第191話 勉強会ファイナル④
いざこざのあとの微妙な空気を引きずったまま最後の勉強会はお開きとなった。
皆で駅までの道を歩く。これには詞幸も一緒だ。
前の2回もそうなのだが、いくら夕暮れでまだ明るいうち、かつ複数人数がいるとはいえ、女性だけを歩かせるのは気が引ける、と自ら願い出たのだ。
居心地の悪い雰囲気のなか、日傘の下で御言は常の微笑みを消して胸を押さえていた。
(むっ……なんでしょうこのモヤモヤした気持ちは…………罪悪感、でしょうか……)
分析してみるに、それは『詞幸くんのこと嫌いです』と発言してから感じているようだった。
(確かに、大切なお友達のことを悪く言っては罪悪感を覚えるのも当然でしょう。わたくしは育ちもよく品行方正なお嬢様ですし。でも、そもそもの発端は詞幸くんです。彼が悪いのですっ。別にわたくしは彼の場の空気を読まないような独りよがりな発言だけに怒ったわけではないのですから。そこまで我慢の足りない女ではありませんもの)
そう、彼女が滅多に見せることのない怒りの感情を表したのは、それまでに積み重なったフラストレーションによるものだったのだ。
(詞幸くんのわたくしに対するアプローチが足りていないのが悪いのですっ。思わせぶりな態度をとっておきながら、あのたった1度のデートで満足してしまったのでしょうか。いえ、また誘ってほしいなんてまったく思っていませんけれど!)
自然、ジトっとした目を詞幸に向けていた。頬もぷくっと膨れている。
(この勉強会だってわたくしの直接指導を受けたいがために企画したのでしょうに、真面目に勉強するだけで特に動きはありませんでしたし。まったくなにがしたいのかわかりませんっ。こちらは男の子の部屋にお呼ばれされるからと――万が一にもそんな状況をわたくしが許す筈もありませんが――二人きりになったときに備えて毎回新品の下着をつけて構えていますのに! 別に押し倒されたいわけではないですが、そのそぶりくらいは見せてもよいのではっ?)
考えれば考えるだけ腹立たしさが湧いてくる。
(今日はいませんでしたけれど、詩乃ちゃんがいるときは彼女の太ももばかり見ていますし。やたら気合の入った短いスカートを穿いてくるからといって視線を奪われ過ぎなのは気に入りませんっ。わたくしがロングスカートだからといってこちらを見向きもしないのは業腹です! 愛音ちゃんの愛らしい仕草や季詠ちゃんのお胸に気を取られるのは相変わらずですし……。それなのにわたくしにだけ興味を示さないのは我慢なりません! もっとも、わたくし自身は詞幸くんのことなんてこれっぽっちも興味ありませんけれど! ですが……)
彼女は怒りの表情をやわらげ、弱り果ててとぼとぼ歩く彼の心中を察する。
(あうぅ……こんなに弱っている姿を見せられると、わたくしの方が悪いような気がしてきます…………。はぁ……ここはこちらが折れるしかなさそうですね。自分に非がないのに謝るというのも癪ですが、わたくしは自分の感情を上手くコントロールできる人間なのですから、ここは大人の余裕で譲ってあげましょう――)
日傘を折りたたみ、彼のことをスッと見据える。
「ふ、詞幸くん!」
発せられた言葉はなぜか緊張に震えていた。何事かと皆が振り向くので、御言の顔はより一層強張ってしまう。
(な、なにを緊張しているのですか、わたくしは! ただ謝って、『嫌いではありません』とさきほどの言葉を否定するだけなのに!)
「あのぅ……わたくし、さっき酷いことを言ってしまいました。ごめんなさい。詞幸くんのこと嫌いだなんて言ってしまって……」
(よし、大丈夫、普通に話せています! あとはあの発言は誤りだったと否定するだけ!)
「ご安心ください。本当はわたくし、詞幸くんのこと好きですから」
「ひゅえっ!?」
奇声を上げたのは詞幸。同時に誰かが息を呑む音が聞こえた。遅れて、彼の顔がみるみる赤くなっていく。
「そそそそれって、もしかして告白!?」
焦点の合わない目をした詞幸に問われ、「はい?」と御言は首を傾げた。いったいなにを言っているでしょうか、と。
彼女が己の失言に気づくのに、そこからさらに数秒の間を要した。
「違います! 全然違います! なにを馬鹿げた勘違いをしているのですか!?」
御言の顔が、向かい合わせの詞幸と同じような色に変わる。
「わたくしが貴方のことを好きだなんてありえ得るはずがないです! 天地がひっくり返ってもないことです! 自惚れないでいただけませんか!? そういうラブ的なアレではなくてライク的なアレです! ねぇ、季詠ちゃん! 季詠ちゃんも好きですよね!? 詞幸くんのこと!」
御言は近くにいた季詠に責任をなすりつけるように誤魔化しにかかった。
「え? え!? 私!!?」
その光景をどこか呆然とした様子で見ていた季詠も頬を夕陽よりも赤くして慌てふためく。
「友達的な意味でよね!? そういうことなら私もす、す…………ダメ! 男子に軽々しくそんなこと言うなんて、はしたないことできない!」
「わたくしがはしたない女だと言うのですか!?」
季詠が加わったことで状況は混乱を極めた。これを落ち着けようと今度は織歌が口を開く。
「はぁ…………やれやれ。安心しろ月見里。わたしもお前のことは好きだ。もちろん友達としてな。そこに特別な感情が入る余地なんてありはしない。なぁ、お前もそうだろう?」
それはその『好き』の意味が特別なものでないと最後の一人に認識させるパスだった。
「そういうことなら、アタシもお前のこと好きだぞ、ふーみん! そんなしょげるなよ!」
その一言でようやっと彼に笑顔が戻るのを、御言は苦く見つめるのだった。