第172話 夏の夜空に咲く花は⑤ 証拠隠滅
「水……! 水……っ!」
掠れた声で喘ぐ。その様はまるで砂漠を彷徨う旅人のようであった。
口内の辛さを和らげようと詞幸は一人飲み物を求め歩いていた。しかし、自動販売機や屋台で買おうにもそれがどこにあるかわからないうえ、人が多すぎて容易には移動できない。
どうするべきか逡巡していた、そのときだった。
「月見里くん……」
袖を引かれて振り返る。そこには藍色の浴衣姿の少女が立っていた。
季詠だった。
おずおずと、封の開いたペットボトルを差し出してくる。
「これ、いま開けたばかりだから、どうぞ」
「いいの!?」
これを受け取った詞幸は感謝の代わりに彼女を褒め称えた。
「ああ、女神さまっ!」
「そ、そんな大袈裟だよっ」
ペットボトルの中身はレモンウォーターだった。辛さを抑えるために甘いものが欲しかったのでちょうどいい。口の中に含むとそのまま飲み込まずにうがいするように舌の上で転がす。
何回か繰り返すと、いまだ痺れは残るもののだいぶ楽になった。
「本当にありがとう、帯刀さん! キミは命の恩人だよ!」
「だから大袈裟だって」
困惑する季詠。
「それと――ごめん!」
「え…………?」
そして詞幸が手を合わせて頭を下げると、さらに困惑の色を濃くした。
「私、謝ってもらうようなことなんてされてないよ……?」
「いや、俺、謝らないと。最近帯刀さんがよそよそしかったのって俺が原因だよね?」
「…………」
「プールのとき、いやらしい目で見て、ごめん。やっぱり帯刀さん気づいてたんだよね? なんかあれから避けられてるなあって思って……でもなかなか謝る勇気がなくて…………だから今日も、帯刀さんのことジロジロ見たら失礼だと思ったからなるべく見ないようにしてたんだけど、なんか無視してるみたいだったよね。それなのに帯刀さんは俺のために追いかけてきてくれて……俺、自分が恥ずかしいよ」
「ううんっ、全然、気にしなくて大丈夫だよ……っ!」
手を振って否定する。その顔は、僅かに朱が差しているように見える。
「月見里くんの視線には気づいてたけど、でも、見られるのは慣れてるっていうか、予想どおりっていうか、そんな嫌じゃ――じゃなくて、えと、なんて言えばいいんだろう……」
言葉を彷徨わせる。指先が落ち着きなく巾着の紐の上をすべる。
「私の方こそ、ごめんなさい。私も、月見里くんと同じだから」
「え……? 帯刀さんも俺のこといやらしい目で見てたの?」
「ふぁっ!? ――違っ、そういう意味じゃないの!!」
一瞬言葉に詰まったのは彼女自身にもやましい所があるからだが、それを口にすることはできなかった。
「どう接したらいいかわからなくて、私も月見里くんを避けてたから……」
彼女は自戒するような沈痛な表情になってしまう。そうさせてしまったことが申し訳なくて、詞幸は殊更明るい声を出した。
「でも良かったあ。俺、帯刀さんに嫌われてるのかと思ってたから。ははっ、辛さの次は緊張で喉が渇いちゃったよ」
喉を潤そうとペットボトルを傾ける。
「あれ?」
と、あることに気づいた。
「なんか飲み口のところについてるような……」
「ほわぁッ!!」
バシン!!
「うわぁ!?」
詞幸は驚きに声を上げる。季詠がいきなり奇声を発して手の甲を叩いてきたのである。
「な、なにごと!?」
「ごごごごめんなさいっ。蚊がいたから思わず叩いちゃって……大丈夫? 痛かった?」
「それは問題ないけど……」
視線を落とす。そこには季詠からもらったジュースのペットボトルが横たわっていた。ちょうど飲もうとしていたため、中身がこぼれ、飲み口は地面について汚れてしまっている。
「残り少なかったから飛び散らなくてよかったね。じゃあこのゴミは俺が――」
「私が片付けるから!」
「でも……」
「私がやりたいの! それよりみんなのところに戻りましょう!?」
「う、うん」
季詠は素早くペットボトルを拾い、有無を言わさず踵を返す。
詞幸に気取られないように背けたその顔は、緊張に満ち満ちていた。
(はぁ~、危なかった~……。一口飲んだだけだからバレないと思ったけど、リップグロスがついてたのは盲点だったなぁ~……)