第192話 夏の終わりに 前編
(…………行けばよかったかな~。詞幸んちに行く機会なんてそうそうないし、ぶっちゃけ会いたかったし…………でもなぁ~、普通の顔してられる自信なかったしぃ……)
過ぎたことをウジウジと悩むのは詩乃にとっては珍しいことだ。特に異性との付き合いでは思い通りにならないことの方が多い彼女である。切り替えの早さには自信があった。
それが今回は、前日の勉強会に行けばよかったのかどうかを延々と悩み、後悔しているのだ。
夏休み最終日の過ごし方として健全とは言えないだろう。
そう、詩乃が勉強会を欠席した理由は、都合がつかなかったからではない。
詞幸と顔を合わせるのが恥ずかしかったからである。
(うぅ~~~、こんな調子で明日からの2学期どんな顔して会えばいいのよぉ~……)
さっきからテレビの内容も頭に入ってこない。彼女の脳内を占めるのは、とぼけた顔の同級生のことばかりだった。
クッションを抱いて悶々とする彼女のスマホが着信を告げたのは、そんな風にしてリビングで無為な時間を過ごしていたときのことである。
「え? みーさんから電話っ?」
御言から電話がかかってくるのは初めてだったので驚く。もしもし、と応じる声も自然訝し気になった。
「詩乃ちゃん、いきなりお電話してごめんなさい。いまお時間大丈夫ですか? ご迷惑ではありませんか? ご相談したいことがあるのですが……」
「あ、大丈夫なんだけどちょっと待って。自分の部屋に行くから」
隣で一緒にテレビを見ていた香乃が『自分の』という表現に「あたしの部屋でもあるんだけど」と口の動きだけで抗議するのを無視して席を外す。
香乃の邪魔をしないように、ではなく、香乃に御言との話を聞かれないため、そして詩乃自身が御言の話を真剣に聞くためである。
(みーさんの家ってかなり躾厳しいって言ってたよね? 誰と連絡取り合ってるか親がスマホチェックするとか、メイドさんが盗み聞きしてお父さんに知らせるとか。それなのにわざわざウチに電話してくるなんて相当ヤバい話なんじゃ…………)
と考えての行動だ。詩乃はベッドに腰かけ、背筋を伸ばし「もう大丈夫。話して」と促した。
しかし、御言の声が聞こえてきたのはそれから十秒以上も経ってからだった。
「実は、相談とは……………………恋愛についてなのです」
「え、えぇ~~っと……それって、みーさん自身の話っしょ? 相手が誰とか聞いていいん?」
「はい、当然です。わたくしは相談に乗ってもらう身、いまさら隠し立てなんて女らしくない真似はいたしません。腹を括ってハッキリ言いますが――」
スゥー、ハァーと深呼吸が挟まれた。
「ふみゅっ、詞幸くんのことについてなのです!」
「……………………」
一瞬意識が遠のいた。
「ちょ、ちょっと待って! なんでそれでウチに相談すんの!?」
緊張で噛んでしまうということは勘違いや嘘の類ではないのだろうとわかる。
しかしなんでよりにもよって自分なのか。
(相談されても困るんだけど! ウチだって詞幸のこと好きなのにぃ!)
「理由ですか? それは、詩乃ちゃんがわたくしと同じ気持ちの持ち主だと思ったからです」
(え、それってもしかして……)
「詩乃ちゃんも好きですよね? 詞幸くんのこと」
(やっぱバレてるぅ~~~ッ!?)
「をからかうのが」
「…………へ?」
付随した余分な一言に間抜けな声が漏れた。
「わたくしも詩乃ちゃんと同じで詞幸くんをからかうのが好きなのです。ちょっときつめの悪戯をしても怒りませんし、面白いように引っかかってくれますから」
「あ、ああ~~~~~」
(そういうこと。そういうことね……)
「ね、からかい甲斐あるよね、アイツ。いちいちリアクション大きくてさぁ」
「はいっ。打てば響くというのでしょうか、もっとからかってあげたくなってくるのです。嬉しいことがあるとコロっと笑顔に変わるのもワンちゃんみたいで愛らしいですし」
それって好きな子をイジめる小学生みたいじゃん、とからかおうとしたが、結局やめた。
そんな言葉を投げたらとんでもないブーメランである。
「ですから、わたくしとしてはあくまでも、ペットと遊ぶ程度のつもりでじゃれていたのです。楽しいからそうしていただけで、お相手が女の子であったとしても同じように接していたと思います。確かに彼はこれまでわたくしが接する機会の乏しかった同年代の異性ですが、そこに特別な感情はありませんでした。ですが、話術部で同じ時間を過ごしているうちに――」
これまで平静さを保っていた彼女の声が、怒気を滲ませたものに変わる。
「彼のことをほんのちょっと、本当にほんのちょっっっっっっっぴりだけ、異性として意識するようになってしまったのです! これは実に由々しき事態で誠に不本意なことなのですが!」
(みーさんもこんな風に興奮することあるんだ……)
「いつの間にかおかしな感情を芽生えさせられてしまったのですから、こちらとしてはいい迷惑なのです! ワンちゃんを異性として見てしまうなんて、これでは獣姦になってしいます!!」
「それはなんか違うと思う!!」
アブノーマルな単語が登場し、詩乃は自分史上最難関の恋愛相談に不安を覚えるのだった。