指をワキワキ動かす様子を、彼はどこか虚ろな目で見ていた。

 この日の最高気温は人肌よりも高い猛暑日で、部室のある特別教室棟4階は最上階ということもあり熱気が渦巻いているのだ。

 しかし部室内のクーラーは女子部員に合わせて設定温度が高め。男にはつらい環境だ。

「こうも暑いとなんもやる気が起きないよお…………」

 なんとか設定温度を下げる方向に持っていけないか、殊更苦しそうに表情を歪めたのだが、

「そんなに暑いのでしたらこれに着替えてはいかがですか?」

 御言(みこと)が返してきたのは期待したものとは異なる言葉だった。

 窓際の段ボールから紺色の布を取り出して掲げ、柔和な表情を崩さずにのたまう。

「男性用女子スクール水着です♪」

「どっち用だかわかりづらい名称! なにその変態向けの装備は!」

 デザインは女子のスクール水着なのだがサイズが明らかに大きい。そしてご丁寧にも胸部の白い部分には平仮名で『ふみゆき』と書かれていた。

上ノ宮(かみのみや)さんは執拗に変な格好をさせようとしてくるね!」

「うふふっ、前回の水着は過度にアダルティーだったと反省したのです。仮に勇気をもって着ていただいたとしても、わたくしの側に見る勇気がありませんでしたからね」

 彼女には夏休みにスリングショットという紐水着をもらっているのだ。あまりにも過激だったため人前で着ることはなく、いまや箪笥の肥やしになっているのだが、そのリベンジと言わんばかりに新たな変態水着が登場したのである。

「なので今回は、ちゃんとわたくしの正視に耐えるものを選びましたっ。是非、詞幸くんに着ていただきたくて!」

 彼女の目は星々の煌めきのように輝いていた。

「どんなに力説されようと俺はそんなもの着ないよ!」

「はぁ……お気に召しませんか、しょんぼりです…………。水着に着替えるのがお嫌でしたら……あとはもう脱いでいただくしかありませんね」

「脱ぐ!? 余計に酷くなってない!?」

「まぁっ、そんなに大声を張り上げなくてもいいではないですか。わたくしは暑がりな詞幸くんのためを思って提案しただけですのに」

「いや、でも……」

 困り果てた彼は助けを求めるように傍らに視線を向けた。しかし愛音は男の裸になど興味がない、とばかりにスマホをいじっているし、逆側を向けば詩乃(しの)が助け舟を出すどころか流れに掉さすようなことを言ったのだった。

「いーじゃん脱いじゃえば。アンタがブリーフ一丁になったってウチは構わないけど?」

「なんでブリーフ派だと決めつけたの!? 俺はトランクス派だよ!」

 ――あっ、と気づいたときにはもう遅い。詩乃が身を乗り出し、下半身に舐めるような視線を寄こしてくる。

「へぇ~、詞幸ってトランクス穿いてるんだぁ~」

 完全に失言だった。御言も口元を隠す手の隙間からニマニマとした笑みを零していた。

「なにも全裸になれと言っているわけではないのです。ちょっと下着姿になればいいだけですから。わたくしたちは一緒にプールに行った仲。裸の付き合いならぬ水着の付き合いをしたのです。上半身裸になったところでいまさら誰も咎めませんよ?」

「そーそー。トランクスならほとんど水着と変わんないじゃん。あのときのカッコと同じようなもんだし、部室の中なんだから気にすることないって。ほら、脱いじゃえ脱いじゃえ」

「ううっ……」

 二人はどこか陶然とした表情で脱衣を促してくる。

 その圧から逃れようと、今度は季詠に縋るような視線を送ったのだが、

「わ、私も、月見里(やまなし)くんが裸になるのを止めはしないよ? 別に積極的に見たいってわけじゃないけど、嫌じゃないし……。プールのときも見たんだから……」

 頬を朱に染めてモジモジと体を揺すりながら、あろうことか彼女まで同調しだしたのだ。

 ここまでくると善意の押し付けである。

「ちょ、ちょっと待ってよ! 別に俺は脱ぎたいなんて一言も言ってないよ!? 大体、水着姿が大丈夫なんだから下着姿でもいいだろうとかいう発想ならさあっ、」

 詞幸は彼女らを見回し、その論理の盲点を突いた。

「みんなも下着姿見せてくれてもいいんじゃないの!? あんなエロい水着姿見せてくれたんだからそのくらい平気でしょ!? 俺も脱ぐからみんなも脱いでよ!!」

「「「…………………………」」」

 空気が凍りついた。注がれる視線も冷たい。

「月見里くん――」

 季詠の声は穏やかで、けれど軽蔑の意思が如実に表れていた。

「暑いなら、水でもかぶって来ればいいんじゃない?」

「はい! 頭を冷やして反省してきます! すみませんでしたあ!!」

 熱気に満ちた廊下に飛び出した詞幸は、冷や汗のせいで暑さを感じなかったという。

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