第198話 ナイスアシスト
詩乃たちの後方、十数メートル離れた物陰に彼女は隠れていた。
(へぇ~、ケッコーいい雰囲気じゃん。お姉ぇとフミユキさん)
縫谷香乃はつかず離れずの距離を保ちつつ、姉とその想い人を観察していた。
(なんかこの前はウジウジしてたけどフツーに話せてるし、心配して損したかも)
ストローからレモネードを吸い上げ、酸味の利いた甘さで喉を潤す。
一緒に帰っていた友達と別れたところで姉の姿を見つけて声を掛けようと思ったのだが、男と歩いているのに気づき、おそらくあれがほかに好きな人がいるという姉の片想い相手だろう、と尾行することにしたのだ。
(にしても……なんかやたら緊張してない?)
姉の表情はいつもの余裕ぶったものではなく、恋心に押し潰されそうな乙女のものだった。
ほかの誰にわからなくとも14年間妹をやっている香乃にはわかるのだ。
(えっ、待って。もしかして家に上げるつもりなの? 家の前まで送ってもらうだけかと思ってたんだけど。え、マジ?)
この距離では会話の内容までは聞き取れない。が、あのド緊張っぷりは好きな相手と二人きりで歩いているからというだけでは説明がつかない。
(だとしたらあたしの存在忘れてないっ? 一緒にお昼食べようって言ったじゃん! お姉ぇバカなの!?)
心中で罵倒していると、二人が立ち止まってなにか話し始めた。
(なに? お姉ぇ固まっちゃってるけど……ああもう! 蝉がうっさくてなんも聞こえない!)
などとしているうちに事態は動いた。
「え!? 縫谷さん!?」
詩乃が急に走り出したのだ。
「夏のバカヤロ~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!!!」
わけのわからない発言ながらも青臭さだけは伝わってくる叫びが聞こえ、香乃は呆気にとられた。
(えぇ!? ここまで来て置いてけぼりにすんの!? このまま家に来てもらえばいーのに!)
妹の存在を忘れる愚かさはキッチリ馬鹿にするとして、それでもチャンスは活かすべきだと考える香乃である。もちろん、男を連れ込んだ姉をからかいたいという欲求もあるが。
どんなやり取りがあったのかはわからないが、その行動が間違った選択であることは明らかだ。
恋愛に関してはいつも攻め攻めだと思っていたのだが、本命相手だとポンコツ具合がハンパない。
(まったく、お姉ぇってば世話が焼けるんだから!)
ここは可愛い妹としてバックアップしてやらねば。
(モテそうだからって理由だけで選んだテニス部で鍛えられた脚力を見せてやるんだから!)
香乃は走り出した。
向かう先は逃げた姉――ではない。
その去り行く背中を呆然と立ち尽くして見送る彼に向かっていったのだ。
「キャァァァッ!!!」
「うわっ!」
派手にぶつかる。当然わざとだ。
香乃は走り出す直前、手に持ったカップの蓋を外していた。そして接触の瞬間、カップを傾け、中身のレモネード盛大にぶっかけてやったのである。
彼の白いシャツには大きなシミができていた。
「イタタタ……あっ、ごめんなさい! 制服汚しちゃって!」
申し訳なさそうな顔を作って深々と頭を下げる。すると彼は優しく微笑みを返した。
「いいっていいって。それよりキミの方こそ大丈夫? 怪我はなかった?」
(むむっ、怒らないどころかあたしの心配をしてくれるなんて、フミユキさんとやら、なかなかやるな。こういうところがお姉ぇのハートを射止めちゃったのか?)
「なにやってんの馬鹿香乃!」
騒ぎを聞きつけた姉が息を切らして戻ってきた。作戦通りである。そのために無駄に大きな悲鳴を上げたのだから。
「ごめんね詞幸、ウチの妹が」
「え、この子が縫谷さんの妹さんなの? 初めまして、俺は――」
「自己紹介なんてあとでいいから! ああほらこんなにビショビショ! 拭かないと!」
Yシャツから雫を垂らしながらも律儀に会釈をしだした彼を香乃は見上げる。
(とぼけた人だなぁ……)
ペースを乱されそうになったが、香乃は本題を切り出した。
「お姉ぇの友達なんですね!? それならうちに来てください! 早く洗わないシミになっちゃいますから! すぐそこなんで!」
狼狽える彼の手を取って強引に引っ張っていく。
詩乃が慌てふためく様子を視界の端に捕えながら、香乃は満ち足りた気持ちになっていた。
(ああ、お姉ぇの恋をアシストするなんて、ホントできた妹だわ、あたし)