第195話 ゆうべはお楽しみでしたね
「おはよう愛音さん!」
自席で後ろを振り向いた月見里詞幸の声は、新学期早々最高潮の明るさを放っていた。
というのも、彼は学生たちの大半が抱く感情と真逆で、夏休みが終わったことが嬉しくて仕方ないのだ。それは1か月半ぶりに学校に通えるから――換言すれば、彼女と顔を合わせる日々が再開されたからにほかならない。
「おっす、ふーみん」
小鳥遊愛音はツーサイドアップの栗毛を揺らしてその小さな体を椅子に落ちつけた。
「なんだかこうして顔を合わせるのも久しぶりな感じだねえ」
「おいおい、なに言ってんだ。一昨日にも会ったばっかじゃないか」
「ははっ、確かに。でもこの位置関係で愛音さんと話すのは久しぶりだから」
「まーな――ん、どうした? そんな見つめて。アタシの顔になんか付いてるかー?」
「ううん、そうじゃなくて……愛音さん、なんだか元気ないね。体調悪いの?」
表面上の差異はほとんどない。しかし、ふとした瞬間にも彼女のことを目で追ってしまう詞幸にはわかるのだ。声にもどこか覇気がなく、見過ごすことができなかった。
「どうしたの、夏バテ? それとも暑さにやられたとか?」
「あー…………いや、心配してくれるのはありがたいが、悪いのは調子じゃない。機嫌なんだ」
詞幸が首を傾げると、愛音はキョロキョロと周囲を確認し、ずいと顔を近づけてきた。
そしてぽそぽそと小声で語り始める。
「実はな、アタシは昨日キョミの家にお泊まりしたんだ。夏休み最後の夜を、二人でしっぽり楽しむためにな」
その言葉から、愛音が警戒しているのは帯刀季詠のことだと詞幸は気づいた。
彼女に聞かれるわけにはいかない話ということだ。
「遊んで、おしゃべりして、ご飯食べて、一緒にお風呂に入って洗いっこして――にひひ、それはもう夢のようなひとときを過ごしたわけだ」
「っ…………(ごくり)」
昨夜のことを思い出してか、スケベ親父のように笑う愛音。
詞幸はなるべく裸でじゃれ合う二人を想像しないように努めるのだが、愛音はさらに魅惑的な言葉を口にする。
「で、アタシたちは二人で一つのベッドに潜ったわけだ。これがまた最高でな、キョミは寝るときノーブラなんだよ。いつもは触ると嫌がるのに、お泊り会でキョミも興奮してたのか、昨日はいっぱい甘えさせてくれて、あの柔らかな感触がダイレクトに――っと、いかんいかん。これ以上詳細に描写すると18歳未満には聞かせられなくなるからな。割愛するぞ」
(き、気になるうぅぅぅぅぅ……!)
とは思いつつも、詞幸はあくまで紳士的な表情を取り繕って頷き、先を促した。
「問題は今朝。アタシは制服を持ってお泊りしてたからキョミの部屋で一緒に着替えたんだ。当然、ノーブラで寝ていたキョミはそこでブラジャーをつけることになる。そのときちょっとしたイタズラのつもりでブラジャーを奪ったんだよ。まー昨日の今日だったもんでアタシももうちょっとイチャイチャしたくてな。んで、なんとなくそのブラジャーのタグを見たら……」
愛音は怪談のオチを語るように、たっぷりともったいつけてからその言葉を口にした。
「Fカップになってたんだよ……!!」
「………………ごめん、いまのって愛音さんが機嫌を損ねる要素あった? むしろご機嫌になる要素しかなかったように思うんだけど」
「確かに、愛するキョミのおっぱいが成長しているのはアタシにとっても喜ばしいことだ。だけどな、キョミはずっとアタシに嘘をついてたんだ。自分はまだEカップだ、ってな。理由を問いただしたら、『愛音が言い触らすと思って』だと。さすが、アタシのことをよくわかってる」
「言い触らすのは否定しないんだ……」
「否定なんてするもんか。自分の恋人がFカップ美少女なんて、自慢するに決まってるだろ!」
そもそも恋人ではないのでは? という疑問は口にしないでおいた。
「それはそれとして、アタシはバストサイズを過小申告していたという事実が許せないんだよ。ほかの嘘なら許せる。過大申告していても別にいい。だがな、わざと小さく言うのはダメだろ。ほかでもない、これ以上過少申告しようがないアタシにそれは無神経だろう!?」
「ああー……………………」
詞幸にはなんと言っていいかわからなかった。彼女の絶壁ぶりは服の上から触り、直に見て実感している。
いかに不名誉でも、AAAランクの称号は伊達ではないのだ。
「おはよう、月見里くん」
と、彼らの傍らに優等生然とした長い黒髪の少女が立った。
「あ、帯刀さん、おはよう。愛音さんと一緒に来たんじゃないの?」
「ロッカーに荷物置いてから来たから。……ねぇ愛音、今朝のことだけど、確かに私が無神経だったと思う。でも、お願いだから機嫌直してほしいの……」
弱々しく季詠が様子を窺うと、愛音は優しく微笑みを返した。
「ああ、もう怒ってないぞ。ふーみんに全部話してスッキリしたからな!」
「あ、愛音さん!?」
「え? ………………あ」
愛音はしまった、という顔をしたが時すでに遅し。
加えて、詞幸の視線が眼前のFカップに吸い寄せられたのもまずかった。
「本当に言い触らすなんて……自分も無神経な言動には気をつけないとダメじゃない?」
その静かながらも強い怒りに、今度は愛音が謝罪を口にするのだった。