第188話 勉強会ファイナル①
「………………」
すこぶる居心地が悪い。
本来自室は心安らぐ場所だというのに、いまの詞幸は肩身が狭くて仕方なかった。
それもこれもすべてこの人のせいである。
「ほらほら、見て! こっちは詞幸がまだ幼稚園に上がる前の写真なのよ!」
「可愛いー!」
「わははっ、持ってるアンパンマンのぬいぐるみみたいにまん丸な顔だな!」
ほかの誰でもない、子のことを一番に理解しているべき存在である母親が、あろうことか子の心をじくじくと蝕んでいるのだ。
「この子ったら3歳になっても『ママのおっぱいほちい!』って甘えてきてたのよ?」
「まぁまぁ、では詞幸くんの性癖は幼い頃からのものだったのですね?」
「待て上ノ宮。さすがに親の前でその冗談は可哀想すぎて看過できん」
小さい頃のアルバムを引っ張り出してきて女子部員たちに見せびらかし、ページをめくるたびに思い出話を語って聞かせているのだ。
話し方も以前の敬語がフレンドリーなものに変わっており、複雑な心境を抱かざるを得ない。
この、己の幼い頃を知られるという恥ずかしさと、血の繋がった母親がみっともない真似をしているという恥ずかしさ、二重の辛苦を詞幸は膝を抱えて小さく縮こまることでなんとか耐え忍んでいた。
――状況を説明しよう。
夏休みも明日で終わるというタイミング。ここで御言の号令のもと、詞幸たちは最後の勉強会を開くことになったのだった(どうしても都合がつかないとのことで詩乃は参加していない)。
目的としては、これまでどおり《弱点の克服》という広範な内容をカバーする学習であるが、今回はこれに加え、時期も時期ということで《夏休みの宿題で終わっていないところをみんなで協力し合おう》というものもプラスされている。
もっとも、《目的》というよりは《名目》と言った方が正しいが。
学業という日々の束縛から解放される夏休みの終わりが刻一刻と近づいているのだ。猶予があるならまだしも、この段になってまで生真面目に勉強しようなどと殊勝なことを考えているのは、残念ながら織歌くらいであろう。
「こっちは水族館でイルカのぬいぐるみを買ってあげたときの写真。すごくニコニコしてるでしょ?」
「可愛いー! ぬいぐるみが好きだったんですね!」
「うふふっ、無邪気で愛らしいですね」
幼い子供に母性をくすぐられるのか、優等生の季詠も発起人の御言も勉強そっちのけで写真を食い入るように見つめている。勉強会というお題目は頭から抜け落ちているらしい。
詞幸母の術中に見事嵌ってしまったのだ。
(やっぱり母さんに知らせたのは失敗だったか……)
これまでに2回催された勉強会の経験から、彼は反省し、考えを変えたのである。
母親の干渉から逃れて部活仲間だけで気兼ねない時間を過ごそう、とあれやこれやと画策したところで、子が肉親に勝てる道理はないのだ。
掌の上で転がされているかの如く、その思考、行動、作戦は全て筒抜けなのである。
どうせ母親に邪魔をされてその度に驚愕と落胆をするのであれば、最初から負けを認めてしまっていた方が精神衛生上どんなに気楽か。
そう考え――諦めた詞幸は、この夏最後の勉強会の開催を包み隠さず母親に話したのだった。
その結果がこの有様である。
「とっておきはこれ! お姫様の格好をさせたときの!」
「きゃーーーーーー!! 可愛いーーーーーーー!! やっぱりぬいぐるみ抱っこしてるーーーー!!」
「これはこれはっ!! 男の子なのにピンクのフリフリなんて、わたくしイケナイ扉を開いてしまいそうです!!」
黄色い声を上げてテンションを上げる二人。しかしそれと反比例して黒歴史を紐解かれた詞幸のテンションは地の底に落ちていった。
「どうしてこんな可愛い女の子の格好をさせたんですかっ?」
「わたしね、本当は女の子が欲しかったのよ。だから妊娠がわかったときからお腹の赤ちゃんが女の子になるおまじないとか都市伝説とかいろいろ試してたんだけど、なにを血迷ったかこの子ったら変なモノぶら下げて生まれてきちゃって……」
「俺の責任にしないでよ!」
声を荒らげる彼に御言が鼻息荒く詰め寄る。
「もしかしていまでもこのような格好を!? そのお洋服の下には女性ものの下着をお召しになっているのですか!?」
「なんなのその期待に満ちた眼差しは! 着けてないよ!」
「そうですか、残念です……。ですが、もし女性への変身願望が湧いてきたら教えてくださいねっ? 必要なものは用立ていたしますから! スタイリストも呼んでプロのカメラマンに後世に残る珠玉の1枚を撮ってもらいましょう!」
「そんな写真撮ってどうするのさ……」
「当然、脅迫用――いえ、引き伸ばして額縁に入れて部室に飾るのです!」
「脅迫用のがまだマシ!」
「もしくはあんたが犯罪で捕まったときに報道陣に提供するとかね」
「まぁっ、お母さまったら素晴らしいアイディアです!」
「息子を信用してないうえに笑い話にする気だ! この人おかしいよ!」