第207話 イメージ戦略
駅前広場の隅、通勤通学客で賑わうコンビニの壁に貼りつくようにして彼の姿はあった。
「あれ? 詞幸早いじゃんっ」
「やあ、おはよう」
広場の時計を見れば約束の時間まであと10分もある。たかが10分だが、朝の忙しさを考えればその時間がどれだけ貴重なものか知らない学生はおるまい。
そんな時間を使ってまで早く来たということは――
「ぷぷっ、もしかしてぇ、そんなに早くウチに会いたかったん?」
「いや、だってもし遅れたら縫谷さんすごく怒りそうだし」
「むうっ…………」
詩乃は詞幸の脇腹を肘で突いた。
「こういうっ、ときはっ、嘘でもっ、頷きなさいよっ」
「ちょっと、やめっ、痛くてっ、くすぐったいから!」
連続攻撃を喰らわせるが、この状況、旗色が悪いのはむしろ詩乃の方である。
そもそも一緒に登校しようと持ち掛けたのは詩乃からだし、さらに言えば約束の10分前に来ている時点で、早く会いたかったのではないかという指摘は彼女にも跳ね返ってくるものなのだから。
詩乃もその点は自覚している。つまりこの件に関して彼女はさほど気分を害していなかった。
「あとそれと、」
ついでのように言うが、突っかかる理由としてはこちらの方が本命である。
「呼び方!」
最後に放たれた強めの一撃には不満がたっぷり込められていた。
「うぐうっ、うう――ん? 呼び方?」
「また名字に戻ってるじゃん!」
「え? だってあれは香乃ちゃんも縫谷さんだから紛らわしい呼び方はやめろ――って話じゃなかった? ここには縫谷さんは一人だけだし……」
「香乃だけ名前で呼んでるし!」
この気持ちをどう表したらいいのか、言葉にするのも馬鹿らしいのでとりあえず暴力行為を再開する。
「まったく、まったくまったく! アンタそれわざとやってんの!? それとも天然!? だとしたら犯罪レベルの鈍感さなんだけど!」
「わかった! わかったから落ち着いて!」
生意気にもこちらの攻撃は全てガードされてしまった。
「これからはずっと『詩乃さん』って名前で呼ぶよ。詩乃さんの家にいなくても、香乃ちゃんが一緒にいなくても、登下校中も、もちろん学校でもね」
「えっ、それはマジやめて無理。学校では絶対これまでどおり名字のままがいい」
「え? なんで?」
「だって急に名前で呼び合ったら付き合い始めたみたいに勘繰られそうでヤだし。詞幸が彼氏だとか思われたら最悪。ウチのイメージに傷がつくじゃん」
「昨日俺になんて言ったか覚えてる!?」
乙女心の難解さに詞幸は頭を悩ませるのだった。