第161話 勉強会リベンジ⑥
詞幸の予想どおりというか予定調和というか、やはり真面目に勉強するような状況にはならなかったが、それでも1度始めてしまえば皆静かに取り組むのだった。
これには、元々成績がよく、かといって人に教えるのが不得手な愛音が、静かに詞幸所蔵の漫画(少年誌掲載のバトルもの)を読んでいる、というのも大きい。
良くも悪くも賑やかな彼女がいては誰も集中などできないのだ。少し離れた所でベッドに背を預けて大人しくしてくれている状況は、誰にとっても望ましいものであった。
そんなわけで、先ほどとは打って変わって部屋の雰囲気は落ち着いていた。
「うう~ん…………ちょっとここの化学反応式教えて欲しいんだけど」
御言と季詠は自分たちの学習よりも勉強できない組の面倒を優先しており、わからないところがあればすぐ教えてもらえるのだ。
行き詰まった詞幸が手を挙げる。
「…………」
しかし、近くにいたはずの季詠は一瞥をくれたのにも関わらずささっと身を離し、向かいにいる織歌の進み具合を見始めてしまった。
(やっぱり避けられてる!?)
先刻の騒動もあり、巨乳好きという性的嗜好が明るみになったことで引かれてしまったのか。
密かにショックを受ける詞幸だったが、その様子に気づいた御言が小さく手招きをした。
「季詠ちゃん、ちょっと」
集中している皆に気取られぬようやはり小さく言って、やって来た季詠と共にテーブルに背を向ける。
「あんまり露骨に避けると詞幸くんが可哀想ですよ?」
耳元に囁く。
「やはりプールのときのアレが原因ですか?」
「さ、避けてるつもりはないんだけど……」
視線を泳がせて言い訳がましく答えた。
「アレの罪悪感が残ってるのもそうだし…………月見里くんにエッチな目で見られたのもあって、あぁやっぱり男の子なんだなーって意識しちゃって……」
「なるほど…………そういうことならわたくしがフォローに入ります」
「え?」
困惑の目を向けると、御言は安心感のある力強い笑顔で頷いた。
「どう接していいかわからないのに一人だと心細いですよね。ですからわたくしも一緒に詞幸くんに対応します。極端に避けるのでも極端に接するのでもなく、ちょっとずつ彼との距離感を探っていけばいいんですよっ」
「御言――」
季詠はその申し出を嬉しく感じた。心が幾分か軽くなったような気がする。
「あのお……やっぱりここの化学反応式について教えてくれない……?」
と、ちょうどいいタイミングで詞幸が再び手を挙げた。
「は、はーい」「どこでしょうか?」
二人は目配せし合い、詞幸を挟むような形で両脇に腰を下ろした。
「この水素が結合してなにになるのかがわからなくて……」
「この問題ですね?」
「ふんふん……」
問題を覗き込もうと二人の少女の顔が左右から近づいてくる。
(わっ、近っ! って、なんで二人がかりなの!? もしかして一人では対処しきれないくらい俺が馬鹿ってこと!?)
二重の意味でドキドキしてしまう詞幸。しかしそんな彼の動揺になど気づかず、二人は真剣な眼差しで問題文を見つめていた。
「正解をお教えするのは簡単ですが、どう解き方を説明するのがわかりやすいでしょうか……。詞幸くんは、Hをどうすればいいか悩んでいたのですよね?」
「うん……」
「この場合、Hをどうするか、というのはCをどうするか、と同じことなのです。そうですよね、季詠ちゃん?」
「え? ここで私っ?」
慌てた様子で季詠は自分を指差す。御言が無言で頷くと、観念したのか緊張した様子でたどたどしく喋り始めた。
「私は、Hの方が重要だと思う。Hは、基本だから、頭で考えるよりも体で覚えるくらいに慣れた方がいいよ。Hだと、なにがどう結合するか、どこがどう繋がるかは、決まってるから。月見里くんが苦手なら……私がHについて、いっぱい教えてあげようか?」
「~~っ! 俺ちょっとトイレ行ってくる!」
勇気を振り絞っての言葉だったが、なぜか詞幸は急に立ち上がり、逃げるように部屋を出ていってしまった。
「どうしよう……私、避けられてるかも…………っ」
蒼褪めた顔で季詠は縋る。縋られた御言は優しく彼女の背をさすりながら困惑していた。
(わたくしはわざとでしたが、まさか季詠ちゃんが天然でこんなミラクル発言をしてしまうなんて……詞幸くんが耐えられなくなるのも仕方ありませんね)