第194話 夏の終わりに(裏)
「よっし、これで全部終了おぉぉぉ!」
夏休み最終日、詞幸は全ての宿題を片付け終えて一人歓声を上げた。
昨日の勉強会ですべて終わるかと思いきや、雑談やゲームに興じた時間が思いのほか長かったため進捗が遅れていたのだ。
しかしそれもこれでおしまい。部活仲間たちとやったからか、今年は小・中のときに比べて苦しい思いをあまりしなかった。
「さあて、明日の準備をして、あとは動画でも見てゆっくり過ごそうかなあっと――んん?」
鞄に詰めるため、既に終えていた数学のドリルを取り出そうと引き出しを開けたときだった。
彼はその中に、入れた覚えのない1枚の小さな紙を見つけたのである。
「なんだこれ――って、ああ!」
それは可愛らしい猫たちが紙面を歩き回る正方形のメモ用紙だった。
「愛音さんのだ!」
彼女が学校で使っているのを見たことがある。季詠をはじめとしたクラスメイトの女子に対して、ちょっとした伝言などの折に渡していた。詞幸は、自分も渡されたい、と羨ましく思っていたのだが、そのメモ用紙がなぜかこの引き出しの中に入っているのだ。
恭しくその猫のメモ用紙を取り上げてみると丸文字が踊っていた。
「やっぱり、愛音さんが書いたんだ」
文面を読まずとも筆跡でわかる。彼女はその豪放磊落な性格とぶっきらぼうな喋り方から来るイメージとは異なり、意外にも女の子らしさ全開の丸みを帯びた文字を書くのだ。
「はあ……文字まで可愛いなあ……」
詞幸はその文字自体がなにかのファンシーグッズであるかのように、半ばうっとりとした表情で眺める。
「『愛音さんフォント』とかいう名前でスマホに標準登録されないかなあ…………」
と、自分がそのフォントの制作を愛音と共同で行って大企業と契約するところまで妄想し、ようやっと彼は肝心要の中身を読んでいないことに気がついた。
補足しておくが彼は熱中症で頭の働きがおかしくなっているのではない。室内はクーラーがガンガンに効いているしこまめな水分補給で体調面に問題はない。
彼は愛音のこととなるとデフォルトでおかしいのだ。
「なにも言わないでメモを残していくなんて、奥ゆかしいなあ」
彼は背筋を伸ばし、わざわざ声に出してその文面を読み上げた。
「ええと……『ふーみんママにおっぱい揉ませてもらう代わりにお前のエログッズの隠し場所教えちゃった。メンゴ!』って、えええええぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!? 愛音さんなにしてんのおぉぉ!? ていうか母さんもなにしてんのおおぉぉぉ!?」
人の母親の乳房を揉む方も揉む方だが揉ませる方もどうかしている。
「そうまでして息子のエロ事情を知りたかったとか嫌すぎる……」
しかしそれは昨日の出来事だ。愛音が密告したというのならば、詞幸が彼女らを駅まで送っている間にブツの確認をしていたと考えるべきである。
なのに母親からはなんのお小言もなくいつも通り。特に変わった様子はなかった。
その沈黙が逆に怪しい。逆に怖い。
「気を遣って見てないとか? いやいや、息子の恋愛事情に首突っ込んでくるあの無神経さでそれはないよな。口にできないほどドン引きするようなものも持ってないし……」
立ち上がり、クローゼットの前に立つ。
――ゴクリ。恐る恐る、ゆっくりと開ける。すると、
「またメモ用紙? 今度は愛音さんのじゃない。それに……なんだこれ」
中には彼のコレクションではない、なにが入っているのかわからない紙袋があった。そしてその上には無味乾燥な白いメモ用紙。
今度の筆跡は愛音のものではない。
「母さんの字だ……」
やはり見られていたのだ。このあと顔を合わせるのが気まずいったらない。
暗澹たる気持ちのまま、その右肩上がりの文字を恐る恐る読む。
「『母さんはあの子たちの誰がお嫁さんになっても大歓迎です。でも、ここにあるアレコレと同じことをしたくなっても、一度深く考えて、相手の女の子ことを大事にしてあげてください。できればお金持ちそうな御言ちゃんがいいけど、これは詞幸の恋だから、母さんはこれ以上口を挟むのはやめます。代わりに、詞幸の恋を応援するためにこの本をプレゼントします。大きなお世話とは思いますが、存分に使ってください』と。ほんと、大きなお世話だよ」
コレクションの中身に言及されたこと自体は恥ずかしくも、意外にも真面目なことを諭されて恐縮してしまう。
あれだけ引っ掻き回しておいて、最終的には親の立場として自分の子だけでなく相手のことも心配していたのだ。これには頭が上がらない。
「それじゃあこの中身は――ちょっと大きいけど、形からして本かな? 恋愛指南書的な?」
紙袋を開けると、果たして一冊の本が出てきた。
表紙の絵は季節感のある風景と一人の少女。そこにポエミーな短い文章が添えられている。
そして――控えめな『成年向け雑誌』の表記と、デカデカとした『L』と『O』の二文字。
「ロリコン向けエロ漫画雑誌!? ってことは――愛音さんのこと好きなのバレてるうぅぅぅぅぅぅ!!?」
夏休み最後の1日は、頭を抱えたまま過ぎ去っていくのだった。
――夏休み編 完